十二支部の現状
室内は思ったより広かった。
ビニルの床。ホワイトボード。長机と椅子。窓際にはソファと棚が並べてある。
奥のドアはロッカールーム兼仮眠室、それから給湯室だと教えてもらった。
なるほど、運動の部室はこうなってるんだと思いながら、勧められた椅子に座る。
「ちょっと着替えてくるから待ってて」
「はい」
先輩はそのままロッカールームの方に入っていく。
しばらくすると、シャツの上にジャージを羽織った姿で出てきた。手には黒く汚れたズボンとジャケットがある。ズボンは着替えたのだろう。
「お茶淹れるけど、緑茶で良い?」
「あ、はい」
おっけーと頷き、そのまま隣の給湯室へ。
戻ってきた先輩の手には、湯気の立つカップが乗ったお盆があった。
「お待たせ。どうぞ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
にこやかに答えて移動する先輩を。いや、先輩の腰にあるものを目で追う。
小さな刀に見える。ベルトで留められたそれは、上着がないとよく目立つ。
制服に刀。漫画とかではよく見るけど、実際見るととても不思議だ。
「ん? これ、気になる?」
ホワイトボードの前にある椅子に手を掛けながら、先輩は鞘を撫でる。
ポケットの携帯とか財布と同じように、あるのが当たり前、みたいな触れ方だ。
「そうですね……。それ、何ですか?」
「短刀だよ」
「短刀」
「うん。護身用だから、使う機会はあんまないはずなんだけど」
さっきのアレはびっくりした、と先輩は軽く笑う。
獣に襲われたというより、道ばたで野良犬に会ったような反応。そんなに軽くていいのかな。
「まあ、その辺も含めて色々説明するから」
と、先輩はマーカーを拾い上げ、キャップをぽんと外した。
「ええと」
先輩はこほん、と喉を整えるように咳をひとつ。
「俺はここからの説明について嘘は言わない。知ってる限りの事を話す」
「はい」
「それじゃあ――この部のことから話そう」
どこから話そうか、なんて前置きもなく、悩む事もせず、先輩は話を始める。
説明に慣れている。何度も話してきた事なんだと分かる程、するすると言葉が出てくる。
「まず、ここが十二支部の部室。基本的にここに集まると思ってて。メンバーは――」
きゅ、とホワイトボードが音を立てる。
子津 紬
牛若 歩
三宅 テトラ
峰越 雪兎
九頭龍 大和
巳山 百瀬
楠木 彰午
叶夜 未来
猿ヶ谷 葉月
鳳 シュウ
狗神 頼香
亥端 くるり
「以上、12人。子津ちゃんも名簿に入ってるから部員にカウントしてるけど。みんな分かる?」
「えっと。あんまり話した事ない人も居ますけど、大体は」
子津紬。
私だ。国語が好きで、生物と世界史、あと体育がちょっと苦手。
保健委員で吹奏楽部。現在フルート練習中。
牛若くんは同級生。
放課後によくピアノを弾きにくる。小さい頃はコンクールに出たりしてたらしく、とても上手。
話をしてるとこっちまでのんびりできる、穏やかな人。
テトラちゃんは隣のクラス。
接点はあまりないけど、かわいくてオシャレで、アイドルみたいにキラキラしてる。
男女どっちにも優しくて明るい、人気者。
雪兎は私の幼馴染み。
かわいい系男子というか、みんなの弟というか。
ほわっとした雰囲気で周りまで和ませるのが得意だと思ってる。
九頭龍くんは同じ部活の後輩。
小柄だけど、中に元気が詰まってる。あんまり騒がしいと、あの牛若くんが怒る事もあって。
私がそれを止めるのが、部室で暗黙の了解になっている気がする。
巳山先輩は同じ委員会の先輩。というか、今目の前に居る。
黙ってると冷たい印象があるけど、笑顔はふわっとしているし、優しくて面倒見が良い。
そんなところが、すごく素敵だと思ってて……いや。うん。これ以上は語るまい。
楠木先輩も同じ委員会。
パソコン部の部長もしてるらしい。身体が弱くて、当番じゃなくても保健室に居たりする。
巳山先輩に「最近先生がベッドじゃなくてソファを勧めてくるんだけど」って愚痴っているのを見たのは、つい最近のこと。
叶夜ちゃんはかわいい後輩。
礼儀正しくて、小さくて、お人形みたいな子。
入学式の案内で知り合って以来、仲良くしている。恐がりで人見知りしがちな彼女だけど、狗神先輩と仲が良くて、一緒に居る事が多い。
猿ヶ谷さんは私のクラスの委員長。
テキパキしてて、みんなをよく見てる。クラスのお母さんみたい、なんて言うと「そんな事ないって」と笑うけど。クラスのみんなはそう思ってるし、実際あだ名は「お母さん」だ。
鳳くん。
パソコン部で、楠木先輩の後輩だったと思う。
いつも携帯とかタブレットを持ち歩いてて、楠木先輩がぽつりと「彼、ネットワークの世界に住んでるんじゃないかな」って言ってたのを聞いたことがあった。
狗神先輩。
巳山先輩や叶夜ちゃんと仲が良い先輩。話したことはないけど、二人と居たら時々会う。
言葉遣いがちょっと乱暴だから誤解されることもあるけど、それは単に不器用なだけなんだと、二人は言う。
あと、運動部の子が人気のある先輩だと言ってた気がする。
亥端先輩は放送部。
始業式とかで演奏を担当する吹奏楽部と、放送機材の管理や進行をする放送部。接点がそれくらいだから、見たことあるだけ。だけど、ふわっとしたマシュマロのように、柔らかい空気の人だったことは覚えてる。
「うん。この12人で十二支部。理由は分かるかな?」
先輩はまるで補習授業の先生のように質問をしてくる。
「ええっと」
全員の名前を眺める。考えるまでもない。
「十二支の名前が入ってます……?」
「ご名答」
先輩は満足そうに頷いた。
なるほど。全員が名前のどこかに関係する文字を持っているから「十二支部」なのかと納得する。でも、どんな部活なのかはさっぱりだ。
「ま、ちょっと違う漢字も居るけど、そこはご愛嬌ってやつな」
と、先輩はホワイトボードに視線を向ける。
ふと、その目元が細められたような気がしたけど、よく見えなかった。
ホワイトボードに並ぶ名前。話したことはあったりなかったりするけど、それなりにみんなの顔は分かる。
一通り思い出していると、巳山先輩は「うん」と頷いてペンを持ち直し。
「それでな」
と、きゅーっと名前に線を入れはじめた。
ひとり。ふたりと、名前が横線で消されていく。
そして残った名前は。
子津 紬
牛若 歩
峰越 雪兎
巳山 百瀬
叶夜 未来
狗神 頼香
「この部で生き残ってるのは、子津ちゃんと俺を含めてこの6人」
「生き……残る?」
ホワイトボードに向かったまま、先輩は頷いた。
「うん。みんな死んだんだ」
「――え」
言葉が喉に貼り付いて、出てこなかった。
その言葉を繰り返す事すら出来なかった。
死んだ。
先輩は今、確かにそう言った。
けど。先輩が何を言ってるのか分からなかった。
「やだな……先輩、冗談は」
「冗談ならよかったんだけどな」
「……」
この人は、こんなに軽くそんな言葉を口にする人だったっけ。
いや、知らない。私は先輩の事を見ていただけだから。委員会と関係ないところで話したことも、あんまりなかったから。
でも。そんな人だったっけ。そんなに、冷たくて、寂しそうな目をしてたっけ。ううん。そんな目、見たことない。
言われたこと分からなくて。先輩の表情が分からなくて。分からないことが目の前に積み上がって。くらくらしてきた頭に、先輩の声が響く。
「子津ちゃん。耳慣れないこともあるけど、まずは話を」
「――分かんない、です」
思わず出た声に、先輩の言葉が止まった。
「生き残ってるとか、十二支部とか。なんですか?」
「子津ちゃん」
「さっきの犬みたいなのも、その刀も……っ!」
「……」
「何が起きてるんですか? 先輩はどうしてそんなに、普通で居られるんですか!?」
「どうして、って。慣れてしまったからだけど……まあ、そうだよなあ」
先輩が頬を掻く。何かに困った時に出るクセだ。それは、この人は私が知ってる先輩だと言う安心を少しだけくれるけど、なんの役にも立たない。
「でも」
その手が机の上に置かれる。少し身を乗り出した先輩の目から、笑みが消えた。
「落ち着いて」
「――っ」
背中に冷たくて鋭い何かを押し当てられたような感じがして、頭の中のぐちゃぐちゃが全部止まった。ここで下手に動いちゃいけない。そんな気がする。
「……はい」
「うん、よし」
先輩の目元が和らいだ。途端に背中に温かさが戻ってきた。それにホッとしながら、止まってしまった頭を、少しずつ動かす。
私は今の状況が何も分かってない。ただ、受け止め切れないだけだ。
変わってしまった部屋も、見たことない生き物も、知らない部活も、いなくなった部員も。
ただ、死という単語が衝撃的だったから、分からないものが溢れてしまっただけだ。実感もないのに積み上げられていく出来事を、受け入れられないだけ。
でも、それを先輩にぶつけて突も仕方がない。
それは、きっと先輩自身も分かっているんだと思う。だから、ちゃんとこうして説明をしてくれている。先輩自身が辛い話だってあるかもしれないのに。
そうだ。先輩は説明してくれると言った。
私はそれを信じてついてきた。
理解できるかどうかは分からないけど、聞こう。
そうすれば、少しは何か変わるはずだ。
「ごめんなさい……言い過ぎました」
いつの間にか立ち上がっていたらしく、椅子に座り直す。
「いや、いいんだ。変化が大きすぎるし、その反応は当然だ」
先輩は困った声のまま、頷いてくれた。
「これからする話は、確かに突飛な話かもしれない。俺も、できる事なら冗談だよって言いたい。言いたいけど」
ホワイトボードに並んだ名前を。いや、その先のどこかを見つめた先輩の言葉は。
「少なくとも彼らの死顔は見てきた。だからさ、できるだけ信じて欲しい」
とても。寂しそうだったから。ああ、本当なんだ。って思った。
それを疑うなんてこと、できなかった。
巳山百瀬:3年生。十二支部部長。高校からの途中入学組。