朝の寮はエラーで始まり
昨日がよく眠れてなかったからか、ご飯をきちんと食べられたからか。
今日はそれなりに眠ることができた気がした。
やっぱりちょっと怖いから電気は消せなかったけど、眠りにつくのはあっという間だった。目はいつもより早く覚めてしまったけど。
昨日より身体は重くない。慣れてきているのか、まだ自分自身の問題だと受けと受け止められてないのか。
どちらにせよ、眠れないよりはきっと良い。
窓から見える空はまだ暗いけど、雲は少ない。
身支度を整え、携帯を手に取る。
カレンダーアプリは起動しなかった。アイコンのところに日付だけが表示されている。今日は1月21日。もう2日。まだ2日。どっちだろう。ポケットに放り込む。
朝食……食堂は開いてない。冷蔵庫のゼリー飲料を眺める。少し考えて、カバンに入れた。
「あとは……」
待ち合わせの時間までもう少しあるけど、やることもない。待ち合わせ場所へ向かうことにした。
張り詰めた空気の渡り廊下に、ひとり分の靴音が響く。
空はだいぶ明るくなってきた。空気は頬に冷たくて息は白い。普通の朝みたいな錯覚を覚えるけど、人の気配がなさすぎるのが気になって、足早に進む。
この学校は市外から入学してくる生徒が多く、そのほとんどが寮住まいをしている。
マンションタイプの寮は4棟に分かれていて、1階と3階が渡り廊下で繋がっている。私が1号棟。雪兎と叶屋ちゃんは3号棟、記憶通りなら、巳山先輩は4号棟に住んでるはずだ。牛若君は昨日2号棟に帰って行ったけど、狗神先輩はどこなんだろう?
そんなことを考えながら歩いてると、集合場所が見えてきた。
3号棟の共有エントランス。入口のカードリーダーに学生証をかざすと、「ピー」とエラーの音がした。
「あれ」
もう一度かざしてみる。エラー。
そういえば昨日もエラーだった。私の学生証に何か問題があるのかと思ったけど、自分の寮には入れた。壊れてないと思うんだけど。一体何が悪いんだろう。
分からないまま学生証と睨み合ってると、奥の階段から人影が現れた。
白いコートの男子。雪兎だ。
彼は私に気付くと手を振って駆け寄ってきた。自動ドアの前に敷かれたマットを踏むと、ドアはあっけなく開いた。
「おはよう。どうしたのなんか困った顔――あ。もしかしてそれで入ろうとした?」
学生証に気付いた雪兎が首を傾ける。
「うん。エラー出ちゃって」
「なるほどねー」
今は入れないんだよねえ。と雪兎は私の後ろにあるガラスのドアを覗き込む。
「セキュリティが厳しくなったって話、したでしょう?」
「うん」
「それは寮も例外じゃなくてね」
「えっ」
寮は比較的安全なのでは?
私の顔を見て何を言いたいか悟ったのだろう。彼は頷いた。
「うん。寮はね。安全なの。罠とか攻撃するような物はないんだけど、人の出入りには厳しくてさ。その棟に住んでるとか、マスターキーみたいなの持ってないと入れないようになっちゃってるんだ」
「ああ、なるほど」
私は1号棟の生徒だから3号棟には入れない。そういうことだ。
「ってことは、誰かに会うなら、その人を呼ばないといけない?」
「そうなるね。だから、もし部屋に用があるならメール頂戴」
分かった、と頷くと雪兎は近くの長椅子に腰掛けた。私も隣に座る。
「私もこっちの棟だったら良かったな」
「そうだね。引越してこれたらいいのにね」
「できないの?」
そういえば部屋の位置はバラバラだ。人が居ないなら、みんなまとまってしまえば良いのに。
そもそも、寮の部屋変更は、申請すれば長期休暇中にできたはずだし。でも、雪兎は「そうなんだよね」と頷いた。
「管理人さん居ないから、鍵の書き換えができないんだって。他の人の学生証借りるしかないんだけど、その部屋も荷物が残ってたりするし、空部屋も鍵のデータが必要だしで」
「そっかあ」
それは確かに難しそうだと頷くと、話題は途切れた。
エントランスは外ほど寒くないけど、椅子も空気もひんやりしている。
朝特有の静けさもあるし、外はまだ薄暗い。エントランスだけが明るくて、静かで。心細さを強調する。
「ねえ、雪兎」
「なあに?」
なんか耐えきれなくて声をかけてみたものの、話題になりそうなものはない。
テストもないし、店もない。最近読んだ本の話だってきっと通じない。
でも、話はしたい。言葉を交わしていたい。それなら一体何を話せば……と頭をぐるぐる回転させてようやく思いついたのは、昨日の叶夜ちゃんとの会話だった。
「特性ってさ」
「うん」
「色々あるみたいだけど、どうやったら分かるの?」
「んー」
そうだなあ、と雪兎は少しだけ考えて。
「わかんないかも」
あっさりとそう答えた。
「分かんないの?」
「うん。過去のデータを見るとある程度の傾向は分かるけど、人それぞれだし、毎回同じってわけじゃないんだよね。目の色とか、髪の色とか、見た目に出てくる人も居るけど」
例えば、と雪兎は足を揺らす。
「歩君は分かりやすかったよね」
「うん」
あの怪力だ。彼自身が気をつけてる間は分からないけど、あれが尋常じゃない力だというのは一度見たら分かる。
「でも、僕だと嗅覚がちょっと鋭いからすっぱいものか苦手とか。未来ちゃんだと、危険を察知したり、人の気持ちを読むのが上手だったりする、とか」
「あー。それは確かに分からないなあ」
私の言葉に彼は「でしょー」と笑う。
「うーん。私にもあるなら何だろうなって思ったんだけど。そう簡単に分からないか」
「そうだね。過去の特性が出ることもあるし、今までと違うって感じたところがそうだったってこともあるから、違和感を大事にするといいと思う」
「なるほど……」
そっかと頷いていると、ぽーん、とエレベーターのチャイムが響いた。
「あ。おはよう、ございます」
「おはよう」
「おはよう、未来ちゃん」
叶夜ちゃんはぱたぱたと駆け寄ってきて、ぺこりと頭を下げた。
「すみません、ちょっと遅くなってしまって」
「僕達も来たばっかりだから気にしないで。足はどう?」
椅子から立ち上がって声をかけた雪兎に、叶夜ちゃんは頷く。
「はい。痛みはもうないです」
「それならよかった。あとは歩君だけど――あ、きた」
雪兎は叶夜ちゃんとは逆の方向に手を振って、入口のマットを踏みに行く。
「歩君、おはよう」
「ん。おはよう……」
まだ少し眠いんだろうか。いつも以上にスローな感じで挨拶が返ってきた。
私はそのくらいしか思わなかったけど、そうじゃない人も居た。
「先輩」
「ん?」
叶夜ちゃんが、少し心配そうに牛若君を見上げていた。
「あの。昨日も、体調がよくなさそうでしたけど。大丈夫、ですか?」
そう言われてみれば、顔色がちょっと良くない気がする。目の下にもクマがある。
「…………ああ、うん。大丈夫」
と彼は目を細めて笑ってみせる。それでも彼女の不安は拭えていないようだった。
「ちょっと寝不足なだけだよ」
「歩君、無理しないようにね」
雪兎の言葉に牛若君は「うん、大丈夫」と頷いたけど。
その言葉に混ざる吐息も、少し重たいような気がした。
□ ■ □
部室では、先輩2人がコーヒーを飲んでいた。
狗神先輩は髪が少し濡れているように見える。シャワーでも浴びたのかもしれない。髪、乾かさなくて大丈夫なのかな、なんて思っている間に、雪兎が「おはよーよざいます」と先陣切って飛び込んでいった。
「先輩、夜はどうだった?」
開口一番で様子を尋ねた雪兎に、巳山先輩は「何もなかったよ」と答える。
「それならよかった」
「うん。最近猫も静かだし。これが続くとありがたいんだけどなあ」
「そうだね」
2人が話しているのを横目に、私は定位置になってきた椅子に座る。
朝ごはんを取り出していると、叶夜ちゃんが隣に腰掛けた。
「先輩、まだ食欲ない、ですか?」
私のゼリー飲料を心配そうに見てくる。
「そうかも。元々朝はあんまり食べない方だったけど……」
なんて答えていると、スピーカーから小さなノイズ音と、聞き慣れたのとは少し違うチャイムが部屋に響いた。いつもより少しだけノイズが強くて、籠った音をしてる。
古い音だ。そんな風に感じた。
寮や校舎の古さに気が回ってなかっただけかもしれないけど、先輩は何十年も経っていると言っていた。それならスピーカーだってそうだろう。
やけに耳に残るこの音に時間の流れを感じて、なんか寂しい。
「どうしたの?」
スピーカーをじっと見ていたら、雪兎が視界の隅からひょこりと顔を出した。
いつの間にか先輩との会話を終えたらしい。手にはコーヒーカップとスティックシュガーの束があった。
「あ。うん。今更だけど、時間が経ってるんだな、って思って」
「?」
首を傾げて、視線を追う。そこにスピーカーがあることに気付いた雪兎は「ああ」と声を上げた。
「スピーカーの音かあ。あれ、ちょっと古いって分かるもんね」
わかるわかる、と頷いて椅子に座る。
「僕はもうこの音に慣れちゃったけど、最初はそうだった気がするなあ」
そう言いながらスティックシュガーの封を切っては、黒い水面にひっくり返していく。それ以上何も言わないけど、私が寝ている間にはきっと色んなことがあったんだろう。
「――ほんと、僕たちどうしてここにいるんだろ」
ぽつりと、そんな言葉が聞こえた。
なんだか寂しそうな声に、思わず視線を向けた。けど、そこに居たのはいつもと変わらない穏やかな横顔の幼なじみだった。
さっき持ってたスティックシュガーは全てコーヒーの中に入れたらしい。スプーンでかき混ぜると、金属音の中にじゃりじゃりと砂糖の擦れる音が混ざった。
くるくる回る水面を覗き込む彼の目が、ぱっとこっちを向いた。
「うん? どうしたの?」
いつも通りの顔だ。いつもの雪兎だ。
「え、その」
それがあんまりにいつも通りだったから。
「ううん、なんでもない。砂糖、結構入れたなって思って……」
「あはは、そうだね」
聞き間違いだったのかもしれない。そんな気がして誤魔化した。




