朝のひととき
朝になった。
いや、時間が朝なだけで、外は暗いし日の出の時間にもなってない。
冬の朝はまだまだ遠い。
だけど。
冷え冷えとした朝の空気が、ドアのスライド音と一緒に滑り込んできた。
「あ、先輩。おはよう」
「ん。お早う」
入ってきたのは狗神先輩だった。
部屋に入ると途端に眼鏡が曇って、先輩は舌打ちをする。鞄をどさっと机の上に置いて、ロッカールームに行く。眼鏡は拭かなくて大丈夫なのかなと思っていたら、防寒着を置いて戻ってきた時には曇りが取れていた。
「雪兎。こっちこい」
「ん?」
近くに寄ると、先輩は鞄からパンや飲み物を取り出し始めた。
「あれ。先輩、売店に寄ってきたの?」
まだそんな時間じゃない気がしたんだけど、と首を傾げると、先輩は「いや」と腕時計を示した。
うん。6時半。
「パンは昨日調達しといた。あとは自販機だ」
「そっかー」
「ほら」
先輩がジュースとパンを取り出して僕の両手にぽすんと落とす。
まだ冷たいフルーツジュースと、メロンパン。どっちも僕が好きなものだ。
「わあ。先輩ありがとう」
「ん。で。巳山は――寝てんのか」
「7時になったら起こしてって言ってた」
そうか、とだけ答えた先輩は、机の上に並べたパンを少しだけじっと見て、小さく手を合わせる。僕もいつもの席で「いただきます」とパンの袋を開けた。
ふわっと香るいい匂いに頬が緩む。一口かじる。さくっとしたクッキー生地がこぼれそうになって、慌てて袋で受け止める。先輩は何かが挟まったコッペパンを食べながらホワイトボードを見ていた。
「パソコン室、なんかあったのか?」
「ああ、ちょっと部屋の奥に何かあるかもって」
答えると先輩は、ふうんと答えて携帯を取り出した。
「先輩、当番じゃなくても朝早いよね」
「まあ、部屋に居ても暇だしな」
「ふうん。眠くない?」
別に。と先輩は言う。親指がすいすいと動いている。
「元々夜型だし、睡眠時間短い方だからな」
だから、夜当番の時もどこかで仮眠を取るくらいでいいらしい。
「そうなんだ。いいなあ、僕はたくさん寝たいよ」
そんな話をしたからか、ふわ、とあくびが出た。先輩の指が止まって、視線がこっちを向いた。未来ちゃんを見る時みたいに怖くない。普通の視線だ。
「午前はどうせ資料整理とパソコン室の調査だろ。巳山が起きたらしばらく寝てろ」
「うん」
そうする。と頷いてパンをもう一口。甘い匂いが口の中に広がって、なんだか嬉しい気がした。
狗神先輩はあっという間にパンを食べ終えたらしく、小さく結んだ袋と潰した紙パックを持って席を立つ。給湯室に行く途中、ソファの前で足を止めた。
「巳山、疲れてんな」
ぽつ、と先輩がそんなことを言った。
「うん。見回りしたらそのまま寝ちゃった」
そう言うと先輩は「そうか」となんだか複雑そうな顔をする。
「もっと寝たらいいのにね」
「まあ、そう言ってられないって思ってんだろ。言っても寝ねぇんだよな……」
はあ、と大きなため息をついて、腕時計を見る。
「こいつの分も淹れとくか。雪兎、お前は何飲む?」
「あ、僕ココアがいいな」
先輩は聞くだけ聞いて、何も言わずに給湯室に消えた。
狗神先輩が戻ってくるより前に、アラームが鳴った。7時だ。
ジュースのストローから口を離して、先輩の眠るソファの横に立つ。
「先輩先輩。7時だよ」
肩をとんとんと叩いて声をかけると、先輩はすぐに目を開けた。
「ん……ありがと……」
起き上がった先輩はわしわしと頭を掻く。まだ目が眠そうだ。髪を手櫛で整えながら、小さなあくびと大きなため息。それからぐっと身体を伸ばして立ち上がった。
ちょうど狗神先輩が戻ってきて「起きたか」とテーブルの上にカップを並べた。
「お。ありがとな狗神」
「熱い方がお前のな」
「ああ、うん。……って、湯気すごいんだけどこれ。どういうことなの」
「雪兎の分はこれな」
「ありがとう」
「ちょっと!?」
お茶を飲みながら、夜の話を少しした。
読んだ資料の内容、これから見に行かなきゃいけない場所。見回り結果。
今日どうするかとか、きちんとまとめた話は女子が来たらまたするけど、と巳山先輩はおにぎりを食べながら狗神先輩に共有する。
しばらくすると、つぅちゃんと未来ちゃんがおはようございますとやってきた。
2人は一緒に朝ごはんを食べてきたらしい。飲み物だけ用意して、朝のミーティングが始まった。
□ ■ □
私達が飲み物を用意し終えると、巳山先輩はホワイトボードの前の椅子に座り、少し離れたところにあったノートパソコンを引き寄せた。
「資料の分別は夜中のうちに大体片付いた。今の俺達に有用なものは少なかったけど、進展もあった」
とんとん、と先輩の指がノートパソコンの蓋を軽く叩く。
「と、言う訳で今日は日課の後に残りの資料調査やって、午後は未調査の部屋を見に行こうと思うんだけど」
その前に、と先輩が一枚の紙を取り上げる。学校の見取り図にメモ書きがしてある。
「パソコン室のここがさ、何かあるかもしれないって話になったんだ。ちょっと見に行ってこようと思う」
「準備室、ですか?」
叶夜ちゃんの疑問そうな声に、先輩は頷いた。
「そう。ただ、ここロッカールームだから……もし、その奥を確認するなら、ロッカーどかすか登るかなんだよね」
そうなんだよね、と困ったように頷く。
「それは俺ひとりだと難しいや。じゃあ、誰かと行くかなんだけど。力仕事に自信ある人ー。よし狗神早かったな」
「挙げてねえよ」
呆れた声でツッコまれた先輩は笑って「頼りにしてるよ」とだけ返す。
狗神先輩もそれは分かってたようで、はいはいと言いたげなため息をついた。
そんな感じで、午前と午後の行動方針の話が始まる。
午前中は資料の残り確認。巳山先輩と狗神先輩はパソコン室を見に行くついでに、残った場所の鍵の確認だけをしてくるという。
「確認だけだから、部屋の本格的な調査は昼以降。……本当は情報の解析とかできたらいいんだけど」
俺にはお手上げでさ、と先輩は苦笑いで頬を掻いた。
午後は鍵の確認ができたところの調査。図書室は広いけど、と巳山先輩は叶夜ちゃんに視線を向ける。
「叶ちゃんは図書委員だったよな」
「は、はい」
「図書室を見に行くには適任じゃないかと思ってるんだけど、どうだろう?」
「ええと……」
少し不安そうな声がした。肩も少し落ちている。
「わたしは、確かに図書委員でした。けど。入ったことがない場所が多くて……」
「ああ、そっか」
考える巳山先輩に、叶夜ちゃんは「でも」と言葉を続ける。
「わたしの学生証には、図書委員の権限があると思います。中に入れば、カウンターとか端末の操作くらいは、できるかもしれません。どこまでできるかは、ちょっと。分かりませんが」
だから、行ってきます。と彼女は言った。
叶夜ちゃんの記憶は入学して1ヶ月くらいしかないと言っていた。
1年生の1学期。テストに体育祭と忙しい時期。その間も委員の仕事はあるけど、図書室に行く機会が少ない。目が覚めたのも多分、図書室が開かなくなった後。図書室の中はほとんど分からない可能性がある。
それなら私の方が、少しは力になれる……かなあ? いや、部屋の中が変わってたら力になれないかもしれない。ちょっと分からないけど。付いていけば少しは役に立てたりしないかな。
なんにもできない私だ。ちょっとは誰かの役に立ちたい。
と、言うことでそっと挙手をする。
「巳山先輩。私も一緒に行っていいですか?」
「お。そう?」
叶夜ちゃんの方をチラッと見て、いいかな? とアイコンタクトを送ってみると、ほっとしたような表情で、こくりと頷かれた。
「うん。それじゃあお願いしようかな」
「はい」




