弱気な夜
部室に戻ろうとしたのを止められ、このまま救護室に泊まることになり。
後輩三人を部屋に帰して、同級生二人。
明るく照らされた保健室でなにをしてるかというと。
「狗神。ノートパソコン」
「……」
無言で携帯をいじる狗神にノートパソコンを取り上げられていた。
「今日は寝てろって子津も言ってただろ」
「言ってたけど……」
やることがあるんだよ、とせがむ。
無視された。
「急ぎなんだよ」
「んなの今に始まったことじゃねえだろうが」
真っ当な答えに言葉が詰まる。
「そうだけど……その、な」
「なんだ」
「楠木が情報残しててさ」
「へえ」
「それ、読んでる途中で」
「じゃあオレが読んでやる」
「えっ、狗神読み聞かせしてくれるの? 内容的にも夢見悪そうなんだけど」
「子守唄にする気か」
「寝かせないつもりだったの?」
「……よし、寝ろ。そのまま寝ろ」
「あっ」
携帯をポケットに放り込むが早いか、頭を押さえつけようとしてきた狗神の腕を慌てて止める。
なんとか掴んだ腕の向こうから、なんだよ、と言いたげな視線が俺を見下ろしてくる。
「狗神に読ませたいのはやまやまなんだけどさ。……その」
うまく説明できなくて口籠る。
なんと言えばいい。自分ですら消化しきれていない話だ。共有したら楽になるかもしれないが、その勇気もない。狗神のことだ。責めるようなことはしないだろう。けど。怖い。
だから、とりあえず目を通して。読んで時間を稼ぎたい。
急ぐのは分かっているけれど。これだけは……。
「まずは自分で全部目を通したい、か?」
「……うん」
「……」
狗神はため息をついて背を向け、ベッドを離れた。無言のまま入り口付近の電気を消す。突然の暗転についていけなかった視界の中、狗神がこっちに戻ってくる気配がした。
「ほら」
頭上の小さなライトをつけると同じタイミングで視界に差し込まれたのは、銀色の板。さっき取り上げられたノートパソコンだった。
「……ありがと」
「充電ケーブルは持ってこねえからな」
言うが早いか、隣のベッドに足を投げ出してスマホを取り出し。
無言でカーテンを閉められた。
□ ■ □
ノートパソコンを開く。
続いた日記には、変わらず淡々と日々が綴られていた。
目を覚ましたこと。記憶と時間のズレ。猫が宣言をしたこと。
俺が部室に来ないかと話しに来て断ったこととか。
そんなことあったな、と俺の記憶とも合うようになってきた。
一通り読んで、顔をあげた。
隣のベッドを見てみる。静かだが、起きてはいるらしい。カーテン越しに携帯の明かりがうっすらと見えている。
「狗神」
声をかけてみた。返事はない。
「狗神。起きてるだろ」
「……なんだよ」
カーテンを開けると、狗神は黙々と携帯に向き合っていた。
指がすいすいと画面をなぞっている。いつもの横顔だ。きっとよくやってる落ちものパズルだろう。ヘッドホンが首にかかったままだから、寝るつもりもなかったらしい。
「読み終わったんならさっさと寝ろ」
画面から目を離さずに狗神は言う。指は迷いなく動いている。
「それはお前もだろ?」
「オレは普段から睡眠時間短いからいいんだよ」
十分寝てる、とそっけない返事がきた。
「寝てねえのは百瀬の方だろ。本当はそれ取り上げてもいいんだぞ」
「まだ途中……」
スマホを滑る指が止まった。視線だけがこっちを向く。
「でもひと段落ついたんだろ。それともあれか。なんか分かったか?」
「んー……そうだなあ」
パソコンの画面に視線を落とす。開かれたブログは一番最後の記事まで辿り着いていた。これ以上先の日付はない。記事は楠木からトリくんに引き継がれ、彼の記録も多少ながら――彼が命を落とした前日まで記されていた。
「狗神は、副部長だよな」
「あ? まあ、そうは言ってたが」
なんだよ突然、と狗神は言う。
「うん。もし、俺に何かあったら、この後のことは頼みたいなって」
「断る」
「即答だなあ」
「突然そんなこと言われても困るんだよ」
「突然俺を部長にしたくせに」
「まとめ役は必要だし、お前の方が適任だからな」
「いや、俺はこういうの向いていないでしょ」
言葉の代わりに呆れたようなため息が返ってきた。
「はあ。……で、なんで突然そんな話しだした?」
そして、さっさと脱線した話を元のレールに置き直す。
うん、と頷いて。どう切り出せばいいものかと考える。いや、ただの時間稼ぎだ。後を頼むとまで言ったんだから、もう切り出したようなものだ。だけど、と言葉を選びはじめる自分がいる。
ノートパソコンに視線を落としたまま考えていると、画面がぱっと暗くなった。スリープモードに入ったようだった。
艶のないディスプレイに映るぼんやりとした影は、亡霊のように見えた。
「次は、俺じゃないかって思ってるんだ」
「……」
なんでだ、と狗神は問わない。構わずに続ける。
「最近疲れが取れなくてさ。体調も……ちょっとね」
因子の――蛇の特徴だろう。
体温が気温に左右される。冷え込むと動きにくいし、眠い。暗所でも気配を感じることができる。たまに邪魔に感じる八重歯も、目を覚ます前はなかったものだ。
名前にも「巳」があるし、少し邪魔な髪を耳にかけると、指先に鱗が当たった。
「睡眠時間が足りてねえからだろ」
「はは……それもあるかもな」
どちらにせよさ。とノートパソコンを閉じる。
「ちょっと無理しすぎたのかも。でも、休みたくはないんだ。だから、俺は猫に殺されるか、身体が耐えられなくなるか……どっちか分からないけど、弱ったこの機会を猫は逃さない。そんな気もするんだ。だから」
その時はみんなを頼むよ。と笑うと、狗神の横顔は眉間にシワを寄せたまま携帯を見ていた。
「オレにもそんな余裕はねぇよ」
「そこをなんとかさ」
「どうしてもか?」
「ああ」
しばらく返事はなかった。
「そうか……」
狗神は携帯をしまい、ベッドを離れて俺の傍に立った。
ポケットに両手をつっこんだまま。少し考えるように視線を逸らしている。
「狗神?」
「お前の言う通りだ。弱ってる今は絶好のチャンス――良いことを言う」
しかし、と彼は頭をかく。
「……もう少し利用できると思ったんだけどな」
まあ、充分な働きはしたか。とため息。
「いぬが――」
彼の視線が、俺の言葉を貫いて止めた。
「で。なんだっけ。もう少しで死にそうだから? 後をオレに?」
「……そう、だけど……」
その声が、視線が。俺の声を喉につまらせる。
は、と彼は吐き捨てるように笑い――表情から笑みが消えた。
鋭い視線は普段と異なる圧力を持って俺に刺さる。
それは。そう。例えるなら。
獲物を見るような目。
彼は一体何を?
それを理解するより先に、狗神の手が伸びてきた。
まっすぐ俺の首を捉え、枕に頭を埋める勢いで押し付ける。
「ぐ――っ」
呼吸が一瞬止まる。枕の弾力で力が緩んだけど、息苦しさは変わらない。
何を、と狗神に視線だけを向ける。
薄暗い中、光のない彼の視線は射抜くように鋭い。手の力が強い。腕を掴んでもびくともしない。爪が尖っているのか、首に硬いものが刺さる。圧倒的な威圧感に、動けない。目が離せない。
「お前はいい部長だった。ああ、実によくやってくれた。おかげでオレもやり易かった」
その言葉が示すのは。
彼が俺達の敵――猫だということ、だろうか。
嘘だ。と思う自分もいるが。
殺されかけているのは確かだ。
「お前が諦めない限り見逃してやろうと思ってたんだが。言われた通り、後は任されてやる。全てぶっ壊しといてやるから、お前は草葉の陰で見てろ」
「いぬ、が……」
喉を押されて声が潰れる。
「残念だったな。お前らはここでおしまいだ」




