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猫の心当たり

 オレに限らない話だが。

 夜の当番があった日は、次の日の午前を仮眠に充てることが多い。

 昨日は百瀬が「叶夜と子津が使うだろう」と言ってたので武道場に行ったが、今日はいつも通りに、軽く身体を動かして部室に戻った。先に寝ていた百瀬を起こし、入れ替わりでベッドに転がる。

 元々睡眠時間が短い体質だが、連日の夜当番は思いの他疲れる。しかも最近は、本来の睡眠時間では足りないと思う時がある。理由は疲れだけじゃないだろう。

 音を遮断するためにヘッドホンをかけると、すぐに睡魔は訪れた。


 □ ■ □


 目が覚めた。人の気配だ。

 時間を見るともうすぐ昼になろうとしていた。誰か戻ってきただろう。いい加減起きてコーヒーでも飲むか、と仮眠室を出ると。

 ロッカーの前でこっちを見ている叶夜と目が合った。

 腕には本を抱えている。教科書とノートか。戻ってきて、勉強でもしようとしたのだろう。

「あ。あの……すみません」

「あ?」

 謝られた意味が分からない。

「その。起こして、しまって」

 何を、と問うより先に出た理由はごにょごにょと小さくなっていく。そのままロッカーに閉じ籠って出てこなくなるのではという気すらする。

「気にするな」

「……はい」

 その返事から視線を離すと、彼女はそっと部室へ戻っていった。


 一人残されて、息をつく。

 どうして叶夜ひとり先に戻ってきたのだろう。

 いや、理由はなんとなく分かる。

 足を痛めているんだから無理をするなという百瀬(保健委員)の配慮だろう。

「……百瀬のやつ」

 自分にも届くか怪しい声を、ため息とともに吐き出した。

 この空気になることを察して欲しかった。いや、あいつのことだから分かってやってる可能性は十分にある。その上でなんとかしろという事だろう。余計な真似を。舌打ちが出た。


 このままここに突っ立ってるのもどうかと思うので、部室に向かう。

 叶夜は教科書と向き合っている。手にしたペンは時々揺れるものの、何かを書き込む様子はないように見える。

 ほんの数秒だったが、視線に気付かれたらしい。彼女はそっと顔を上げ――目が合うや否や口を結んだ。

「……叶夜」

「っ! は、はい」

 返事は肩に力が入っているような声だった。

 緊張している。これまで二人きりで居たことも何度かあったはずだが、回数を重ねる度に彼女の態度は硬くなっている。

 これ以上この部屋に居ると彼女が磨り減る一方だ。仮眠室に戻る方がいい気がした。

「もうしばらく寝る。誰か戻ったらそいつに起こさせろ」

「あ、はい……」

 そこは安堵するところだろうと思ったのだが、叶夜の声は沈んだままだ。ほっと息をついたような気配もない。

 そこが気になって、つい口が動いた。

「そんなに怖いか」

「えっ。あ。あの……」

 はいともいいえとも言えないようで、口の中で言葉は絡まり、視線は申し訳なさそうに彷徨っている。

 舌打ちが出た。

 ぴ。っと叶夜の動きが止まる。表情も固まっていて、細かな感情は読み取れない。

「肯定したからって別に何もしねえよ」

「はい。すみま、せん」

 謝ると同時に、ペンを持つ指に力が入ったような気配がする。

「けどな」

「……はい」

「今この状況で何かあったらどうすんだ。オレが怖くて動けませんでしたとか冗談じゃねえからな」

 はい、と頷く声がした。小さかったけれども、それは確かに震えていた。

 しまった。と胸の辺りが重くなる。追い出すように息をつきたくなるが、それはきっと恐怖心を煽るだけだ。ぐっと飲み込んで、極力静かに息を吐いた。


 元々、他の生徒から遠巻きに見られることはよくあった。中学の頃色々やったとか噂されたこともあった。知らない奴らが勝手に言ってるだけ。否定するのも面倒で放っておいたら、百瀬に苦笑いで嗜められたこともある。

 ありもしないことを笑う奴らは知る気もないんだ、言いたいやつには言わせておけばいい。そう言ってさらに笑われたのはいつだっただろう。

 だが。部員に。叶夜にそう思われているとなると、少し考えなくてはならない。


 叶夜は。子津はもちろん、百瀬や雪兎に対してこんな態度は取らない。明らかにオレ個人を怖がっている。新しい部屋を開けに行く時も緊張を示すことはあるが、ここまで露骨に出ない。

 オレが最初にとった態度が悪かった。それは分かる。けど、あの頃はこうじゃなかった。確かに叶夜は怖がりで、人見知りも激しい方だ。部員として接し始めた頃もびくびくしていたが、会話は成立していた。特にここ最近が顕著で、手にとるように彼女の「恐怖」がわかる。

 猫に殺されるかもしれないというこの状態で、他のものを怖がる余裕があるのか。それとも叶夜にとって――。

「オレは猫よりも怖いか」

「えっ」

「あ」

 今日はヤケに口が滑る。自分でも戸惑う。

 昨日叶夜にかけられた声で、何かが緩んだのか。いや、関係ないだろ。そんな都合のいい展開あるもんかと言い聞かせる。

「……いや、忘れろ」

 うっかり出た一言だ。答えを求める気もない。よし戻るかと背を向けたところで、「あの」と小さな声がした。

「わたしは、先輩のこと……その、怖い。と、思っています」

 思った以上に直球できた。

「そうか」

 そして思った以上にボンクラな返事をした。取り消しはできないので放置する。

「で、でも! 怖がってばかりでも、いけないというのも分かって、いて」

「……」

 これまでになかった彼女の反応に足が動かない。さっさと仮眠室に戻れば良いのに、彼女の言葉の続きを待とうとしている。

「ファイルにあったことも、知っていて……」


 ファイル。

 その一言で頭がすっと冷えた気がした。


 それならオレも読んでいる。自分達の過去が綴られている物だ。

 叶夜未来と狗神頼香が、かつてどんな関係だったかも、知ってる。

 だが、オレにはその記憶がない。叶夜の態度を見るに、彼女も同様だろう。


 同一の存在であるとは言えないものの、同一に見えなくもない人間が、自分に想いを寄せていたことがある。

 それは、なんというか。

 非常に心地が悪い。


「ああ、書いてあったなそんなこと」

「あ。その……っ。だから。本の通りに仲良くしなきゃ、って思っている訳では、なくて。ですね」

 なんとか聞こえる声で、眉間のシワが増えそうなことを言う。


 オレ自身、あの内容についてはただただ不快だった。

 知りもしない感情や未来を勝手に決められてるような気がして、そんなのに従ってやるものかと思ってた。オレが違う人間なら、彼女だってそうだ。その感情を持つ必要も可能性も要らない。

 だから、彼女に対しては初対面と変わらない態度をとったし、仲良くしようなんて感情は微塵もなかった。いや、むしろ、その反発に乗っかった態度をとっていた。

 なのに。

 今は同じような関係を築けたらと思っている自分が居るのだから、笑うしかない。

 彼女の反応に対して文句を言える筋合いなんてないのに。


 胃に小石が積まれるような重さに息を詰まらせつつ、静かに続きを待つ。

 ある意味で、この状況はチャンスだ。百瀬の余計な世話には変わりないが、あるなら活用すべきだ。

「その。怖い人だと、思ってるん、ですが。でも、本にあったから、こんなわたしが、一緒に居るようになった理由も、あるんだろうって。思っていて」

 それを、知りたいんですけど。と、彼女は言葉を区切って大きく息をついた。

「知りたいけど怖い、か」

 その先を拾って投げると、彼女は頷いた。

「何が怖い」

「……」

「正直に言え」

 彼女の言葉が詰まったのが分かった。

 怖がっている。背を向けていても、それははっきりと感じ取れる。

 今のやりとりにも原因はありそうだが……自分が自然だと思っていることには気付けない。

「……怖がるな」

 極力柔らかい声を務めたが、叶夜の返事は小さかった。

「ただ、具体的に聞きたいだけだ。オレだって怖がられるのは本意じゃない。直せるもんは直せるように、するから」

 この言葉が少しは届いたのだろう。シャーペンを置いた音がした。

 オレも向き直る。これは真正面から受け止めるべきだ。

 

「その。いつも、怒ってるみたい、で」

「む」

「声、怖くて」

「ん」

「それと……目も……」

「……」


 なるほど。要はオレの態度全般ではないだろうか?


 気をつけると言った手前、反射的に返すのはこらえた。

 今挙がったもので気を付けられそうなことを考える。

 まずは喋り方だろうか。百瀬がよく「不器用」だと笑うところだ。考えて喋ろうとすると、考えすぎて喋れなくなる。反射的に返すと乱雑になる。

 この咄嗟に出る言葉をどうするか。結構な課題のようにも感じるが。努力はしよう。

 

 言い切ったらしい叶夜はというと、オレの方を見ていない。顔が別の方向を向いている。

 叶夜のことだから、言ったことに対して申し訳なさだとかオレの反応だとかを気にしているのだろう。


「わかった。気をつける」

 簡潔で落ち着いた言葉を選んで返事をする。

「はい……その、すみません……」

「いや、謝る必要はないだろ。オレが気をつければいいだけの話だ。それとも、他にもあるのか?」

「え。いえ……」

 ないです。と彼女は小さな声で答える。

「怖がるな。なんもしねえよ。――ったく、オレは猫じゃねえんだぞ」

 ただの軽口だった。

 けれども。彼女がぱっと顔を上げてこっちを見た。

 表情は固く、何か思うところがあるような目でオレを見ている。

「なんだ」

「え、えっと……」

 彼女は口籠っている。言いにくそうに、俯いて、首を横に振って顔を少し上げる。

 オレの方を見てはいるが、その心がわからない。

 ただ怯えていることしか、オレには気付けない。


 誰も知らない猫の正体。それに対するこの反応。

 何か気付いたことでもあるのだろうか。

 それとも。

「叶夜はオレのことを猫だと思っているのか?」

「あ……」

 自分でも低いと分かるほど、慎重な一言。

 叶夜はそんなオレをじっと見て――首を横に振った。

「……いいえ、それは、思っていません」

 そうか、と答えるより先に彼女の言葉は続く。


「でも。もしかしたら。私が、猫かもしれないと……思っています」

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