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暴走

暴力的な表現があります。苦手な方はご注意下さい。

 確かに最近疲れてたけど。それ以上の前触れはなかった。

 ただ、足が急に重くなって。

 鼓動が一際大きくなって。

 内側からどうしようもなく熱くて苦しいものが込み上げてきて。

 堪え斬れずに吐き出したそれは。


 言葉にならない咆哮だった。


 □ ■ □


 部室に戻る途中。

 異変に気付いたのは雪兎だった。


「歩くん?」

 振り返ると、少し離れた所で牛若君は足を止めていた。

 どうしたんだろうという疑問に答えるように、牛若君が息を吐いた。


 はあ、とひとつ。

 ぐっと飲み込むような音がひとつ。


「牛若君……?」

 近寄ろうとしたら、叶夜ちゃんに袖を引かれた。

「せんぱい。だめ。です」

 その目は怯えている。真っ青な顔をして、必死に私の袖をつかんで離さない。

「でも、苦しそうで」

「だから、です」

 その声は真剣だ。雪兎の方を見ると、私達と牛若君の間を塞ぐように背中を向けて立っていた。その手は背中に――腰のナイフに触れている。

「未来ちゃん、先輩達呼んできて」

 その声は聞いたことないくらい硬くて、暗い。

「わかり、ました」

 頷いた叶夜ちゃんの指が離れた。

「紬先輩。すぐ、戻ります」

「えっ」

「大丈夫、です。峰越先輩が、守ってくれます」

 だから、待っててください。と強く言い切り、踵を返して駆けていく。

 何をと聞く隙も無く進んでいく事態に、困惑だけが積もっていく。

「ごめんね。つぅちゃんの方が足速いのかもしれないけど、今は未来ちゃんが適任だと思って」

 雪兎は背中を向けたまま「あと」と小さくもはっきりとした声で言葉を足した。

「しっかり見といて」

「み……?」

 見ておく。何を。いや、分かる。この状況をだ。

 雪兎の笑顔も叶夜ちゃんの気弱さも、全て仕舞い込んで切り替えないといけないほどの。それがすぐできるほどに、みんなが経験し、乗り越えてきたこの状況を。

「う――うぅ」

 牛若君の苦しげな声がする。彼の呼吸が一際荒くなって。

「あ。ああ……あああああ!!!!」

 耳を塞ぎたくなるほどの絶叫と、教室の入口が壁ごと砕かれた音が響く中。


「あれが、暴走だよ」

 やけに静かでハッキリとした、雪兎の声がした。


 砕けて粉々になった壁が煙って、牛若君の姿が薄くなる。

 窓際に積んであったらしい机と椅子が、がらがらと崩れ落ちて、いくつか廊下に転がってきた。思わず後ずさる。踵が何かに引っかかって尻餅をついた。逃げなきゃ。ここに居ちゃいけない。そんな感覚が肌をざわつかせる。身体に力が入らない。立てない。

「つぅちゃん、銃。出しといて」

「……えっ」

「銃。持ってるでしょ」

「う、うん」

 言われるままに腰のベルトをわたわたと探る。硬いものが指に触れるけど、指先に力が入らない。

 雪兎はナイフを取り出して構えていた。煙たい廊下の中で、ナイフに夕日が反射する。

 その間にも、言葉の形を成さない声と教室の中身をかき回すような物音がする。澄んでいた空気に、土とか埃のような匂いが混じる。

 そこにあるのは、暴力と恐怖だった。あの音は何。あの声は誰。牛若君? 嘘だ。怖い。ベルトから銃が取れない。手が震えている。

「つぅちゃん。しっかり」

 雪兎の声がする。留め具が外れた。落ちた銃を拾う。重たい。冷たい。持ち上がらない。それでもなんとか両手で握る。

 重たい。昨日初めて持ったときよりもずっと。

 使い方もよく思い出せない。ええと、最初はどうするんだっけ。と考えていると。

「まずは安全装置を外すんだよ。それから、引き金に指をかける」

「う、うん」

 言われたとおり、装置に指をかける。かちん、と小さな音がした。

「そう。上手」

 そんな言葉と共に、ぽすん、と、膝の上に白い何かが飛んできた。

 コートだ。雪兎が着ている、白いコート。

 顔を上げると、シャツ姿の雪兎の背中があった。

「つぅちゃん、あのね。歩くんの力、すっごく強いんだ。だから、僕だけじゃダメかもしれない」

「え、それじゃあ逃げた方が……」

「ううん。それで見失ったら、今度は僕達が危ない。暴走したら、その場で息絶えるのを見届けなきゃいけない」

「……」

 そんな、という声は出なかった気がする。

「歩くんも分かってるんだ。今、自分の中ですごく戦ってくれてるの。頑張ってくれてるから。歩くんの意識が無くなっちゃう前に、終わらせてあげたい」

「うん……」

「でも」

 雪兎の言葉を遮って、近くの窓が枠ごと吹き飛んだ。机が廊下の外へと飛び出して、反対の窓から落ちていく。

 壊れた窓の近くに居た牛若君は、血まみれの手で机を握りつぶしている。机も教卓も。へし折れ、砕けていく。

「僕、大したことできないからさ。先輩たちが来るまで耐えられる自信、ちょっとないんだよね」

 だから、と雪兎がナイフを構える。

 彼に立ち向かう気だ。あの部屋に飛び込む気だ。

「やだ、雪兎」

「先輩達がくるまでの我慢だよ」

「ちが、無理だよ……危ない……」

 私の言葉に返ってきたのはくすぐったそうに笑う声。

「大丈夫、つうちゃんならできる」

「雪兎……!」

「だから、その銃、教室に向けといてね。僕がダメだったら――ちゃんと、その引き金を引くんだよ」

「まっ――!」

 止める言葉が届くより先に、砕けた壁に足をかけ、軽く飛び越えるようにして。

 めちゃくちゃになった教室の中へ飛び込んでいった。


 □ ■ □


 教室はもう学び舎としての役割を失っていた。床や壁がえぐれていて、煙たい。

 視線で天井のセキュリティをチェックする。うん、まだ動いてる。

 僕にこれらを動かす権限はない。でも、ここで異常事態が起こっているとシステムは認識しているはずだ。大丈夫、なんとかなる。飛び込む前に起動したナイフの仕掛けを確認する。今の僕にはこれしか使えない。

 しんどいな、と眉をひそめる。

 歩くんは、教室の隅で呻いて、叫んで、それでも足りないと、涙と血を流しながら暴れている。どんなに壊してもその勢いが、力が、強すぎて発散できないんだと、見てるだけで判る。見ているだけで、それが伝染しそうな気がする。

 割れた窓を踏む音。カーテンを引き裂く音。なぎ払われた机。舞い上がる埃に、その姿が見え隠れする。

 けほ、とむせると、歩くんの動きが止まった。

 僕を見る目は、よく知ってるのんびりとした目じゃない。大きく見開いてて、焦点が合ってなくて、歪んでる。僕を映すだけで見てない。けど、あっという間に距離を詰めててきた。

 勢いはあるけど動作はそんなに速くない。床を抉る一撃を見切って躱す。反対の腕が迫る。防げない。

「――ぐ……っ」

 一瞬、呼吸と意識が飛んだ。頭がくらくらする。当たる直前に跳んで勢いを殺したけど、全部は無理だった。でも、思ったより痛くないのは、掃除用具入れにぶつかったからだ。

 息をなんとか吐き出す。血の味がする。

 彼の身体に大きな変化はないように見えたけど、シャツの袖が赤く濡れている。身体はもう耐えきれなさそうだ。

「苦しいよね」

「ああ、あ。うあ、……ぐ……」

 返事は声になってなかった。

 ああ。こうなったら、もうどうしようもない。戻れない。

 彼も解ってる。だから、教室に飛び込んだ。ここなら暴れても誰かを巻き込むことはない。セキュリティシステムもある。今だって、衝動のままに殺すんじゃなくて、入り口近くに殴り飛ばした。この部屋から追い出そうとした。

 身体が力に耐えきれなくて。苦しみから逃げられなくて。悲鳴のような咆哮が上がる。

 セキュリティシステムの赤いポイントレーザーが照準を合わせる。頭の奥に響くような短い音を立てたレーザーが、身体を掠めて黒板に穴を開ける、痛みに声をあげて逃げるのをレーザーが追う。いくつか当たるけど、彼を止める決定打には至らない。

 校内のセキュリティシステムが弱い。普通の人なら動けなくなる威力でも、あの頑丈さだと足止め以上の効果はなさそうだ。息の根を止めるには、いくつかまとめて起動させるか、この手で仕留めるかしかない。

 ナイフを構えて背後に回る。机の天板が跳んできた。前に大きく跳ぶ。転がってた椅子を足がかりに、もう一段階高く。窓際にあったカラーボックスに脚をかけて方向転換。ナイフを握り直して飛びかかる。躱さない。振り下ろしたナイフが大きく変形した腕に触れる。

 バチン! と大きな音を立てて光が弾けた。

「う゛、うぅう」

 飛び下がった彼の腕には、切り傷と赤く焼けた痕。痛そうだけど、その赤みは引きつった跡を残しながら消えていく。回復――代謝もかなり早い。

 その間に上がりきった呼吸を整える。胸が痛い。シャツを握り締めて、呼吸を、鼓動を、くらくらする意識を抑える。

「ごめん。辛い、よね」

 歩くんの目から感情が薄れる。口から溢れる声は、もう言葉の形にならない。だらりと下がった腕が、さっきより太く歪に変形しているように見えた。

 これまで見てきた人達のことを思い出す。笑顔を。苦悶を。動かなくなった姿を。思い出す。

 ああ、嫌な光景。これ以上見たくない。瞬きで追い出す。

「――うん。楽にしてあげるから」

 ナイフを確認する。再使用にはもうちょっと時間がかかる。

「るああぁあ!」

「っ!」

 飛んでくる机を避ける。襲いかかる腕を躱わす。見境なく振るわれる暴力を、躱して。受け止めて。回り込んで。隙を突く。足が絡まってバランスを崩した。踏み込んできた脚をぎりぎりで避ける。足払いをかけてみる。びくともしない。床を凹ませたその脚を軸にして、反対の脚で蹴り飛ばされた。

「ぐ……っ」

 痛い。意識を飛ばすのは堪えたけど、壁にぶつかった拍子にナイフが手から飛んで行った。

 歪に広げられた手が伸びてくる。荒い呼吸が迫る。人の頭なんて簡単につぶせそうに大きい。掴まれたら終わりだ。舌打ちをして、咄嗟に椅子を盾にする。小枝のようにぱきぱきと握りつぶされた。その隙にナイフを拾って斬りつける。硬い。怯んだ一瞬で距離を取ろうとしたけど、ダメだ。距離が近すぎた。振り回される椅子の残骸をなんとか避けながら、教室の入口まで退く。まだ無事に見えるドアは、枠が歪んでいて動かない。

 ぴ、と小さな音がして、ナイフの電撃が使用可能になった。

「歩くん、もうすぐ楽になれるよ」

 扉を背に、歩くんを待つ。

 振り上げられた腕がぐらぐらしている。それでも勢いや力は削がれない。


 この扉の向こうにはつぅちゃんが居る。

 僕の手にはこのナイフがある。

 セキュリティは動いている。

 うん。大丈夫。


 歩くんの腕をくぐるように避ける。扉が破壊される音がする。

 その隙に脇腹へナイフを押し込む。何かが爆ぜたような音がして、身体が大きく跳ね飛んだ。

「ごめんね。歩くん」

 歩くんの目が一瞬だけ僕を映した。何か言おうとしたのか、叫び声を上げようとしたのか。

 何も出てこなかった。ただ、後ずさるように距離を取られた。ごほ、と咽せた拍子に血がこぼれる。埋まったままのナイフはもう取り返せない。

 けど。

「これで、おしまいだよ」

 その間に、セキュリティーのレーザーポインターが集中する。


 壊れたドアの向こうを確認する。少し離れた所につぅちゃんが居た。

 青ざめた顔で、座ったままで。壁に背中を預けながら、なんとか銃口を向けているのが見えた。

 狙いは定まっていないと思う。

 僕に当たるかもしれない。

 それでも、少しはこの状況をマシにできるだろうから叫んだ。


「つぅちゃん! 撃って!!」


 そして、彼女は。

 その声に、銃声で応えてくれた。

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