政略結婚したら、旦那さまがもふもふを愛ではじめました
精霊の国デルファーレンから、友好国へ嫁ぐことになりました。
わたくしは第八王女コーデリア、十七歳。
立場も歳も、政略結婚にあつらえ向きだと自分でも思います。
結婚相手は、不慮の事故で両親と兄を亡くしたことで、数年前に若くして侯爵となった方。
宮廷魔術師として常に研究室にこもり、画期的な魔術を開発し続けている天才だそうです。
セオドリック・シェルビーさま、二十歳。
金色の髪に金色の瞳は魔力量が多い人間の特徴で、極めて稀な存在。
眉目秀麗で、切れ長の瞳で見つめられた女性は瞬く間に恋に落ちてしまうほどだとか。
その美しさ故に幼い頃から常に言い寄られ、十代中頃からは、妙齢の女性が卑劣な手段をとるようになり女性不信が加速。
結果、もう結婚はしない宣言をして、魔術師塔から全く出てこなくなったそう。
そんな方と政略結婚することになり、わたくしは今から結婚の誓いを交わします。
隣に立つセオドリックさまからは、不機嫌そうな空気がひしひしと伝わってきます。
時たまボソッと『あれ? 精霊じゃ……? どういうことだ』といった類いの疑問が聞こえてくるので、やはり勘違いをしたままこの日を迎えたのでしょう。
サージェリクス王国の教会で大勢から祝福される中、セオドリックさまはわたくしの頭と体をすっぽりと覆う、透け感のあまりないレースのヴェールを持ち上げました。
わたくしは精霊の国の王族特有の赤い髪に、緑色の瞳をしています。
派手な色味ですが、れっきとした人間。
目と目が合った瞬間、セオドリックさまはピシリと岩のように固まってしまいました。
この方は自分の結婚相手の外見特徴が人間と全く同じだなんて、思ってもみなかったのでしょう。
精霊という生き物は、手足や目玉がいくつもあったり、一つもなかったり。体は固形だったり液状だったり様々。
そのため、精霊の国は異形が住む国だと思っている人間が多いそうですから。
セオドリックさまは一分ほど固まってから、ようやくわたくしの額にキスをする振りをしました。
とても不機嫌そうなお顔。
ですが自分の妻となる存在のことを何も知らないまま、この時を迎えているのは彼の自業自得。
彼の家の血筋が途絶えないように、この国の王家がとった手段に簡単に引っ掛かってしまったのですから。
今さら結婚の取り消しなんてできませんので、諦めてください。
心の中で話しかけていると、セオドリックさまから黒い感情が伝わってきました。
焦り、後悔、絶望、諦念。すごく複雑なご様子。
それにしても。
いつもなら味見程度に済ませていますが、この方は今日から夫となる方。
伝わってくる感情をできるだけ吸い込んでおくことにしましょう。
他人の感情を吸い込んでその味の違いを楽しむのは、わたくしの持つ能力。
なぜそんな能力があるのかというと、生まれつき持っていた、としか言いようがありません。
精霊の国では、様々な特殊能力を持って生まれてくることが普通なので。
夫となる方から初めて向けられた感情はほろ苦い。
こんなに黒い感情を味わい続けるのは久しぶりで、刺激的で。
いけないと分かっていても、あと少し、あと少しだけと止められなくて。
結果、わたくしは結婚式が終わってすぐに意識を失ってしまいました。
***
知らない天井とはこのこと。
「……わたくしは倒れてしまったのね」
知らない部屋、知らないベッドに寝かされていて、意識を失う前のことを思い起こしました。
視界が黒く染まる前に見えたのは、旦那さまが慌てて両手をこちらにのばす姿。
苦手な女性を受け止めようとする最低限の優しさはあるようです。
さて、起き上がろうと頭を持ち上げ、目眩を覚えて枕の上に頭が戻ってしまいました。
吸い込んだ黒い感情を吐き出すのを忘れていたと、胸のあたりにググッと力を入れて、体の外に放出。
わたくしの中から黒いものがポンッと飛び出して、床の上に重量感のある音をたてて落ちました。
「トゲトゲしているわ」
そうとしか形容できないくらい、全体がトゲトゲな黒い生き物。目玉は中央に一つだけ。
トゲトゲした生き物は、転がり、跳び跳ねて、開いた窓から外に出ていきました。
スッキリしたところで起き上がり、床の上に見えたのは小さな穴と傷。
野外で放出すればよかったと後悔しました。
「さすがにあんなにトゲトゲだなんて思っていなかったもの……」
言い訳を一つ呟きながら、トゲトゲが出ていった窓に近づきました。
先ほど放出した生き物は、精霊とよばれるもの。
精霊の国では自然界に多く存在しています。
わたくしは他人が抱いた感情を吸い込み、自身の魔力と合わせて、精霊をうみ出すという特殊能力持ち。
普段は精霊がうまれるほど他人の感情を吸い込むことはしないけれど、夫となった方の人となりを少しでも知りたいと欲張ってしまいました。
窓の外は見渡す限りの緑が美しい。
貴族の屋敷の庭園というより、もはや森。
「ここはどこでしょうか……」
結婚式を挙げた教会は建物が多く建ち並ぶ都会のど真ん中にあったので、そこからずいぶん離れた場所なのは確かです。
一人、疑問を口にすると、部屋にノックの音が響きました。
入室を許可して中に入ってきたのはエプロンドレスを着た中年女性。
「お初にお目にかかります奥さま。お目覚めになって安心いたしました」
「心配をかけたようね。ごめんなさい」
言葉を数度交わして、女性はこの屋敷で働く使用人で、シェリーという名前だと知りました。
ここは旦那さまが所有する屋敷で、これからわたくしが住む予定の家だそうです。
「こんな森の中ですが、一先ずここでお住みいただくことになり……」
シェリーは申し訳なさそうにしています。
精霊の国からやってきた王女が、こんなに人間らしい姿だなんて思わなかったようです。
精霊は自然豊かな場所を好むので、快適に過ごせるようにと配慮してくださったのでしょう。
「いいえ、可能ならずっとここで暮らせたら嬉しいわ。澄んだ空気が最高だもの」
笑顔で本心を伝えると、シェリーは目元を和らげました。安心したようです。
彼女は一度退室してからお医者さまを連れて戻ってきました。
お医者さまはわたくしの健康に問題がないか診察し、『いたって健康ですな』と言って帰っていきました。
「あの方はここに住み込みのお医者さまなの?」
「いいえ、王都から問診にきていただいた方です」
「こんな森の中に?」
「この屋敷には転移魔法陣が備わっていますので、そちらを使っています」
「そうなのね」
優秀な魔術師のお屋敷ですから、そのようなものがあってもおかしくありません。
その日はシェリーを含む三人の使用人の世話になり、一日を終えました。
***
旦那さまがわたくしの部屋を訪れたのは、結婚してから三日後の午後。
疲れたご様子で、目の下に立派なクマが住み着いています。
徹夜でこなさないといけない大切なお仕事があったのでしょう。
疲れているはずなのに、わたくしの様子を見にきてくださったことが嬉しい。
旦那さまはわたくしの体調を聞き、元気だと知りホッとした後、何かを決心したような険しい表情になりました。
「私が君を愛することはない。それだけは知っておいてほしい」
「ええ、それは最初から存じております」
さらりと答えると、旦那さまは安心したようで、軽やかな感情が伝わってきました。
旦那さまから向けられる、初めての穏やかな感情。
欲張ってまたたくさん吸い込んでしまい、気分が悪くなってきました。
倒れては心配をかけてしまうので、すぐに吐き出してしまいましょう。
わたくしの中からポンッと飛び出したのは、白いふわふわ。
片手には収まらないけれど、両手に収まるサイズ感で可愛らしい。
床に落ちた生き物を旦那さまは凝視しています。
「……それは何だ」
「精霊です」
「君から飛び出したように見えたのだが」
「間違いありません」
絶句する旦那さまに、わたくしは自分の魔力から精霊を生み出せる能力を持っているとお教えしました。
前提条件の『他人の感情を吸い込んで』という部分はもちろん秘密。
気味悪がられるに違いありませんから。
旦那さまは白い毛玉に興味津々で、じっと観察。
その動きを一瞬も1ミリも見逃さないという、研究者としての熱い精神が伝わってきます。
毛玉には短い手足があり、二足歩行か四足歩行のどちらかはまだ分かりません。
つぶらな瞳が二つに小さな口の可愛らしい容姿です。
白い毛玉は四つん這いになってぷるぷるして、立ち上がろうと頑張っていて、旦那さまが何かを呟いています。
その声は高揚と共に大きくなり、頑張れ、頑張れとはっきり聞こえるようになりました。
毛玉は一分ほどプルプルした後、ついに二足で立ち上がりました。
「よく頑張った! クリスティアーヌ……ッ!」
感極まったように叫んだのは旦那さま。
ハッと口を押さえても、もう遅かったようで。声と共に魔力も発せられて、淡く光る白い毛玉。
「あらら」
わたくしは発光し終えた毛玉を両手ですくい、旦那さまに差し出しました。
え、え、と狼狽えながら、わたくしよりずいぶん大きくてペンだこのある両手を出してくるので、その上に毛玉をポンと乗せます。
「クリスティアーヌは旦那さまの契約精霊となりました。しっかり面倒をみてくださいませ」
わたくしがそう言うと、精霊に名前と魔力を与え、契約してしまったことにようやく気づいた旦那さま。
精霊側には拒否権がありますが、名前と魔力を放たれてすぐに受け入れていました。
旦那さまは手の上のクリスティアーヌをじっと見て、嬉しそうに微笑みました。
可愛らしい笑顔にキュンとなってしまったのは仕方ないこと。
こんなに美しい男性の笑顔を見てキュンとならない女性はあまりいないでしょう。
「これからは四六時中、旦那さまのすぐ近くにクリスティアーヌがいることになります」
精霊と契約者は遠く離れることは不可能。
責任をもって面倒を見るように。といっても定期的に魔力を与えるだけという説明を聞き終えると、旦那さまは嬉しそうに退室していきました。
数日後。
クリスティアーヌの元気がないと、旦那さまがわたくしの部屋に駆け込んできました。
お仕事の合間に魔術師塔から戻ってきたようで、黒いローブ姿です。
たしかに、クリスティアーヌはぐったりしていて、ふわふわだった白い毛がペタンとして弱々しい。
腹部に手を当てて視ると、旦那さまから十分に魔力を供給されている様子。
それなら、原因は一つ。
「旦那さまは一日をどのようにお過ごしですか?」
「早朝から夜まで、魔術師塔の研究室にこもっている。それ以外の時間はこの家の自室で過ごしているが」
「お外に出ることは?」
「休日以外はないな。この家のロビーから魔術師塔のエントランスまでは転移魔法陣で直通だ」
旦那さまのお話を聞いて原因が確定しました。
「精霊には契約者の魔力の他に、最低限の日の光が必要だとご存知ですか?」
旦那さまは慌ててすごい勢いで部屋から出ていきました。
追い付ける自信はないけれど、クリスティアーヌが気になるのでわたくしも後を追うことに。
もう姿が見えないところまで行ってそうですが。と思ったら、廊下で転がっておられます。
どうやら足がもつれてこけたようで、クリスティアーヌを両手で死守したため犠牲になった顔面の痛みに悶絶中な旦那さま。
その後も二度ほどこけて、中庭の一番日当たりがいい場所にやってきました。
今日は晴天。
クリスティアーヌは気持ち良さそうに日光を浴びて、一分もたたずに元気になりました。
「まさか最低限の日の光すら浴びない生活をされているとは思わず、きちんとお伝えしなかったことをお詫びいたします」
両手を胸の前に揃えて謝罪すると、旦那さまは首を横に振りました。
「いや、きちんと確認しなかったこちらの落ち度だ。これだけの日光すら浴びていないだなんて思わなかっただろう」
旦那さまはそう言って、様々な感情を流した。
自己嫌悪、安堵、決意。
それらをわたくしは吸い込んで、また精霊がうまれます。
草の上にポテッと落ちたのは空色の精霊。水のように向こう側が透けて見えます。
地面をポヨンポヨンと飛び跳ねて元気一杯。旦那さまの周りをずっと跳ね回っています。
名付けてしまいそうになって堪えているのか、旦那さまは唇をかみながら両手を強く握りしめています。
「旦那さまの魔力量の多さなら、精霊の二体や三体と契約しても全く問題ないかと」
それどころか、何十体でも余裕そう。
彼が求めていたであろう説明を終えても、旦那さまは浮かない顔。
「……もしかして、クリスティアーヌを弱らせてしまった自分が二体目と契約するだなんて。などとお思いで?」
旦那さまの眉がピクリと動き、図星だったようです。
「精霊にとって契約者の魔力は極上で幸せそのもの。あなたは人一倍魔力をお持ちなのですから、罪滅ぼしに一体でも多くの精霊を幸せにしてあげてはどうでしょう」
そこまで言うと、旦那さまの金色の瞳に光が戻りました。
「……フレディ」
空色の精霊に名付ける旦那さま。
ポヨンポヨンとすり寄る様を愛しそうに見つめていて、少し胸が痛みました。
自分にも、ほんの少しでもその感情を向けてほしいだなんて。
わたくしは側室から生まれた第八王女。
父と母に会うのは一年に一度の建国祭のみ。会うというよりも、その場に同席しているだけで、挨拶以上の言葉は交わしません。
両親から離れての離宮暮らしは特に辛くもなんともありませんでした。
物心ついた頃からそんな環境でいたものだから、両親への愛はありません。
ただ、書物によると家族とは一般的には、毎日言葉を交わせる距離で一緒に暮らすものだと知り、どんなものだろうと憧れを抱いていました。
いつでも政略の駒になるようにと様々な教育を受け、健康には十分に気を遣われて、欲しいと思ったものはすぐに手に入る環境。
王族とはどのような存在か、庶民の生活はどのようなものか。
きちんと教育を受けたため、自分がどれだけ恵まれた環境にいるのかは理解していました。
だけどほんの少しでも、家族の愛というものを感じてみたかったのです。
愛のない政略結婚だとしても、いつかはと夢見て。
***
休日に旦那さまと一緒に過ごすことが増えました。
わたくしは積極的に言い寄ってくる人間ではないと気づき、警戒心を解いてくださったから。
今日も中庭の一番日当たりがいい場所に座り、日向ぼっこをしています。
旦那さまの周りには三体の精霊。
クリスティアーヌ、フレディ、クラリッサ。
クラリッサは胴の長い犬のような姿で、優しい若草色をしています。
旦那さまは生き物が好きらしく、犬や猫を飼うことが幼い頃からの夢だったそう。
魔力が多すぎるせいで、動物は旦那さまを前にするとひれ伏してしまうので、申し訳なくて飼えなかったようです。
いつか飼える日を夢見ながら。もし飼えたならと想像しては名前を考えていたようです。
だからとっさに『クリスティアーヌ』と呼んだと知り、忘れられない女性の名前でなくて心からホッとしました。
念願の生き物と生活できるようになり、そのうちの一体は旦那さまが夢見ていた犬っぽい姿。
その子を一番可愛がるのかと思いきや、三体に分け隔てなく愛情を注がれています。
優しい方。
じっと見つめていると、旦那さまが見つめ返してくださって。
そこから感情が流れ込んできました。
「あ……」
わたくしはそれを吸い込めるだけ吸い込んでから、少し用事を思い出したと言って席を外しました。
旦那さまから見えないところまで小走りでやってきて、精霊がポンと飛び出しました。
淡いピンクの花が集まったような、耳の長い精霊。
二本の足でピョンと飛び跳ねて、どこかに行ってしまいそう。
つい生み出してしまった精霊とはいつもならすぐにさよならするのに、お別れしたくなくて、いかないでと願って。
「待って、っ────ライラ!」
慌てて名前をつけてしまいました。
旦那さまのように昔から考えていた名前があるわけではなかったため、とっさに好きな花からの名付け。
わたくしの前から立ち去ろうとしていたライラは、くるりと振り返ってこちらにやってきました。
ぎゅっと抱きしめるとお日さまと花のような香り。
旦那さまから向けられた、可愛い、愛しいという感情の思い出。ずっと大切にしようと誓いました。
「その精霊はいつうまれたんだ?」
旦那さまの元に戻ると、わたくしが抱きしめているライラのことを尋ねられました。
「内緒です」
そう言って、頬が熱い。わたくしの顔はきっと赤くなっているのでしょう。
それから数日が過ぎ、いつものように日向ぼっこをしていると、旦那さまが不意に口を開きました。
「そういえば、君は私の名前を知っているか?」
「もちろんです、セオドリックさま」
「んんっ、そうか」
そっぽを向く旦那さまから嬉しそうな感情が伝わってきます。
思えば彼の名前を口にするのは初めてかもしれません。
それにしても、そんなことを聞くということは、もしかして。
「旦那さまはわたくしの名前をご存知ですか?」
「コーデリアだろう」
即答でした。
「知らないはずがないだろう」
旦那さまは可笑しそうに笑いました。
ちょっと無邪気さのある笑顔は初めてで、どんな笑顔も可愛らしいお方です。
先に質問してきたのはそちらですよと言うと、そうだったなとまた笑います。
初めて名前を呼ばれて、胸のあたりがもぞもぞとします。
旦那さまからも、同じような感情が伝わってきて、すごくたくさん伝わってきて。
淡い黄色の精霊がうまれました。
綿毛のようにふわふわとしていて、実際風にさらわれて飛んでいきそうになり、旦那さまが反射的に捕まえました。
旦那さま。この温かな感情からうまれた精霊には、どのような名前をつけましょうか。