気をつけるべきこと
自分が猫だと思っている?
何を言い出すんだと思ったが。声の詰まり具合から察するに彼女は本気だ。
なんでだ、と出かけた言葉を一度止め、言い換える。
「どうして、そう思った?」
「それは……」
弱々しい言葉が途切れる。
沈黙が落ちたが、そう長くはなかった。
かしん、と壁掛け時計の針が動く音が響くと同時に「それは」ともう一度、言葉の頭が繰り返された。
「わたし、トラップとか、嫌な予感とか……、気付くことが多くて」
「ああ」
彼女は小さな音や気配を拾い上げ、危険をいち早く察知することが多々ある。
警戒心や注意力も強く、嫌な予感というものにも敏感だ。
だから、初めて行く場所には立ち会ってもらい、危険がないかを判断してもらうことが多い。
それが彼女の持つ能力だと思っているのだが、叶夜本人はその理由を違うものと考えているようだ。
「危ないことを一番に気付くのは、わたしの……せい、なのでは。と」
「はあ?」
素直な疑問だったのだが、その一言が強かったらしい。
叶夜の言葉が止まった。
言葉が強くて怖いと言われたばかりだが、すぐに直せるもんじゃない。すぐにできてれば苦労しない。
「悪りぃ。ただ。疑問に思っただけだ。……あー……と、だな」
穏やかに。静かに。心の中で数度唱えて口を開く。
「どうして、自分のせいだと思った?」
「はい。その。わたしが、記憶のない間に……その、寝てる時とか、自分が知らない間に、ですね。猫として、動いているのでは。と思うことがあるんです」
だから、と言葉は続く。
「誰も知らないセキュリティやトラップに、すぐ気付けるのではないか、と」
「なるほど。前もって知ってるから気付ける、と」
はい、と彼女は頷いた。
「馬鹿か」
「!?」
がた、と椅子の揺れる音がした。
「え。でも――」
「でもじゃねえよ」
強めに言い切った言葉に、彼女が息を飲む。
「お前が猫で、危険を事前に知ってるから気付けた? ――馬鹿馬鹿しい」
一笑に付して然るべきものだった。
この考えは早々にどうにかしておかねばならない。
そうしないと、後々動くべき時に動けなくなる可能性がある。
この思考を強めて心を閉ざしてしまえば、子津にすら正直になれなくなる。
猫が誰か、確証があるわけじゃない。
ない、が。
彼女は、叶夜未来は。
狗神頼香が一度は信頼を置いた相手だ。
だから、信じたいだけかもしれない。
ああ、今はそれでいい。
もしこの判断で何かあったら。オレが責任を取ればいい。
「叶夜」
はい、という小さな返事。
昼前の部屋は日も当たり、暗くもない。なのに曇天のような薄暗さを感じる。彼女の気の重さが見て取れるようだ。
「お前のその怪我は何だと思ってる」
「……」
叶夜の視線が、自分の足下に向く。
少し膨らんだ靴下の下には、湿布と包帯が巻いてある。
「仮に、記憶がない間……無意識下で猫としての行動をとり、同様に察知しているんならば、その怪我は百瀬が負ってるはずだろうが。2人きりで、トラップにかかった敵の部長だ。首を取れたらどうだ。もう猫が勝ったも同然だ」
「……」
「最高のチャンスだろ。けど、お前はそれをしなかった」
彼女の顔が上がった。視線を感じる。
「それだけじゃねえ。百瀬を助けて代わりに怪我をした」
「……」
「その時何か考えたか?」
答えにはしばらくの間があった。その時何を思ったのか、思い出しているのだろう。
「あの時は。危ない、と……。先輩が、怪我をしてはいけない。と、思いました」
「そうだな。殺すべき対象を咄嗟に助けて怪我して。それで、お前が猫だって? 猫がそんな甘い判断下す訳ねえだろ。笑えもしない冗談はよせ」
「……」
彼女はすっかり黙ってしまった。
「安心しろ。お前は猫じゃない」
「……先輩は、猫が誰かを」
「知る訳ないだろ」
彼女の質問を先取って言い切ると、形にならないが疑問そうな声が返ってきた。
「誰が猫かなんて知らねえよ。百瀬か牛若か……もしかしたら本当に叶夜が猫かもしれねえけど。お前のその恐怖に対する感度が戦力なのは間違いない。別にオレに近寄りたくないならそれでいい。他のヤツの近くに居ろ。そいつらの役に立て」
「……先輩は」
「怖いんだろ。なら近寄んな」
「……はい」
弱い返事だった。申し訳なさもあるのだろう。
「気にするな。今更だ」
はい。と声がさらに小さくなる。
自分の言葉の選び方が下手なのはわかっている。百瀬にもよく言われるそれを実感する。舌打ちが出た。
「ああ……今のは違う。叶夜にじゃない」
慌てて弁明する。彼女ははい、と同じ返事をする。
「お前の恐怖心や心配性は大事な武器だ。怖がることをやめろとは言わねえ。それがオレに向いてても、耐えられるようにはしておく」
「耐える、ですか?」
「……」
一番聞き流して欲しいところを、不思議そうな声で尋ねられた。
「オレ自身の問題だ。気にするな」
「……はい」
沈黙が落ちる。
さっきから言葉の使い方がマズいというのを痛感している。
多少は誤解……いや、誤解じゃない。どうしようもない事実だ。
彼女を怖がらせる意図はない。それだけは、少しでも分かって欲しい。
だから、もう少しだけ会話を続けることにした。
「これは、百瀬によく言われるんだが」
そう切り出すと、彼女の顔が上がった。
「オレは言葉の使い方が下手らしい」
「あ、はい……聞いて、います」
百瀬お前。
「紬先輩からも。そうだと、聞きました」
子津もか。
「先輩達も、狗神先輩は無愛想なだけだよと……」
この無遠慮な言葉選びは峰越と牛若か。
この部にオレの味方は居ないらしい。
「あいつら言いたい放題言ってんじゃねえよ」
思わず毒突いて舌打ちが出た。
態度を改めると言った矢先だと気付いたが、もう遅い。
「今話してて分かっただろ。意識して喋んの苦手なんだよ。気も長くない。気をつけると言いはしたが、うまくできるかは、正直自信ねえ」
「でも」
「?」
思わぬ接続詞に視線を上げる。
「先輩は、ちゃんと向き合うと優しい、って聞きました。わたしと距離取ってるのも、何か理由が。あるんだろうって」
「……」
その理由が自分の身勝手な感情だった事に罪悪感を覚えた。真っ直ぐ見ていられなくて、僅かに目を逸らした。
「わたし、すぐ怖がってしまいますが……これからはちゃんと、見るように。します」
「……ああ」
これは、オレが敵わない強さだ。胸の奥がざわつく。首の辺りが落ち着かなくて、ヘッドホンの位置を直す。
「オレも、気を付ける。猫のことについては安心しろ。もし何かあったら――」
「あれ、狗神もう起きたの?」
ステンレスのドアがスライドする音と共に、嫌と言うほど聞き覚えのある声が乱入してきた。
「……」
行き場を失った言葉を飲み込んでいる間に、後ろから雪兎と子津もやってきた。
「叶夜ちゃんお待たせ。サンドイッチ、これでよかった?」
「あっ。はい。ありがとう、ございます」
「ジュースはこっちね。足痛くない?」
「はい。大丈夫、です」
そんなやりとりを通り抜けて、百瀬がこっちにやってくる。
「唐揚げあるけど食べる?」
そう言いながら、白い袋を掲げて見せる。温まった弁当が入っているのだろう。唐揚げの匂いが袋越しでもわかる。
「いらねえ」
「そう。もう少し寝る?」
「寝ねえよ」
「そっか。じゃあ、お前のお弁当これね」
そう言ってもう一つの袋を押しつけて、巳山は背を向ける。
手に持たされた袋は温かい。それを見下ろしていると、巳山が足を止めて肩越しに振り向いた。
「で。狗神は何言おうとしてたの?」
「……何も。さっさとメシ食えよ」




