これまでの答え
明るく照らされたその部屋はなんだか冷たく見えた。
見えるだけで、暑くも寒くもない。
広さは教室くらい。灰色の床に白い壁。エレベーターの他に出入口はひとつみたいで、雪兎の向こうに金属と磨りガラスの扉が見えた。
エレベーターを出ると、視線のようなものを感じた。
監視カメラがいくつかあって、無機質なレンズがこっちを見ている。
普段はそんなの気にしないのに、広い部屋にそれだけあるのがなんだか怖い。
広くて、落ち着かなくて、壁際に寄りたくなる。
でも、私が一番後ろに居ちゃいけない気がした。叶夜ちゃんが両手をぎゅっと握りしめている。怖がっている。震えている。それでも立ってる。
私はそんな彼女の少し前に。先輩達の横に立った。
そんな私達を見た雪兎は、なぜか嬉しそうに頷いた。
「本当はね。この奥も案内したいんだけど――ごめんね」
ここから先は企業秘密なんだって。と、指でバッテンを作って見せる。
「もう僕を怒る人なんていないんだけどさ。なんかダメなんだ。だから、僕が案内できるのはここまで、ってことにしておいて欲しい」
そう話す雪兎の言葉は、いつもと変わらないように聞こえる。
でも、こうして私達の前に立っている。近寄れる雰囲気でもない。
立場が違うんだと、雪兎は態度で示している。
「それなら、どうして俺達をここまで連れてきたの?」
「さっきも言ったけど、真相がここにあるからだよ。それに、みんな最後の部屋まできちゃったし」
ご褒美かな、と彼は言った。
「図書室が最後なのはちょっと意外だったけどね。入口もあるしちょうどいいやって思ったの」
それに、と雪兎の笑顔が少し陰ったように見えた。
「もう後もないし、それなら最後は自分の手でびっくり箱開けようかなって」
瞬きと同時に表情の影をぱっと消して、巳山先輩の方を向いた。
「だから、僕に答えられることならなんでも答えるよ。あるでしょ。聞きたいこと」
「まあ……」
先輩は困った声で返事をした。
「確かに聞きたいことはあるけど。そのくらいの猶予はもらえる、ってことかな」
「猶予だなんて」
先輩の言葉が面白いと言いたげに雪兎は笑う。
「先輩達が大丈夫なら、僕はどれだけでも答えてあげるよ」
「そう。それはありがたいな。それじゃあ……」
そうだな、と先輩は緩く腕を組む。目がスッと細められて、真剣な顔になった。
先輩とも部長とも違う、もっと重い何かを決めたような横顔で雪兎に向き合う。
「あのファイルは何?」
「実験記録の抜粋かな」
「んなもん、なんでオレらに見せた」
「だって嫌じゃない。ここが、自分たちが、何なのか知らないまま暮らして、知らないまま死ぬの。少しでも知っておいて欲しかったんだ。……これまで死んだみんなのことも」
ああでも、と雪兎は狗神先輩に視線を向ける。
「狗神先輩のはちょっと失敗したかなって思った」
「?」
先輩が首を傾げる代わりに目を眇めると、雪兎は小さなため息をつく。
「だって先輩、未来ちゃん怖がらせちゃうんだもん」
その一言で、先輩の目つきが厳しくなった。口も不機嫌そうに曲がる。
「でも、仕方ないかな。今回はそれが特性として出てたってことだし」
「特性……」
「そう。自分じゃ分かりにくいかもしれないけどね」
みんな意外と色々出てるんだよ。と雪兎は言う。
「例えば狗神先輩、ファイル読んで「自分の縄張りに踏み込ませてたまるか」って思ったでしょ」
先輩の答えを待つことなく、言葉は続く。
「それに、人の反応もすぐ分かる。確かに未来ちゃんが怖がるのって分かりやすいけど、それにしては距離の置き方が過剰かな。最近ヘッドホンつけて寝るのも多分そうだよね。聴覚もちょっと良くなってきてるんじゃない?」
舌打ちした先輩に笑いかけて、視線を叶夜ちゃんに移す。
「未来ちゃんはちょっと防衛反応が顕著かなあ。でも、未来ちゃんが怖がると、先輩はそれに気付いて距離を取るし、怖がらせちゃったことにイライラしちゃう。未来ちゃんはそのイライラを怖がっちゃう。そう言うことなんだよ」
叶夜ちゃんの視線が狗神先輩を向く。先輩はこっちを見ない。
「未来ちゃんが居ると、狗神先輩丸くなれるから。がんばって」
「えっ……」
戸惑う叶夜ちゃんに、「ね」と優しく励ますように笑いかけて巳山先輩へ。
「巳山先輩は……見た目の割に表面に出てるの少ないんだよね。じわじわ効くタイプなのかも」
「じわじわ効く……?」
「そう。特製って身体的とか生体に即した能力ばかりじゃないんだって。ファイルにもあったでしょ。例えば先輩なら「蛇の生殺しは人を噛む」とか」
なるほど、と先輩の眉が寄る。
「やっぱりそう言うの、あるんだね」
「うん。あのね。アトル製薬はすごいんだよ。動物の因子に逸話も混ぜちゃうんだ。それもまた、その動物が持つ性質だって」
「……あんまりにオカルトだから信じたくないけど」
「あはは、できてるよ」
ひとしきり笑うように褒めた後、「すごいね」と暗い声で吐き捨てた。
「逸話だって情報だから、条件付けでなんとでもなるんだって」
「なるほどそりゃ最悪だな」
「そんなのがあるから判断が難しいんだよね。あ。あと、ちゃんと寝てないのもあると思うけど、最近体温低くない? 寒いとすごく眠そうだから、ちゃんと寝てね」
「……」
そして私の方を見た。
「つぅちゃんは目が覚めたばっかりだけど、匂いに敏感かな? 味覚はどう?」
「え、そんなに変わりない、けど……やっぱりあの砂糖……」
山のようなスティックシュガーの袋を思い出した。
「ああ、あれ? うん。甘いの好きだから、つい入れちゃうんだよね」
雪兎は少し照れたように笑う。
どんな気持ちであの砂糖をかき混ぜてたんだろう。
その時の音は分かるのに、顔を思い出せないのが苦しい。
「そんな顔しないでよ。見られてなくて良かったって思ってるんだから」
「……ごめん」
「あとは、夜に目が冴えてるみたいだったね。ネズミは夜行性で警戒心が強い。心配とか不安もあったと思うけど――そこに立てたんなら大丈夫。つぅちゃんは、ちゃんと前を向ける」
そんな場合じゃないのに、雪兎は嬉しそうに頷いている。
「――なるほど。確かによく見てるな」
巳山先輩が頷いた。
「ふふ。ありがとう」
でも、と先輩の声が少し低くなった。
「そんなにみんなが心配なら、なんで殺して回った?」
「それは、最初に話したでしょ」
溶けるような笑みの雪兎と、厳しい顔をしたままの巳山先輩。2人の視線が絡まり。
「「この箱庭を終わらせたい」」
声が重なった。
「そう。終わらせたい」
ゆっくりと瞬きをした雪兎は、先輩の視線を真っ直ぐに受け止める。
「この箱庭は壊さなきゃいけない。ひとりも残しちゃいけない。そう決めたから。でも先輩は――」
「俺は、みんなが生き残る方法を探したい」
「そうだね。僕達は相容れない」
残念だよね。と雪兎がため息をついた。先輩はそんな雪兎をじっと見ている。
「――峰くん。君は本当にそう思ってる?」
「……思ってるよ?」
そう? と巳山先輩は真面目な顔のまま、首を僅かに傾けた。
「だってみんな殺したいなら、全員一気に殺せばよかったじゃないか」
「……」
ぱた。と床を叩くような音がした。雪兎の靴の音だ。
「それなのに君はそれをしなかった。どうして?」
答えに少し間をあけて。
「見つけて欲しかったからかな。あ。いや、ウソ言った」
自嘲するように言葉を重ねた。
「ホントはね。みんながまだ元気だったから。殺せる条件に当てはまらないから。それだけ」
みんな運が良かったんだよ。と、雪兎は言う。
「本当に?」
「本当だよ」
そっか、と先輩は頷いた。
「なるほどね。その条件を聞いても?」
雪兎は少し考えて、確認するように頷いた。
「まずは運営の命令。それが最優先。それから、因子が一定値以上の侵食をすること。暴走とか昏睡みたいな、危ない変化が出ること、かな。これでね、見えるんだよ」
そう言ってとんとんと左目を示した。
「……コンタクト?」
「違うよ。僕の眼球。そう言うのが分かるように弄ってあるんだよ。コンタクトもしてるけど、ただの保護」
ほら、とコンタクトを外して見せた雪兎の目は赤かった。
「色はウサギみたいで気に入ってるんだけどね。これ外すと太陽が眩しくて……って、話がずれちゃった。それで、最後の条件がね」
と、赤と榛の二色なった目が細められた。
「猫だと気付かれたって、僕が気付いちゃうこと」




