始まりと終わりの場所
「えっ。先輩……どういうことですか……?」
その言葉が。やりとりが。意味することが何か、理解を拒んでいる。
でも、巳山先輩は答えてくれなくて。
雪兎はにこにこと笑ったままで。
狗神先輩も、叶夜ちゃんも黙ったままで。
「ねえ、雪兎……」
私の声も、掠れて消えた。
□ ■ □
「巳山先輩。気付いてなかった、なんてこと言わないでしょう?」
彼は子津ちゃんの言葉を無視して俺に声を向けた。
「そうだね。君だろうと言う予想は、してたよ」
だから午前中残ってもらったんだけど。と呟いた声は、思ったより小さかった。
「だよね。なのに先輩なんにも言わないんだもん」
分かんなくなるとこだった、と彼は言う。
「いや。でも確信はなかったんだよ。因子の法則と同じでさ」
「そっか」
そう、それはなんとなくだった。
あの記述を見るまでは、確信は持てなかった。
楠木の残したテキストにはこうあった。
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猫についても記しておく。
僕は結局、誰が猫なのかを掴む事ができなかった。
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がっかりしかけたが、続きはまだあった。
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猫について考えはする。情報を集めはする。
だが、考え始めると思考が逸れる。
お茶を淹れよう、部活に顔を出そう、なんとなく携帯を触る……。途切れる集中力のように、思考が放棄される。
これも、テキストという形にしているから書けているようなものだ。ここまで書く間にも何度か席を立ち、打鍵の手を止めた。
きっと、僕達に施されている記憶操作と同等の何か……いわばプロテクトのようなものだろう。それだけ正体を秘すべき存在。身近に、居る誰かだ。
情報はできる限り集めた。残せる限り残した。
きっと猫は、僕たちが疑えないようになっている。
探そうとするな。考えるな。
それが、猫の正体に近付く鍵だ。
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これを読んでしばらく考えた。
今まで、猫の正体について考えたことはあった。だが、その核心まで至ったことはなかった。確かに、どこかで話がずれる。
俺達に埋め込まれている因子が名前になぞらえた動物だということも、似た理由だろう。俺が蛇であると名言されてはないのに、なんとなく分かった気になって済ませていた。
だから、試しに狗神に問いかけてみた。
俺達の持つ因子はなんだと思うか。猫は誰だと思うか。
狗神も思考が逸れたような気配はあったが、議題として明確に持ち出すことで、なんとか話すことができた。
狗神は、俺と子津ちゃんを挙げた。
俺は、叶ちゃんを挙げた。
最後まで名前が出てこなかったのは。
疑うピースが見つからなかったのは。
峰越雪兎。彼だけだった。
□ ■ □
「信じたくはなかったんだけどな」
巳山先輩は軽くため息をついた。
知ってたんですか、と聞きたいけど声が詰まって出てこなかった。
というか、その問いかけをすることで、雪兎が猫なんだと私の中でも確定してしまいそうだった。まだ、信じたくない。受け入れたくない。そんな気持ちがどこかにある。
「できれば、叶ちゃんが怪我した時の顔で、その可能性を捨てたかった」
「あれは僕にも想定外だったし、未来ちゃんが心配なのは本当だったよ」
トラップはどうにも自動だからさ、と雪兎は言う。表情は穏やかだ。
穏やかだけど諦めと陰が混ざった、見たことのない笑顔。
それが、目の前に立ってるのは私の知らない雪兎だと突きつける。
「それに、あれを仕掛けたのは僕じゃないもの。本当に偶然だよ。僕ができるのはセキュリティのオンオフと起動範囲指定くらいだし」
「峰くん。君は……本当に」
「あ、待って先輩」
先輩の言葉を止めるように、雪兎が声を挟み込んでふるふると首を振った。
「今、それを言わないで。言われたら、僕――堪えきれなくなっちゃう」
その言葉はいつものように聞こえたけど、後半は押し込めるような声だった。後ろに回した手にぎゅっと力が入っている。
従った方が良さそうだと判断したのだろう、先輩はこくりと頷いた。視線は後ろに回した手に向けられているらしく、気付いた雪兎はふふっと笑った。
「僕の手、気になる?」
彼は後ろに回していた手をひらひらと振って見せた。何もない普通の手だった。
「大丈夫だよ。僕の中のスイッチさえ押さなきゃなんとかなるから。それよりね、みんなに教えたい場所があるんだ」
だから一緒に行こう。と嬉しそうに歩き出す。
今までの跳ねるような明るい歩き方ではない。
月夜のように静かな、足音のない歩き方で。
先輩達の横をするりと抜けて、エレベーターの前に立った。
取り出したカードキーをリーダーに読ませる。静かな部屋に甲高い読み込み音が大きく響いた。雪兎は静かに開いた明るいエレベータの中に入って、「こっち」と手招きした。
「……」
先輩がみんなに視線を向ける。
みんなを待つように見ている雪兎。
睨み付けるように口を結んだ狗神先輩。
私の袖をぎゅっと握って、青ざめている叶夜ちゃん。
私は。どんな顔してるように見えるんだろう。
「――行こうか」
かけられた先輩の声はいつもと変わらなかった。
「先輩……」
本当に行くんですか。と言いたかったけど、声が震えてうまく出ない。
先輩の目が少しだけ細められる。何か言いたげな間が少しだけあったけど。
「きっと彼は、真実を話してくれるよ」
言葉はそれだけだった。
私はきっとひどい顔をしている。信じたくない。でも、これ以上足を止めている訳にはいかない。分かってる。分かってるけど。
雪兎のことは私が一番よく知っていた。
私がずっと側に居た。だから、きっと気付かなきゃいけなかったのは私だ。
いや、本当は気付けたはずだ。
見回りの時に「がんばろう」と言った顔が妙に明るかったことに。
雑談に混じる雪兎の反応に距離があったことに。
スティックシュガーの量がおかしいくらい増えてたことに。
やけに断定的な猫への態度に。
時々見えた陰に。
でも、そんなの全部「因子のせいだから」「記憶がないから」なんて片付けていた。
因子のせいだから。
……どの動物の特徴かなんて、考えることすらしなかったけど。
たった数日でも、些細な違和感でも。
気付くことは、できたのだろう。
雪兎をまともに見ることができない。
酷いことをしたような気がする。
「二人はこない?」
その声で我に返った。
いつのまにか先輩二人はエレベーターの中に居た。
「雪兎……」
名前を呼んでみた。小さくて、届かないかもしれない声だったけど。
「なあに?」
いつものような声が返ってきた。
「その……私……」
声が詰まる。なのに涙は出ない。
涙が出てしまったら、動けなくなってしまいそうな気がする。
でも、何を言えばいいのか分からない。
謝ればいいのか。怒ればいいのか。
信じていいのか。警戒すればいいのか。
ぐちゃぐちゃに絡まって出てこない。
「うん。ごめんね」
雪兎が先にそんなことを言った。
「怖いなら部室で待っててもいいよ」
「……っ」
「僕は着いてきてくれると嬉しいけど」
にこっと笑ってそんなことを言う。
「……ううん、私も……」
行く、と頷いたけど。足は動かない。
息が詰まって、手がベタベタしてきて。歯の奥にぎゅっと力が入って。身体がいうことを聞かない。
「紬先輩」
叶夜ちゃんが声をかけてきた。身体中に入っていた力が、少しだけ抜けた。それでもまだぎこちない動きで、袖を握ったままの叶夜ちゃんを見る。
「行きましょう。紬先輩」
「叶夜ちゃん……」
「……大丈夫です。きっと」
彼女もまだ緊張しているようだったけど、心を決めたように見えた。ああ、強い子だなあ。と泣きそうになった。私がこれじゃあいけない。
何もできなかった幼馴染だから。このくらいは、話を聞くくらいはしなきゃ。
こくん、と頷くと、ふらっと身体が傾いた。庇うように足が一歩出る。その勢いのまま、エレベーターに乗り込んだ。
□ ■ □
全員が乗り込んだのを確認した峰くんは、背中を向けるようにして操作板に向き合う。カードをリーダーにかざし、地下1階を押す。
エレベーターが静かに降りていく。
1階分。2階分。思ったより長い時間がかかっている。
「峰くん」
「うん?」
彼の背中に声をかける。
疑問はたくさんある。
今からどこへ行こうというのか。
どうして正体を明かすような真似をしたのか。
どうして俺達を殺さないのか。
どれから聞けばいいか分からない。今答えてくれるかも分からない。だから、今はひとつだけ聞くことにした。
「俺達は、これからどこへ行くのかな」
峰くんはその言葉でようやくこっちを向いた。操作板の横の壁に背を預ける。
「真相があるところ、かな」
真相。それは、十二支部の活動方針にある単語だ。
彼は。峰君は。こんなことになっても部員であろうとしてるのか。
「先輩。僕ね。自分が十二支部の部員だって言ってもらえて嬉しかった」
「それは良かった」
俺の平坦な言葉に対して、峰君は一度だけ笑って、それをすぐに収めた。
「この先にね、研究施設があるんだ」
「地下だったのか」
「そう。本当は大学の方なんだけど、地下でここと繋がってるの」
なるほど。大学の地下なら立地的にも近いし、研究にはいい場所だろう。
「こっちは裏口みたいなものだから、あんまり使わないんだけど」
気付かなかった? と峰くんは言う。
狗神と視線を交わす。彼にも心当たりはないようで首を横に振った。
「あのね。寮の地下に談話室あるでしょ」
あこの奥にね、と言ったところで緩やかに重力がかかって、エレベーターが止まった。
静かに開いたドアの向こうに峰くんはぴょこと飛び出し、両手を広げた。
このフロアを紹介するように。
俺達を迎え入れるように。
「ようこそ。ここが、僕達の始まりと終わりの場所だよ」




