それは別離を込めた一言。
「それじゃあ今は……」
「ふふ。今はまだ決定打がないから大丈夫だよ」
「嘘つけ」
さっきから隙を狙ってるだろ。と、狗神先輩が鋭く言葉を挟む。視界の隅で叶夜ちゃんがビクッと身体を強張らせたけど、それを気にする様子はなかった。
背後にいるとはいえ、あれだけ気にしていた叶夜ちゃんの様子に気を払わない。それだけ先輩にも余裕がないってことなのだろう。
それに対して、雪兎はあははと困った顔で笑った。
「狗神先輩は誤魔化せないなあ。うん。そう。先輩が警戒してるから手が出せないだけ」
セキュリティだって準備万端なんだけどね、と雪兎がちらっとどこかに視線を向けた。
その視線の先は監視カメラ。答えるようにチカリと光ったような気がした。
まっすぐ射抜くような、細い針金を通すような。視線を感じるというか。どこかに縫い付けられそうな気がする。
ああ、この部屋が怖い気がしたのは、あれがただのカメラじゃないからだ。
じっと見ているのも良くない気がして、雪兎の方に視線を戻す。
「あのね。猫って、誰なのか知られちゃいけないんだ」
雪兎は目を伏せるように、床に視線を落としていた。口元は笑っているように見えるけど、どんな表情なのかはよく見えない。
手をうしろで組んで、ゆらゆらと揺れてる。
「気付かれると都合が悪いんだって。だから、僕達は猫について深く考えることができないようになってて。猫はその存在を秘匿すべく動くようにもなってる」
「……」
私達の沈黙を気にしていないのか、雪兎は思い出話を語るように喋る。
「僕は聞かなかったフリをすることもある。今みたいに、堪えることだってある程度ならできるよ。でも」
揺れていた体がぴたと止まった。
前髪の隙間から、赤い瞳がこちらを見たような気がした。肩の力を抜くように深く吐いた息は、ため息のようだった。
「思考はどうしてもそっちに傾くし、衝動を抑えるのも結構辛いんだよね。だから、咄嗟の状況には対応できないこともある」
「なるほど、トリくんはそのパターンだった?」
「シュウくん?」
こて、と首が傾いた。
「みんなが死んだ時のことを思い出して、彼だけ心当たりがなかった。だったら、猫の正体に気付いたんじゃないかって」
「――」
答えには間があった。靴が床を叩く音に、「そう」と呟きが重なって聞こえた。今にも泣きそうな顔で笑っている。
「そうだよ。偶然だったんだ」
答えはさらっとしていた。
「ヒントはすごく近くにあるからね。意外とあっけなくたどり着けちゃう。つぅちゃん」
「……」
「僕達が集められた条件、知ってるよね?」
雪兎の視線が私の方を向く。赤い瞳に言葉が詰まりそうになる。答えろということだろう。
私達がこうして集められた条件。
十二支部に所属している理由。
それは。初日に先輩からされたものと同じ質問。
「名前に、十二支の名前があること」
「正解」
でも80点くらいかな、と付け足された。
「それだと僕はただの兎」
そう言って、ううん、と首を横に振った。笑っているのは口元だけだ。
「最初は本当にただの兎だったんだ。たぶん」
雪兎の指が白いコートのボタンを撫でる。はあ、と、重いため息が聞こえた。
「正確には、十二支の成り立ちに関わる動物の名前を持ってること。ホントはどんな動物でもいいのにね。敢えてこの十二匹を選んで」
「猫は後付けで追加された、と」
言葉を継いだ巳山先輩に頷く。
「なんのために?」
「監視。近くで見て報告するの。危なかったら処分もする。みんな死んだら死んでいいんだって」
「悪趣味だなあ」
「ホントだよね」
声が苛立っている。それを逃すように、足元からぱたぱたと床を叩く音がする。そんな癖なかったと思うけど……もう分からない。
ボタンに引っかかった指がはずれて、手がすとんと落ちた。
「僕は猫であり、兎でもある。大人はそんなどうでもいいことに気付いちゃったんだ」
峰越雪兎。みねこしゆきと。
名前に「兎」を持つ彼は。
苗字に「ねこ」を持つことに気付かれた。
「シュウくんはさ。ちょっと変わった呼び方するでしょ」
「? そう、なんですか?」
私は鳳君と関わりが少ないから知らない。巳山先輩を見ると、「そうだね」と頷いた。
「俺は普通だったけど、狗神をガミ先輩とか、若くんをワカ先輩とか……そんな風に呼んでたかな」
それで? と巳山先輩が雪兎に話を促す。
「シュウくんは時々、僕のあだ名も考えようとするんだ。その時にうっかり言うんだよね。――ネコ先輩、って」
自嘲なのか苦笑いなのか分からない、翳った笑み。
「小さな声だったし、それだけなら良かった。なんとかなったと思う。でも、もう一歩先に進んじゃった」
「先輩……猫だったんスか?」
「それ聞いて……我に返った時には遅かったんだ。気付いたらシュウくんも僕も真っ赤だった。まだ息はあったんだけど。僕の手はトドメを刺すように首を掻き切ってた」
警戒はしてたのになあと呟きながら左手を見つめる。コートの袖から見えるのは、普通の。いつも見るのと変わらない手だ。
「なるほど、それは偶然としか言えないね」
「でしょ。自分の中の「猫」が動いちゃうと、僕は僕を見失っちゃう」
手を軽く握り、開く。
「僕は、そういうものにされちゃってる。それでも、少しずつ自分の意志も保てるようになってきて」
「で、この事態を引き起こしたってワケか?」
「もうこれしかなかったんだよ」
吐き捨てるような答え。
「もうこんなの見てられない。自分達がオリジナルだと信じ込んで使い潰される実験体なんて、全員消えた方が良い」
「雪兎。本気でそれ思ってるの?」
思わず挟んだ言葉に、雪兎の顔がハッとしたように上がった。すぐに視線を逸らされる。
「思ってる。さっきも言ったでしょ」
「雪――」
「思ってるんだよ!!」
強く返された声に気圧された。
雪兎の頬に、大粒の涙が見えた。
「僕達は失敗作だって言われて、何度も何度も死んだり殺されたりして作り直されてんだよ。ただのオモチャじゃん! そんなの、許したくないじゃん!」
その声は必死だけど、次第に彼の表情は笑っているように見えてきた。涙でボロボロに濡れているのに、その口はもう笑う以外できないように見えた。
「けど。神様に認められた十二人に入れなかった猫は、仲間になりたいから神様の言う事を聞くしかないんだよ」
「ああ、それが君を縛る一番の特性なんだね」
巳山先輩の声は悲しげだった。でも同情はない。ただ、憐れむだけの声。
「でも、約束が果たされる日は一度も来ない。それがきっと、彼らが君に埋め込んだ逸話だ」
「そう。僕は都合のいい道具だった。みんな、あいつらに良いように利用されて死ぬしかないなんて……はは、おかしいじゃない」
おかしいでしょ。と、雪兎は顔を手で覆って肩を奮わせる。
そしてひとしきり笑った後に零れたのは。
「――もうやだ」
ぽつりと落ちる涙のような言葉だった。
「そうだね」
それを静かに肯定したのは、巳山先輩の柔らかい声だ。
「なるほど、君の言い分はよく分かった。つまり、俺達が生き残るためには猫を倒す以外に道がない」
「うん」
「それで、峰君。これを企てたのは君ひとり?」
どういうことだろう? 先輩を見る。いつもより寂しそうな横顔で、まっすぐに雪兎を見ている。
雪兎もこの質問の意味は分かってるらしい。息を呑んで、顔を上げた。涙に濡れた目で、先輩の視線を真っ直ぐ受け止め。目を伏せるように頷いた。
「この学校を封鎖して、みんなを追い詰めたのは。僕だよ」
その答えの意味を、先輩は少し考えたようだった。
「そう。後は頼んである?」
「うん」
分かった。と先輩は頷いた。
「先輩……?」
私が問いかけるより先に、先輩が組んでいた腕を解いた。
腰に手を回して、その指先が刀の柄に触れる。
「君は、……うん。もう言っても構わないね」
「峰越君。君は俺達の敵――猫だ」
その一言で、雪兎の目が変わった。
表情がすとんと抜け落ちたような。瞳孔がきゅっと小さくなったような。
何も読めない顔で、ふら、と雪兎が動いた。
数歩で先輩との距離を詰めた雪兎の指先に、何かが煌めく。
交差する瞬間。ガチン! と固い音がした。
コートから見える雪兎の手には、硬そうな爪が光っていた。
首に届きそうなそれを受け止めているのは、先輩の短刀。頬に赤い筋が付いている。
荒い呼吸で睨み上げる雪兎の視線を受け止めて、先輩は笑いかけた。
「――これで、心置きなくやれるでしょ」




