本当の記憶
「うん、狗神なら気付くって信じてた」
あはは、と頬をかく。
狗神は静かに答えを待っている。
笑ってみたけど、彼の眼は笑ってない。正直気まずい。でも、それも覚悟の上での発言だった。仕方ない。
「あれだろ。俺とお前は記憶に大きな差はない。なのにどうしてお前の家庭事情を知ってるのか、だよな」
「そうだな。その前提が正しいんなら、オレはまだお前に話さねえ」
「あ。いつかは話してくれるつもりだったんだ?」
記憶がなくてもそう言ってくれたのが嬉しくて、思わず口が緩んだ。狗神は「いいから話せよ」と無視して急かしてきた。
「ここまで来たら隠すつもりもない。白状するけど、俺な。実はお前よりちょっと年上なんだ」
「はあ。まあ、そうだろうな」
それがどうした、という顔だ。
「うん。狗神は早生まれだもんな……って。うん、そうじゃなくて」
どういうことだ、と彼の視線が問いかける。
ずっと隠していたことをいざ話すとなると、心の準備がもう少し欲しくなる。けれども半分は話したようなものだ。もう一息。一言だ。うん、と詰まったものを飲み込む。
「俺の記憶さ。2年の5月までって言ってたけど――ごめん、あれ嘘」
「……?」
「本当は3年の秋まであるんだ」
「……は?」
薄暗くても表情が分かりそうなくらい、その声は怪訝だった。
「はは、驚くよな。……俺もこの状況受け入れるの、結構時間かかったんだぞ」
目覚めた時、俺は確かに3年生で。文化祭を間近に控えていたはずだった。
なのに季節は春で、学年章も教科書も2年生。どれも新品で。出会った狗神と話してみれば、彼は2年生だと言った。
この記憶の齟齬があまりに大きくて、訳が分からなくて。話しても信じてもらえない気がして。じゃあそういうことにしておこう、と。1年半あまりの記憶を知らないふりして過ごしていた。
「だから、お前が家のことを話してくれた記憶もある。まあ、事情は分かってるつもりだから、触れる気はなかったよ」
ああ、あと。と、続ける。
「狗神と叶ちゃんの関係とか経緯も最初から知ってたんだけど」
指先が少し動いた。ちょっと動揺したらしい。表情はというと、実に苦い顔をしている。眉間にシワが寄って、視線が少し離れた床を睨みつけている。口は結ばれ、内心の複雑さを全力で物語っている。
それは、今彼が抱いている感情故か、それとも本の通りに在ったであろう関係への感情か。そこは分からないけど。彼らが辿った道や結末を話すつもりはない。
これは狗神自身が気付いて、また俺に相談するなり動くなりするのを待つのが一番だ。相談くらいはしてくれたらいいなあ。なんて温かい目で見守る方針なんだけど。
「いやそれにしてもさ狗神。あんなにキツく当たるとは思ってなかったんですけど?」
狗神が小さく呻いた。
これだけは言っておきたかった。ちょっとすっきりする。
「止めるべきか悩んだけど、下手に口出せないしさあ」
叶ちゃんへの態度とその結果である今の状況は、結構堪えているらしい。ホント、後悔は先に立たないよな、と笑う。
「いや。俺はね。別に二人の関係はどうなってもいいと思ってるんだよ。狗神が常々言ってた通り、本の通りになってたまるかって思ってるからさ。だから例えば。俺が叶ちゃんを好きになる可能性だって許容するつもり――」
「……!」
狗神の肩が分かりやすく動揺した。
それが何だかおかしくて笑ったら睨まれた。
「まあまあ、そうはならないから安心してよ。俺は狗神ほど優しくないからさ」
盛大に舌打ちをされた。
「その余計な口、やっぱさっき潰しとくべきだった」
あはは、と笑っているとなんか気が楽になってきた。狗神はそうでもないだろうけど。もっと素直になりなよ、と心の中で応援だけしておいた。
「しかし百瀬。なんで黙ってた」
複雑な心境と俺が黙っていたことに対する気持ちをなんとか落ち着かせた狗神が、話を元に戻してきた。
「ん。別に必要なかったからかな。あの頃だとむしろ邪魔な記憶だったし、混乱を招くだけだろ。そして今はもうアテにならない」
この状況に慣れすぎてさ、と繋ぐ。
「違和感なんてもう分からない。都合良く忘れるし上書きされる。人間の記憶ってホント適当」
ため息が出た。
だから、子津ちゃんが目覚めて、俺より先の記憶を持っているのは正直嬉しかった。彼女が切り札になれば。猫が動くきっかけになれば。そう思っている。
「子津ちゃんが何か気付いてアクション起こしてくれるといいんだけど……」
あんまり期待はできないかな、と呟く。
良くも悪くも普通の女子。因子がどう作用してるかだって未知数だ。このまま何も起きないのが彼女にとっては平和で最善なんだけど、そこは俺じゃあ保証もできない。
「なら、動かすまでなんじゃねえか?」
「過激派だなあ。……まあ、多分彼女はやってくれるよ」
「へえ。なんか確信あんのか」
「まあ。あんまり信用したくはないけど、ウチが噛んでるなら可能性としてね。だから、俺達は他にやるべきことを片付けよう」
何を言ってるんだ、と言う顔をしつつも、彼は頷いてくれた。「で?」と傾きかけた頭で言葉を投げる。
「お前、寝る以外にあんのかよ」
「……いや、まあ。うん。そこはもう少しだけ勘弁してもらえれば……」
呆れた目をされた。
頼むよ、と言うと「はいはい」とめんどくさそうな溜息をつかれる。
「俺とお前で今できるのは、情報共有と整理だ。狗神には大体のことは話してもいいと思ってるけど、それをどこまで他の部員に共有するかは……もう少し考えたい」
「情報共有な……」
狗神が頭をかきながら、携帯を取り出す。
彼は携帯を見ながら。俺は楠木の残したパソコンを見ながら。
二人で共有して良さそうな情報を整理する。
三枝高校。学術特区だったもの。廃校になって、実験体の育成・観察を行う施設。
もう、この学校は機能していないかもしれない。猫が現れてから、対策が取られたような気配はない。放棄された可能性もあるだろう。
校内に残っている俺達。十二支部と猫。
動物の因子を埋め込まれた、特殊実験対象者。計5名。
「動物の因子か」
狗神がため息をついた。
「多少は役に立つが、能力が表に出るもんばかりじゃねえのがな……」
「そうだね。せめてどんなのが出るか分かればな」
「お前は特に分かんねえもんな」
「そうなんだよなあ」
「で、それいつからだ?」
小さな紙屑を投げて当てるくらいの気軽さで飛んできた言葉に、思わず顔を上げた。
「え、何が?」
とぼけてみたけど通用しなかった。「お前な」と、呆れたような顔をされた。
「隠せてると思ったら盛大な勘違いだぞ」
と、自分の眼鏡のツルをこつこつと叩いて見せる。
「ああ、やっぱりダメか」
髪で隠せてるかなと思ったけど、そんなことないらしい。
「なんで隠せてると思ったんだよ。で、いつからだそれ」
「んー……。秋くらい? 目が覚めた時は皮膚が硬いな、くらいだったんだけど」
それに対しては「へえ、結構進んでんな」というどうでも良さそうな声が返ってきた。聞いておいて返事が雑だ。
「そういう狗神も、その歯はいつからなのさ」
「あ?」
「犬歯。昔より尖ってるでしょ」
「目が覚めた時からこうだった。よく気付いたな」
「どれだけ付き合い長いと思ってんだよ」
気付くだろ、と当たり前のように言った。そういうもんか、と呟かれた。
「狗神、他人に興味なさ過ぎ」
「良いだろ別に。――で、百瀬が蛇で、オレが犬」
「狼じゃなくて」
「いや、犬だろ。狗神なんだから。多分」
「多分」
「手とか爪くらいなら変形できるけど。でも犬だろ」
と、彼は右手を見下ろし、握ったり開いたりしている。
「なるほど狼男っぽい。でもまあ、十二支だしな」
俺に鱗があって、寒さに弱くなっている。狗神は嗅覚や聴覚が鋭くなっている。彼が言うには、さっき俺の首に刺さりかけた爪も能力の一環らしい。
今のところ、他の部員も同様だ。ファイルにあった特性の一覧も、それを裏付ける。
そう。だから、みんなあんな死に方をしたんだ。となんとなく思った。
鳳シュウ、飛び降り。
猪端くるり、激突死。
巳山百瀬、中毒死。
叶夜未来、昏睡。
本に書いてあった死因は、言われてみればらしいな、という気もした。
特にトリくんは、一番最初に書いてあったからか、印象に残っている。
俺が寒さで眠くなるように、鳥だから空を目指したくなったのかもしれない。
いや、今回の死因は猫によるものだったから関係ない。と、思うんだけど――。
「……あれ?」
「どうした」
「いや、ちょっと、引っかかっただけなんだけど」
ふと湧いた疑問を、狗神に投げる。
「今回のトリくんは……なんで死んだんだ?」




