13周目の人達
「よし、たくさん話したけど、これで今日分の説明はおしまい。続きはまた明日な」
先輩はそう言ってぐっと伸びをした。
「いやー、一番最初に目が覚めたからって部長とか任されたけどさあ。俺、こう言う説明役あんまり向いてないと思うんだよなあ」
疲れる。と先輩は手近な椅子に座って溜息をつく。
背もたれに体重を預けて足を組む先輩と、黙って今聞いた話を考える私。
ど、どうすればいいんだろう……。
この空気が微妙すぎて、聞いた話を繰り返し咀嚼するしかない。
でも、咀嚼するには重すぎる話だ。
それでもなんとか噛み砕こうとしていると、ドアの向こうで部屋のロックが解除される音がした。
「先輩ただいまー」
入ってきたのは白いコートを羽織った男子と、小柄な女子。
「おかえり。あれ、二人?」
「うん。二人は飲み物取りに行ってから戻るって――あ」
先輩に頷いてた男子が私に気付いた。
「つぅちゃん!」
ぱあっと笑顔になった彼は、返事を切り上げ、跳ねるように駆け寄ってきた。青のネクタイと灰色の髪を揺らして隣の椅子に膝で飛び乗ると、その勢いを受け止めた背もたれが、ぎっと音を立てた。
「雪兎」
「うん、僕だよ」
榛色の目を嬉しそうに細めたのは、同級生で幼馴染み。峰越雪兎。
可愛い系男子の名をほしいままにするその笑顔は、今日も絶好調らしい。
声変わりを終えてもまだ高い声も変わらないし、昨日も廊下で「また明日ねー」なんて手を振られたはずなのに、彼の反応はなんだか久しぶりに会ったようだった。いや、実際久しぶりなのだろう。
そんなことを考えてたら、雪兎の後ろから女子生徒が顔を出した。
一年生の赤いネクタイ。グレーのコートを抱いて、草色の目が不安げにこっちを伺っている。ハーフアップにした栗色の毛先が、肩からさらりと落ちそうだ。
「叶夜ちゃん」
「お久しぶり、です」
後輩の叶夜未来ちゃん。
最後に会ったのは少し前だったかもしれない。あれから少し髪が伸びてる気がする。いや、時間経過の実感はないんだけど。
でも、元気そうだ。よかった。
「つむぎ先輩。体調とか、どうですか?」
通りやすいけど控えめな声に頷く。
「うん、今のところ元気だよ」
ありがとうと返すと、彼女の表情がふわっと緩んだ。
その笑顔はお人形というか小動物というか。私にはないかわいらしさがある。
うんうん、叶夜ちゃんはこうやって笑ってるのがいい、すごく癒される。かわいい。と心の中で強く頷く。
「あ。未来ちゃんここ座っていいよ」
僕こっちに座るから、と、雪兎が椅子から降りて叶夜ちゃんを座らせる。角を挟んだひとつ向こうの席に座ると、再びドアの向こうでロックの外れる音がした。
「おかえり」
「戻りました」
巳山先輩の声に応えながら入ってきたのは二人。
色の薄い髪を整えた、華奢な男子。牛若くんと。
背が高くて、少し近寄りにくい雰囲気がある、狗神先輩。
「あ、子津さんだ」
コートを脱ごうとした牛若くんが、私に気付いた。
左目の泣きぼくろで目元にちょっと蕩けるような印象がプラスされた彼は、特に変わった様子もなく「久しぶり」と挨拶をくれた。
「うん。久しぶり、だね?」
「って言っても、子津さんからするとそうでもないよね。多分」
「う、うん」
だよね、と彼はあっさり話を終わらせ、脱いだコートを抱えてロッカールームへと消えていく。彼のマイペースな感じは変わらないようだ。
狗神先輩も、牛若くんの反応に合わせて私の方を見ていた。
制服の上着の代わりにパーカーを着てて、ヘッドホンを首にかけてる。黒い髪に、黒縁眼鏡。くすんだ紫色の視線が鋭い。
「初めまして。子津、です」
「ああ、百瀬から聞いてる。狗神だ」
挨拶をしたけど、先輩の返事は言葉少なだった。初対面だし、そういうもんだろうと思っていたけど。
「狗神、なんか機嫌悪くない?」
巳山先輩からすると、なんか違ったらしい。
「別に」
その問いに返す言葉も少ない。口数が少ない人なのかもしれない。叶夜ちゃんなら詳しく聞けるかもと隣を向くと、彼女の表情は硬かった。
「叶夜ちゃん? どうしたの?」
「あ。いえ、その……なんでも、ないです」
「そう?」
はい、と叶夜ちゃんは頷いたけど、その表情に元気はないというか、怖がっているように見えた。
一体何を、と考えるまでもない。今部室に入ってきた人のどちらか――多分、狗神先輩だろう。
「別に、って。その答え方が答えだろ。何したんだよ」
「何もしてねえよ」
巳山先輩は呆れたように苦笑いをして、狗神先輩はため息をつく。
その口は不機嫌そうに曲がっていて、たしかにちょっと怖い雰囲気はある。あるけど。先輩達のやり取りに、叶夜ちゃんがここまで怖がる理由が分からない。
というか、叶夜ちゃんと狗神先輩は仲が良かった気がするんだけど。これが巳山先輩の言っていた「関係はちょっと違うかもしれない」だろうか?
ちょっとどころではない気もする。やっぱり何かあったのかなあ……。なんて考えていると。
「先輩は、叶夜さんを驚かせてしまって機嫌が悪いんです」
戻ってきた牛若君が、あっさりと答えをくれた。
「……牛若」
低めに響いた狗神先輩の声を「だって事実ですし」とさらりと流す。
「それに先輩、叶夜さんも悪気がある訳じゃないって分かってるでしょう? “特性”なんだから仕方ないですって」
流すだけじゃなくて、懇々と言って聞かせている。先輩を相手に牛若君は引く様子がない。
「なるほどな。狗神。お前さんはただでさえ当たりが強いんだから、普段からもっと優しく接しろって言ってるだろ?」
巳山先輩もクスクス笑いながら宥めるような声をかける。が、狗神先輩の声に含まれた苛立ちは治った気がしなかった。
「うるせえ。お前らは関係ないだろ」
「まあ、そうですけど」
「そうだけどね。でも、俺としても色々思うところはあるワケよ」
そんな言葉に返されたのは、同意とも諦めとも取れそうなため息。巳山先輩もそれ以上何も言わず、とりあえず今の話はおしまいになったようだった。
「叶夜ちゃん。大丈夫だよ」
緊張した面持ちの叶夜ちゃんを安心させようと、声を掛ける。
ね。と言葉をかけると、彼女はこくりと頷いた。返事が早かったから、きっと分かってはいるのだろう。
「そうそう、叶夜さんが気にすることじゃ――」
牛若君も声をかけながら椅子の背もたれに手を掛け――バキン、と音がした。
「あ」
その音で、部屋中の視線が牛若君に集まる。
背もたれが真ん中で折り畳まれていた。プラスチックの部分は完全に割れて、クッションに親指が埋もれている。痛そうではないけど、怪我をしてもおかしくない。
でも、彼は慌てる様子もなく指を引き抜いた。
「部長、すみません」
「ん。あとで新しい椅子に変えといてね」
巳山先輩も普通に答える。
はい、と頷いた牛若君は割れた背もたれを少し見て、外れかけてる方をちぎり取る。まるで食パンのように軽くねじっただけで取れたけど、柔らかいパンは「バキン」なんて音はしないし、断面はどう見ても硬そうだった。
「牛若君……指、大丈夫? 怪我とか、してない?」
壊れた椅子を部屋の隅に置いて戻ってきた牛若君に声を掛ける。
あまりに普通にやり取りが進んでたけど、怪我とかしてたら大変だ。
「ん? ああ、大丈夫だよ」
ほら、と牛若君は手を広げて見せてくれた。細くて白い指には傷ひとつない。
「気を抜くとやっちゃうんだよね」
気にしないで、と広げた手をひらひらさせる。
「ええ……」
「牛若くんね、怪力なの」
困惑してる私に、雪兎が教えてくれた。
「怪力……?」
「うん。重いもの持ったり、硬いもの壊したりできるよ」
できるよ、と雪兎は当たり前のように言うけど、牛若君にそんなイメージは全然ない。むしろ、ピアノを弾いてたり、少し病気がちだったりして線の細いイメージの方が強かった。なのに怪力って。
「どういうことなの……?」
「うーん。“特性”だから、かなあ?」
「特性?」
さっきも聞いた単語だ。一体なんだろう?
「うん。そう言うのがあるんだ」
頷いた雪兎の視線が動いた。私の前に置かれたファイルだ。
「今見たのが一番分かりやすいと思うけど。多分そのファイル読んだら分かるし、先輩も今度説明してくれるよ」
「うん」
□ ■ □
「よし、これで部員はみんな揃ったね」
狗神先輩。牛若君。雪兎、叶夜ちゃん。そして私。
全員が巳山先輩の声に注目する。先輩はその視線を受け止めて、うんうんと頷いた。
「それじゃあ、今日のミーティングをはじめよう」
先輩はホワイトボード用のペンを拾い上げ、くるりと回してそう告げた。
峰越雪兎:2年生。紬の幼なじみ。ちょっと小柄の癒し系男子。