暗く静かな書架
図書室の外観は、ぱっと見いつもと変わらないように見えた。
階段を登って2階にある入口。分厚い磨りガラスの向こうは真っ暗。取手を引っ張ってみる。がち、と施錠されてる音がした。
だよねえ、と手を離すと、「開けますね」と、叶夜ちゃんが鍵の前に立つ。
先輩から借りたカードキーと、叶夜ちゃんの学生証。
読み込ませるたびに電子音がして、最後にがちゃんと鍵の音もした。
「これで開いたと、思います」
どうですか、と聞かれるままに引っ張る。ちょっと重かったけど開いた。
中は薄暗い。冷たい空気に、埃と本の匂いが漂っている。
左側にカウンターと閲覧スペース。右に本棚。カウンターの前は吹き抜けで、3階への階段とエレベーターがある。見たところ、構造は変わってない。
入り口付近や机があるスペースはは広くて見通しがいいけど、奥は本棚が密集していて暗い。
普段から音が少ない図書室。今も変わらないそれは、静か過ぎて耳が痛くなりそうな気がした。
「誰もいない図書室ってちょっと怖いよね……」
「そう、ですね」
「大丈夫かな。なにかこう、棚の影から飛び出してきたりとか……」
「それは、ちょっと。中に入ってみないと」
「飛び出してくるかもなの……?」
「そこは大丈夫だと、思います?」
「疑問形!」
私の反応に、叶夜ちゃんはくすくすと笑う。私もつられてちょっと笑う。なんだか気が楽になったところで、叶夜ちゃんが気合を入れるように息をついた。
「中、入りましょうか」
「そうだね」
では、と叶夜ちゃんは緊張した表情で中を伺う。
数秒だったと思うけど、その横顔は真剣だ。大丈夫だと判断したらしく、一歩を踏み入れ、近くにある電気のスイッチに手を伸ばす。
ぱち、とスイッチの音がして部屋がパッと明るくなった。
思ったより白い蛍光灯の明かりが、図書室の全体を明るく照らす。
「カーテン開けてこようか」
「そう、ですね」
「じゃあ、私は2階を」
「あ、先輩……」
階段に向けた足を、叶夜ちゃんの声が止めた。
「うん?」
「あ、えっと。気を付けて、くださいね」
「うん。何かあったらすぐ逃げてくるよ」
任せて、と笑うと、ほっとしたように「はい」と頷いてくれた。
カーテンを開ける。明かりが届かない本棚の影に光が差して、埃がキラキラ舞う。
窓もいくつか開けると、冷たく澄んだ空気が滑り込んできた。
1階に戻ってくると、叶夜ちゃんはカウンターの前で足を止めていた。その視線は本棚……図書室の奥をじっと見ている。
「お待たせ」
声をかけると彼女はぱっと振り向いた。
「叶夜ちゃん、何かあった?」
「いえ……。本棚の配置とか、ちょっと変わったのかなって思って」
「そうなの?」
「いえ、かもしれない、くらいなのですが……」
隣で一緒に図書室を眺める。
と言っても、私はここからの景色を覚えていない。基本的に利用者だから、カウンターの中から室内を眺めると言うことをした覚えがない。そういう景色を思い出すのは、図書委員ならではという気がする。
ぱっと見変わりないように見える。棚の色とか、本の種類とか……どんなだったけなあ。普段意識して見ないとこんなにも分からないものなんだねえ……なんて考えながら天井を見上げていると。
「つむぎ先輩」
「うん?」
視線を降ろすと、叶夜ちゃんがこっちを見ていた。
その目は不安、いや、心配の色に見える。
「その、さっきは。大丈夫でしたか?」
「ああ……」
さっき。日課の練習のことだ。
私は銃が撃てなかった。いや、持つこともできなかった。
小さな銃なのになんかすごく重くて。持つと指先が冷たくて。息が詰まりそうで。いや、実際止めてたのかもしれない。
叶夜ちゃんが声をかけてくれなかったら、そのまま座り込んでいた。
深呼吸をして。指先に力を入れて。
何度か試してやっと持つことができたけど、引き金を引くことは、結局できなかった。
「うん。大丈夫だよ」
心配かけてごめんね、と笑う。
それが一層彼女の表情を曇らせる。それを払拭させるように言葉を重ねる。
「最後にはちゃんと持てたしね」
「そう、ですけど」
叶夜ちゃんが私の手をそっと取る。少し温かい両手で包み込むようにぎゅっと握る。
「先輩。無理なら無理って、言っていいんですよ」
「――っ」
「峰越先輩も言ってましたが。悲しむ時間とか、怖がる時間とか。本当は、もっとたくさん、要るはずなんです」
手のぬくもりが、じわじわと私の胸を痛くする。それがじわりと涙腺まで緩ませそうになって、私は慌てて瞬きをして、全部を飲み込む。
「うん。そう。――でも、そんな時間は、ないんだって分かってるよ」
「先輩……」
「昨日たくさん泣かせてもらったし、頑張ろうって、思った。ちゃんと思えた」
叶夜ちゃんの手を、逆に握り返す。
「ありがとう。大丈夫。私、ちゃんと頑張る」
みんなそれぞれ前に進もうとしている。
私だって、そうしたい。
「また明日になったら持てなくなってるかもしれないけど。大丈夫。持つよ」
「――」
叶夜ちゃんの表情が歪んだ。
「でもさ」
「……はい」
「駄目そうだったらまた、こうやって手を握ってもらって良いかな」
そうしたら私は、昨日の決意をちゃんと思い出す。
きっと、大丈夫だ。
私も、みんなと並んで立ちたい。
□ ■ □
図書室のドアを開けた時に感じたのは、ほんの少しの違和感でした。
音も気配もないのに、何かあるような雰囲気。
命に関わるほど危険なもの、という気はしない、けど。
「……」
奥に続く床を視線で辿る。少しくすんだ床板は、こんなに色褪せていたかな。部屋が暗いからかもしれないし、埃が積もってるからかもしれない。
わたしが知っているのは、まだ学校が普通だった頃だけ。目を覚ました時にはもう、この図書室は閉ざされていた。今のこの部屋を知らないから、断言はできない。
空調も止まってて。端末にも机にも、埃が積もっている。長いこと、誰もいなかったと分かる。
なのに。
どう言葉にすればいいか、ちょっと分からない、けど。
誰かが通ってできた流れの跡が残ってるみたいな。
ずっと締め切られていた部屋、という感じだけはしなかった。
さっき。給湯室で狗神先輩が言い残した言葉を思い出す。
「気のせいかもしれねぇけど。図書室。本以外の匂いがした」
中には入らなかったし、一瞬感じただけで確証もないけど、警戒だけはしておけ。と。
図書室に人の気配はない。わたしと紬先輩だけのはずなのに。
「誰か居た、気がする……」
そんな気がしてならなかった。




