夜更け過ぎに話すこと
息が苦しい。
霞む視界の中でも、狗神の呼吸がよく分かる。いつもより少し荒く湿っぽい。
意識が遠のきそうで。ああ、このまま目が覚めなかったら。と思った瞬間、色んなことが頭をよぎった。
家のこと。学校生活。知らない部屋。話す誰か。記憶の断絶。俺のことをあまり覚えていなかった狗神。記憶と違う日々。猫の宣言。弱り、暴走し、死んでいく部員。壊れた教室。封鎖された部屋。見つけた日記。スクラップ記事で微笑む男性。諸悪の根源。薄暗い。誰もいない。断片的な景色。
――ああ。
やり残したことがたくさんある。
全て放り投げて逝けたら楽なのに。
それは。それはとても無責任な気がして。
それ以上に。
「……いや、だ」
死にたくない。死にたくない。そんなこと、したくない。
ぐ、と狗神の腕を掴む。指が彼の袖に食い込む。
俺は、やらなきゃいけないことがある。
死ぬなら全てを終わらせてからじゃないと。
狗神を睨み返すと、暖かい何かが耳に流れた。
「死んで。たまる、か……俺は、まだ……」
「――そうか」
ふと、首を絞める力が緩んで。離れた。
腕が指からするりと抜けて。
突然入ってきた空気に咽せた。
見逃された……? どうして?
呼吸を整えながら狗神の方を見る。
彼はまだそこに立っていた。手はポケットに突っ込まれている。
「気は済んだか?」
狗神は俺を見下ろして、そんな言葉を投げてきた。
それはさっきみたいな鋭い目じゃなくて、いつも通りの。ちょっと呆れてため息をつく時の目だ。
「え。狗神……。お前、猫……じゃ」
「違えよ馬鹿」
シンプルに罵られた。
「違うの……?」
「何度も言わせんな」
彼は面倒な作業を終えたようなため息を深々とついて、ベッドに戻っていく。
どかっと座ると、スプリングがぎしりと音を立てた。
「いや、うん。違うとは、思う。けど、さ。ええ……なんでこんなことしたの……」
「こうでもしねえと、そのまま自滅するだろ」
「わあ、荒療治……」
首にそっと触れる。苦しかったけど、痛みはない。意識が眩んだのも、多分押さえるところを分かってやったのだろう。
喉につっかえていたものも、少し取れたような気がした。
「で。気は済んだか死にたがり」
「うん……ありがとうな」
「いや、礼を言うようなことじゃねえだろ」
「……そうかも」
まったく彼は、そう言うところが実に不器用だ。
確かに手っ取り早くはあった。時間にして数分もなかった。
もっと言い方とかやり方があっただろうに、と思ってしまうけど、まあ、狗神らしいといえばらしい行動のようにも思えて、なんだか笑えてきた。
「なんだよ」
くすくす笑ってると、狗神の不満そうな声がした。
「いや、……お前ホント不器用だなって」
「うるせえ」
その反応すらなんだかおかしく感じたけど、声に出すのはやめといた。
布団の上に放り出されていたノートパソコンをもう一度引き寄せる。
開いて、スリープを解除して。
ブログを人差し指一本で勢いよくスクロールして。
「なあ、狗神」
さっきよりは話せるような気がして、もう一度彼を呼んだ。
「楠木の残した情報は後でお前にも渡すつもりだけどさ。その前にいくつか」
聞いておいてほしいんだ。と、前置きした。
「この学校を運営する企業。いくつ知ってる?」
「あ?」
なんだっけな、と言いつつ、狗神はぽつぽつと関わる企業を挙げていく。そして半分ほど挙げたところで「全部言う必要あるか?」と、気付いたようにやめた。
「いや、十分。っていうか、そこまできちんと知ってる生徒は少ないだろ」
優秀優秀、と口先で褒めてみた。話を進めろと怒られた。
この学校は、どこかの企業や団体が出資し、運営に携わっている。
その、各団体の代表が運営の12人だ。
だが、今はそうじゃないと楠木のメモにあった。
ある企業が街全体を買収し、実験都市として運営している。
理事会が12人居たとしても、それはただの役員会議と変わらないだろう。
「うん。その運営企業なんだけど……」
口が重い。いつもなら軽く回る口が、簡単な言葉一つ出すのを躊躇っている。
恐怖、責任。罪悪感。そんなものだろうか。俺にはもう関係ないと思ってたのに。
「そのうちのひとつ、俺の実家、でさ」
「へえ……いや、待て」
狗神のストップが入った。なんだろうと言葉を止めると、狗神は怪訝そうに俺を見た。
「お前の実家なかっただろ」
嘘をつくなよ、と言われた。
本当なんだよ、と答える。
「ってか狗神、実家のこと知ってたんだ」
「……」
視線を逸らして目を伏せた。答える気はないのだろう。俺もそこは求めていないから、構わず続ける。
「それでな。いつからかは分からないけど、俺の実家……アトル製薬が理事会に入ってきてる」
「へえ」
「俺も知らなかった。まあ、時期が重なってたとしても、知らせるつもりなかったろうな。それで、あの会社なんだけど。……って名前知ってるなら説明はいらないか。ちょっと変わってるけど。医療系というか、薬の開発とかする会社。で、今は……そこが。アトル製薬が、ここの全てを握ってるらしい」
「へえ。つまりオレら丸ごと実験体か」
なるほどな、という言葉は、俺への返事というより、自分で何かを納得したような声だった。
「なるほど、って。何が?」
尋ねる。狗神は何か知ってるのだろうか?
「大した話じゃねえよ。お前が寝てる間に、そんな名簿を見つけたってだけだ」
「名簿……」
狗神は頷いて、第1班から12班まで分けられた名簿のことを簡単に話してくれた。
「オレらの事はご丁寧に「特殊実験対象者」って併記されてた」
手が何かを払うようにひらひらと動いた。ため息の代わりなのだろう。
「特殊実験、対象者。ってことは」
狗神は俺の言葉を先に拾い上げて頷く。
「他の生徒も全員実験体。ただしオレらは別枠だと。製薬会社ならその理由も合点がいく」
「……」
息を吐き損ねて、胸がグッと詰まった。
俺が息をつくのを待って、狗神は「それで?」と話を促してくる。
「いや、その話をしたかったんだ」
そう。そうだった。
なのに何でこんなに落ち着かないのか。
とっくに分かってたことだろ。それを狗神と共有する。それだけだ。
「アトル製薬が人体実験をしている。この学校は丸ごと実験施設。だから、俺はこの箱庭を終わらせなきゃいけない。家は捨てたようなもんだけど、さすがに無関係ですとは言えないなって」
狗神からの言葉は「責任感強いなお前」という呆れだった。
「捨てた家の尻拭いとか、んなのほっといて自滅待てばいいだろ」
「そうだな。でも――俺にも、責任があるんだ」
首を傾げる狗神に、推測だけど、と話して聞かせる。
水の変質が起きて、その解析と研究が行われた。
そこに何の関係もなかった製薬会社がどうして参入してきたのか。いつ、どうやってそれを知ったのか。
「ここは小さな地方都市だ。そんな場所の噂話。その程度の話なのに気付けたのはきっと、俺がこの学校に居たからだ」
狗神は静かに聞いている。
「俺の近況でも調べた時に知ったんだろうな。だから。これは。この状況は――」
「お前のせい、と」
うん、と頷く。枕元の電気だけが照らす薄暗い部屋に、沈黙が落ちた。
狗神の次の言葉が怖い。
彼は怒るだろうか。ため息をつくだろうか。それとも……やっぱりさっき殺しておけば良かったと思うのだろうか。
煩いほど動いているのにただ詰まるような胸の痛みを抱えて、それを待つ。
「なるほどな」
オレにはできねえ、とぼやくような声だった。
「え。……それ、だけ……?」
拍子抜けしてしまって、思わず聞いてしまった。
何がだよ、という視線が返ってきた。
「それだけもなにも、お前はオレに何求めてんだよ」
「え、だって……」
「生徒代表として糾弾でもして欲しかったか?」
残念だったな。と彼は言う。
「捨てた家が何してるかなんて、もう本人には関係ねえってさっきも言ったろ」
「……」
「それにオレも、似たようなもんだからな」
あ。
「ああ。そう、だったな」
狗神も、家を嫌って距離を置いていると聞いたことがある。
彼の家は、サポートに特化した家系だ。誰かの補助に回ることで力を発揮できるらしい。
だから、「狗神」の名を持つ誰かが秘書なりなんなり側につけば安泰だ、なんて言われ、重宝されている。
狗神の実家は本家じゃないし、彼自身は本家を嫌っていたが、その血はきっちり受け継いでいる。部活に所属もせず助っ人ばかりやっているのも、それが理由だ。人の役に立つこと自体は好きらしい。
そんな家だから、入学前に情報を叩き込まれているのだろう。狗神がこの学校の運営を覚えていることも、俺の実家を知っていることも、特段驚く話じゃなかった。
「……知ってるのか」
「話してくれたことがあるから」
「……」
狗神が俺を見た。その視線が少し鋭くなったのが分かる。
「百瀬」
「うん」
俺は彼から視線を外したまま頷いた。
何を聞かれるかは分かってる。緊張して浅くなりかけた呼吸を、静かに整える。
「オレは、お前にいつ身の上話をした?」




