目を覚ましたら
その日は普通に終わったと思う。
また来週と友達に手を振って。部屋に戻って。
夕飯を食べて、テレビを見て宿題をして。
明日もいつも通りなんだと疑わず、布団に入ったはずだった。
□ ■ □
「ん……」
目が覚めた。
身体が重い。
なんか変な夢を見た気がする。
ゆらゆら揺れるゆりかごに居るような。水の底に沈んでいるような。
映像も何もない。ただ「夢を見た」って感覚だけが残る、不思議な夢。
「なんだったんだろ……」
ごろりと寝返りをうって――部屋の明るさに跳ね起きる。
「えっ。う、うわ。寝坊し……、って。あれ?」
いつもと違う景色に思考が止まった。
明るい茶色のフローリング。白い壁。
私の部屋と間取りは同じ。同じだけれども……なんかあちこち違う。
真っ先に気付いたのはカーテンの色。それからスカスカの本棚。
お気に入りのソファクッションとか、窓際のサボテンとか、色々なくなってる。
布団もそうだ。暖かいし肌触りもいいけど、枕まで真っ白で病院みたいで。可愛らしさとかひとつもない。
寮だからそんなに物がある訳じゃないんだけど。私の部屋と言うには、物も色もなさ過ぎる。
目をこする。ほっぺたをつねる。やわい。
とんとんと手首で頭を叩いてみる。見える景色は変わらない。
サイドチェストには、アナログタイプの目覚まし時計と携帯があった。
こちこちと時間を刻む時計は、もう夕方近い時間を指している。
休日だったとしてもさすがに寝過ぎだ。夜更かしもしてないのに。そんなに疲れてたのかな?
いや。今はそれは置いとこう。
「それよりも……」
この部屋はなんだろう?
間取りは同じに見えるから、寮の部屋だとは思う。思うけど、自分の部屋なのかは自信がない。見覚えのあるものとないものが混ざっていて不安になる。
もしかして、私はいつの間にか他人の部屋に転がり込んじゃったんだろうか?
寝てる間に?
「それは……怖いなあ」
そうだとしたらホラーだ。思わず息を詰めて耳を澄ます。人の気配はない。
ハンガーに掛かってる制服や鞄は私の物に見える。
そうするとやっぱり私の部屋……? うーん。よく分からない。
「誰かに聞いてみよう」
それがいいと頷いて、充電ケーブルが刺さっている携帯を手に取った。
ストラップはない、見たことない機種。パッと明るくなった画面を覗くと、勝手にロックが外れた。
初期設定っぽい壁紙に、アプリがいくつか並んでいる。見たことないアイコンの中に、よく使うトークアプリがあった。色が微妙に違う気がするアイコンに、通知マークが付いている。
開いてみると、一番上に未読のメッセージがあった。
「? 誰だろ」
宛先は私だけど、差出人は知らないIDだった。
やりとりの記録もない。
ただ一言、「起きたら返信をください」とだけあった。
「返信……」
相手が誰か分からないのに? それはちょっと怖い。
後回しにして、連絡帳を開く。
「あれ」
連絡帳は空っぽだった。
誰も登録されていない。清々しい白さ。
これは困った。友達のIDなんて覚えてない。番号だってそうだ。携帯を布団に放り投げた。
他も確認しようと布団から抜け出す。ひんやりとした空気が足をすり抜ける。近くにあったスリッパを履いて、部屋を見て回る。
結果。
間取りに違いはなかった。寮の部屋で間違いなさそう。だけど、私の部屋だという確信は持てなかった。冷蔵庫の中身とある程度の雑貨以外、大した収穫もないままリビングに戻ってきた。
ベッドに腰掛けて、天井を見上げる。
「どうしよう……」
この部屋でこれ以上の情報を得る術はなさそうだ。
誰か、友達の部屋を訪ねてみようかな?
状況はうまく説明できないけど、これが私だけなのかそうじゃないのかが分かるだけでも、少しはマシなんじゃないかなと思った。
そうと決まれば急ごう。そうしないと日が暮れる。
校内にも行くかもしれないし、制服に着替えて身支度を整える。
部屋を出る前に、入口の鏡でチェック。
深いグリーンに白のラインが入ったブレザー、灰色の膝丈スカート。リボンは2年生の青。ちょっと曲がってるのを直す。
視力が自慢の灰色の目、薄茶色の髪はシンプルにお団子。うん。いつも通りだ。
入口にかけてあったコートを着て、ドアを開けた。
外はもう少しで薄暗くなりそうな色をしていた。夕方一歩手前の空気が冷たく張り詰めている。
念のため部屋番号を確認。うん。私の部屋だ。他の人の部屋にいつの間にか転がり込んでいた可能性は消えた。よかった。
とりあえず一番近い友達の部屋に行って、チャイムを押してみる。ピンポーンと音はしたけど、誰かが出てくる気配はない。
「出掛けてるのかな」
首を傾げて他の部屋へ。やっぱり誰も出てこない。
あとは誰の部屋が近いかなと考えていて、ふと気付いた。
誰ともすれ違ってない。
休日であっても、外に出ればひとりくらいはすれ違うのに。
足を止めて耳を澄ます。風の音はするけど、人の声や気配が感じられなかった。
「……」
急に怖くなってきた。
この学校から人が消えたら。なんて考えたこともなかった。
ドッキリかな? いや、ドッキリにしたって、私がそんな大がかりな物にかけられる理由がない。
隣の棟にも行ってみる。入口のカードリーダーに学生証をかざす。
エラーを返してきた。開かない。
「えっ、なんで……!?」
動かない入口を見上げる。建物の影が、立ち塞がるように伸び上がって見える。感じたことのない威圧感に、思わず一歩下がり、そのまま背を向けて校内へ向かった。
私は本当にここに居て良いのか分からなくなってくる。
知らない間に部外者になってしまったような居心地の悪さが這い上がってくる。
怖い。気持ち悪い。誰か。誰か!
渡り廊下を駆け抜けると、食堂が見えてきた。
日曜だったとしても、部活があったり食堂が開いてたりするはず。なのに、どの建物も真っ暗だし、遠くから声もしない。誰もいない。誰にも会わない。薄暗い室内を照らす自動販売機の明かりすら、嘘っぽく見えてくる。
誰か。誰でも良い。誰かに会いたい。夢なら覚めて欲しい。
このままだと動けなくなってしまいそうなのに、息が切れて、足が止まった。
震える膝は、寒さなのか怖さなのか分からない。
どうしよう、とパニックになりかけた瞬間。ポケットの携帯が震えた。
「えっ……あ!」
誰かいる。冷え切った両手で携帯を起動する。
ロック画面に、メッセージの通知がある。それだけで、すごくほっとする。
今、私の世界に存在する、たったひとりの誰か。
さっきはあんなに怪しかったのに、今となってはこれだけが私の明かりだ。
[起きた?]
メッセージはそれだけ。
私は起きました。ここにいます。誰でも良いから、繋がりますように。
上手く動かない指でメッセージを打ち込む。
そして送信ボタンに指をかけようとした瞬間。
なんか臭いがした。
「?」
思わず指を止めて辺りを見る。なんだろう。生臭いというか、油? いや、草みたいな……? うまく例えられないけど、いい匂いじゃないのは確かだし、校内で嗅ぐようなものでもない気がした。
周りには何も居ないように見える。でも、臭いは消えていない。むしろ、少しずつはっきりしてくる。耐えられない事はないけど、離れられるなら離れたい。長く嗅いでると気分を悪くしそうだ。
なんだろうと見回していると、食堂の影からヌッと何かの影が現れた。
黒い犬のように見えた。
いや、見えただけだ。頭に捻れた角が二本あって、毛並みは濡れたようにべったりとしている。半開きの口には大きな牙があって、手足の爪も鋭い。
なにあれ。見たことない。見たことがあるとしても、本や映画に出てくる化物だ。
鼻につく臭いが強くなる。気持ち悪い。信じたくないのに現実だと胸の底から突きつけてくる。
ぐるる、と唸る声。一歩踏み出すと、爪がアスファルトに当たる音と一緒に、ぺちゃりと塗れた音がする。それがどうしようもない嫌悪感を抱かせる。
目が離せない。携帯を両手で握りしめたまま、思わず一歩後ずさる。
「えっと……その」
犬に言葉なんて通じない。唸り声が少し大きくなった。敵意を感じる。
さっきの嫌悪感とは違う、このまま噛み付かれてしまったら、という具体的な恐怖に足がすくむ。
こういうのは、逃げたら追いかけてくるかもしれない。逃げ切れる気がしない。
かといって、このまま睨み合う訳にもいかない。
どちらにせよ、私はあの犬のような生き物に噛み付かれる未来しかない。
じり、と一歩下がる。
犬が身体を低くする。
嫌な汗が流れる。
がり、と爪の音が大きく聞こえて。
地面を蹴って、こっちに飛びかかってくる姿が見えて。
もうダメだと目を閉じた瞬間。
「――しゃがんで!」
聞こえた声に、思わず従ってしゃがむ。
続いて聞こえたのは、獣の小さな悲鳴。それから、地面と靴が擦れ合う音と、何かがぶつかる重たい音。
ぎゃうん! という声が少し遠くから聞こえた。
何が起きたのか分からないけど、噛み付かれたりはしてない。
そっと目を開けて見ると、男子生徒が目の前に居た。
裏切り者を探しながら学園探索をする話です。
書いてる本人は、恋愛物だとまだ信じています。