第14話 魔導兵器フィンヴァラー
帝国艦隊の出撃近し。第二艦隊も出撃の準備を進める中、彩雲による航空偵察の重要性は増していた。このため、毎日のように彩雲搭乗員はマルティア諸島に向かって飛行を続けていた。今のところ、偵察活動中の彩雲に撃墜された機は無い。アメリカ軍との戦いでは偵察中にF6Fヘルキャットに迎撃され、多数の12.7mm弾を浴びて撃墜される機体も多かった。しかし、帝国の飛行機であるドロームの時速は300km程度。彩雲の速度性能をもってすれば悠々と振り切れた。このため、彩雲搭乗員の中には帝国航空隊を侮る者もいたが、その考えは悪い意味で裏切られることになる。
その日、偵察のため飛び立った葛城搭載の彩雲3号機はマルティア諸島に向けて高度6千mを巡航速度で飛んでいた。飛行自体は順調であったが、機長の島津少尉、偵察員の高田上等飛行兵曹、電信員の大崎一等飛行兵の三人は都築飛行長から受けた「変な」命令に困惑していた。
「少尉殿、飛行長の言っていた話は本当なんですかね」
「人形の兵器らしき物体の詳細な写真を撮れっていうアレか?」
「そうです。なんスかね、人形って」
「知るか。行きゃあ、分かるだろ」
「そりゃぁそうなんですが、何かイヤな予感がするんですよ。ヘソの辺りがムズムズするっていうか…」
「ムズムズしているのはへそじゃ無くて、ヘソの下じゃないんじゃないですか」
「ウルセェ! 下らねぇ事言ってねえで、お前は周囲の警戒をしてろ!」
大崎一飛にからかわれ、高田飛行上飛曹は大きな声で怒鳴りつけた。
「静かにしろ、お前ら。マルティア島まであと1時間だ。周囲の警戒を怠るな」
「すんません」
蒼空を進む彩雲。しかし、6千m下でその動きを監視している者に気付いてはいなかった。その正体は帝国の哨戒船。マルティア島の住民が本土に撤収した際に放置された小さな漁船を帝国側で接収し、監視用に使っていたものだった。
「船長、シュワルベ(彩雲の帝国側コードネーム)発見。機数1、高度約6千、マルティア島に向かって飛んでいます」
「おいでなすったか。機動艦隊司令部に魔導通信を送れ」
「了解!」
「何者か知らんが、お前らの跳梁もここまでだ。生きて帰れると思うなよ…」
哨戒船の船長は彩雲の姿を双眼鏡で追いながら、小さく呟いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「シュワルベめ、来たな。フィンヴァラー出るぞ! アム少尉、リュカ准尉。お前達は私と出る。他の者は待機。装備の点検及び発艦準備急げ!」
彩雲接近の報を受け、ドローム母艦アルヴァクの艦上で慌ただしく命令をするフレイヤ(帝国皇女:大尉)に帝国軍務尚書のアリオン皇子が近づいて声を掛けた。
「フレイヤ、何もお前が出ることもあるまい。部下に任せたらどうだ」
「兄上。相手がどんな者なのか、この目で見ておきたいのです。可能なら捕らえるか、撃墜します。これ以上、我らの動きを観察されるのは不味いでしょう」
「お前のいう事も一理あるが…」
「心配は不要です。フィンヴァラーは世界最高性能の戦闘用飛行機械です。安心して見ていてください。それよりも、帝国宰相殿が自らトリアイナ王国攻略に出て来て、問題はないのですか?」
「戦闘自体はガティスに任せて大丈夫だ。コーゼル准将もいるしな。上陸軍も十分に数を揃えた。よほどのことが無い限り成功するだろう。問題は占領後だ。ガティスでは占領後の統治は務まらん。ヤツでは無辜の民まで苛烈に扱う。それでは占領しても統治は難しい。だから、占領後は俺がこの地の総督に就任するつもりだ」
「なるほど…。しかし、皇帝陛下のお考えは?」
「皇帝陛下は、ガティスに統治させるつもりのようだ」
「それでは兄上は皇帝陛下の意に反するというのですか!?」
「そのつもりはない。総督については、まだ決定されたものではないからな。ギリギリまで交渉するつもりだ」
「そうですか。確かにガティスではだめだと私も思います。あいつは我が兄ながら狭量で粗暴すぎる。ヤツでは統治は出来ない。トリアイナ人の血が無駄に流れるだけです」
「その通りだが、あまり大っぴらにいうものではない。どこで誰が聞いているか分からん。密告でもされれば、いかにお前でも処断されるかも知れんからな」
「……肝に銘じます」
アリオンとフレイヤは周囲を見回すと、これ以上の雑談は無用と口を噤んだ。そこに、アム少尉が発艦準備が整ったことを知らせて来た。
「わかった。アム少尉、リュカ准尉。フィンヴァラーに搭乗!」
「はいっ!」
三人の女性搭乗員はそれぞれの愛機に乗り込む。整備員が機器のチェックを行った後、機体から離れた。フレイヤは起動操作を行ってフィンヴァラーを立たせ、見守るアリオンに向かって敬礼をすると、コクピット前の装甲を閉じた。
「ワルキューレ隊、発艦!」
スロットルを開くと同時に、甲虫の羽に似た背中の4枚の翼が展開し、マナを噴出し始め、フィンヴァラーを空に押し上げた。アリオンは発艦した3機のフィンヴァラーを見上げながら妹の無事を口にした。
「フレイヤ、無理はするなよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マルティア島まであと100kmという地点まで近づいた島津少尉の操縦する彩雲は、偵察に備え、巡航速度のまま高度を6千mから3千mにまで落としていた。
「そろそろマルティア島だ。高田、カメラの準備。大崎は念のため後方機銃の点検しとけ」
「了解!」
マルティア島が視界に入って来る。サンゴ礁で出来た大きな泊地には帝国の艦船がひしめいている。島津少尉は彩雲の機首を泊地に向けた。その時、全周警戒を行っていた大崎一等飛行兵が急速に接近してくる何かに気付いた。
「下方より高速接近する機体を確認! 機数3、ドロームではありません!!」
「なにッ!」
島津少尉が下方を見るより早く、その機体は彩雲の脇を抜けて上空に飛び、500m程の高度差を維持しながら彩雲の左右後方に展開して並行飛行し始めた。ドロームでは考えられない機動を見せたのも驚きだが、その異様な形状にもっと驚いた。
「な…なんだ、あれは…」
それもそのはず、今彩雲と飛んでいるのは見慣れた飛行機では無く、銀色の金属で造られた胴体に2本の腕と足、肩パッドのような大きな金属装甲、先の尖ったヘルメットのような被り物の下は鼻も口も無いのっぺりとした顔で無機質な目がついているだけの人形のような形状のものだった。その人形が背中から4枚の翼を展開して飛んでいる。
「あれが飛行長の言っていた奴ですか!?」
「あんな形で飛べるなんて、信じられん…」
高田上飛曹の声が震えている。島津少尉も大崎一飛も唖然として人形…帝国の新型飛行機械を見つめている。人形が3機とも一気に加速して抜き去り、彩雲の前に出て空中静止し、手にしているライフル銃のようなものを向けて来た。
「いかん!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アハハハハ! 噂のシュワルベとやらも大した事ないな。フィンヴァラーの速度性能には敵わんと見える」
フレイヤは余裕を持ってシュワルベを見た。ペンのように細い胴体に大きな2枚の主翼、機体後部にも二枚の小さな翼と垂直尾翼が立っている。何より帝国の飛行機械と異なるのは機首に取り付けた羽を回して、その推進力で飛んでいる事だ。
「ふむ…。この飛行機械からはマナの波動が感知できない。魔導機関で飛んでいる訳ではないのか? それに、この機体は3人乗りのようだな。ふふっ、驚いた顔でこちらを見てるわ。それにしてもセンスの無い薄汚い飛行服だこと。程度が知れるというものね」
フレイヤが彩雲を観察していると、僚機のアム少尉の声が魔道通信機から流れて来た。
「フレイヤ隊長、どう対処しますか?」
「そうね…。魔導機関ではない機体のようだし、捕らえるのは難しそう。であれば、撃墜してしまおう。その方が後腐れない。全機シュワルベの前に出ろ、魔導ライフル発射準備!」
「了解!」
3機のフィンヴァラーは彩雲を追い抜くと方向転換し、空中静止の姿勢で主兵装の50mm魔導ライフルを構えた。
「撃て!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「こなくそッ!」
島津少尉は咄嗟に操縦桿を右に倒し、フットバーを蹴った。彩雲は傾きながら右急旋回の機動を取る。機が傾いた瞬間、子供の拳程の大きさの真っ赤な熱エネルギーの塊が胴体の脇を抜けて行った。魔導ライフルの攻撃を躱した彩雲は大きく右旋回する。外したことに怒ったのか敵は彩雲を追いかけながら、旋回の未来位置に向かって魔導ライフルを撃ってきた。
「そうはいかねぇ!」
「喰らえ!」
島津は叫びながら彩雲の姿勢を立て直すと、スロットルを開いて上昇に移る。人型の敵に向かって大崎一飛が7.7mm後方機銃を放ったが弾は命中せず空を切り、高田上飛曹の怒号が飛ぶ。
「大崎、ヘタクソが!」
「すんません。機体が揺れて狙いが」
「言い訳すんな!」
彩雲の速度は約500kmまで増速したが、敵の人形はこの速度に付いて来る。それどころかじわじわと間隔が詰まって来た。ドロームならとっくに引き離しているが、見た目と違ってこの人形の速度性能は高そうだ。島津は操縦桿を一気に前に押し倒した。機首が下がり、滑り落ちるように彩雲は降下する。風防の上を魔導弾が何発も通過し、高田上飛曹は首を竦めた。大崎一飛が再び後方機銃を放ち、何発かが先頭を飛ぶ人形の胸に命中したものの、火花を散らすだけで弾かれてしまった。お返しとばかりに魔導弾が発射されるが、機体を急旋回させて躱す。
「ちくしょう、7.7mmが通じない!」
「防弾装甲か。グラマンみてぇなヤツだな。だが、あいつらの武器、弾をばら撒くって感じじゃなくて助かるな」
「くそ、彩雲は戦闘機じゃないんだぞ。直線番長で小回りは利かんのだ。これ以上の回避は無理だ。逃げに出るぞ」
魔導弾を躱した島津は降下から水平飛行に移ると一気にスロットルを開いた。誉発動機が唸りを上げ、全備重量4.5トンの機体を加速させる。時速600kmに達したと同時に後方を確認すると人形は追いついてこられないようだ。
「この速度にはついてこられないようだな。高田、アイツの撮影はしたか!?」
「すんません、撮れてません」
「なにやってんだ貴様! くそ、仕方ない、戻るぞ」
「戻るんですか!?」
「そうだ。ヤツの写真は何としても葛城に届けねばならん。高田、今度こそしっかり撮れよ。いくぞ!」
彩雲は速度を維持したまま大きく左旋回して、追尾していた人形に向かうと、まっしぐらに突き進んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「何だ、アイツは。フィンヴァラーが追い付けんだと!?」
「フレイヤ様、ライフルの弾がありません!」
あっという間に引き離されたフレイヤ達はフィンヴァラーを空中静止させて彩雲の飛び去った方向を茫然と見つめていた。さらに、アム少尉からライフルの弾切れを知らされる。確認すると自分のライフルもあと1、2発しか撃てない。
(やつらの武器は貧弱でフィンヴァラーの装甲は打ち抜けなかった。しかし、速度性能は我々を上回るというのか。シュワルベめ、なんてヤツだ。この屈辱、忘れんぞ…)
悔しさに顔を歪めるフレイヤに、リュカ准尉からの魔導通信が入ってきた。
「フレイヤ様、シュワルベが戻ってきます!」
「なに!?」
コクピット内の魔力映像を見ると、確かにシュワルベが戻って来る。奴らの武器ではフィンヴァラーを落とせないのは分かっているはず。何のために…。
(アイツ等の思惑なんかどうでもいい。これは大きなチャンスだ。今度こそ撃ち落とす!)
「アム、リュカ。お前達は左右に展開しろ。アイツは真っ直ぐ向かって来る。引き込んで三方から魔導噴進弾をお見舞いする!」
「了解!」
アム少尉とリュカ准尉のフィンヴァラーが左右に広がった。フレイヤは自機を少し後退させてシュワルベを呼び込む形をとった。
(さあこいシュワルベ。もうすぐお前の最後だ…)
フレイヤはタイミングを見計らう。シュワルベの機影が段々大きくなってくる。そして、その時が来た。シュワルベが展開するフィンヴァラー3機の間に入った!
「魔導噴進弾発射!」
「発射!!」
フィンヴァラーの両肩、両足の格納装甲が跳ね上がり、魔導噴進弾が一斉に発射され、シュワルベ目掛けて飛んだ。フレイヤは勝利を確信する。3機合計60発もの噴進弾の網に捕らえられたシュワルベが爆散する瞬間を想像してほくそ笑んだ。しかし…。
「なにッ!」
フレイヤは目を疑った。噴進弾が命中する寸前、シュワルベが機体を捻って急降下したのだ。噴進弾はシュワルベがいた位置に収束して連続爆発するが、既にシュワルベはいない。フレイヤが下方を捜索するとシュワルベは海面近まで降下し、高速で飛び去って行くのが確認できた。悪態をつくフレイヤの元にアム少尉とリュカ准尉のフィンヴァラーが集まってきた。
「フレイヤ様…」
「…帰投する」
「はい…」
母艦に戻るフィンヴァラーの中でフレイヤは屈辱で心が搔き毟られ、悔し涙を流すのであった。
(この悔しさ、絶対に忘れないから…)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
敵が追って来ない事を確認し、安堵した島津少尉は海面飛行から高度3千mに上げてトゥーレ島の臨時飛行場に向かって帰還の途についていた。
「なんとか振り切ったな。高田、写真は撮れたか」
「バッチリですぜ。ただ…」
「ただ、なんだ?」
「マルティア諸島の敵艦隊の動きを見ることはできませんでしたね」
「…仕方ないだろう。まさか、あんなヤツがいるとは思わなかったからな」
「最後の隠し玉、凄かったですね。噴進砲ですか、あれ」
「間違いないだろう。操縦桿を倒すのがあと一歩遅れてたら木っ端微塵だったな」
3人は最後に人形が見せた噴進砲による攻撃を思い出してゾッとした。
「まあ、何とか躱すことができたし、良しとしよう」
「ですね、早く帰って一杯飲みてぇなぁ」
「報告終えたら街に繰り出すか!」
「そりゃあいい!」
「飲み代は高田の奢りな。最初の写真撮影を失敗した罰だ」
「え~っ、そりゃあねぇでしょう」
帰還する彩雲のコクピットに3人の笑い声が響いた。




