見回りとジュースといつかの話
見回りは、雪兎が言う通り学校案内を兼ねた物になっていた。
校内の施設に大きな違いはなかった。
学年ごとに分かれた教室棟。
理科室や家庭科室がある特別棟。職員室や保健室がある職員棟。
運動場が3箇所。プール。剣道場に弓道場。
体育棟に第一・第二体育館と武道場、運動部の部室。
集団で宿泊できるセミナーハウスと、視聴覚室や図書室がある建物。
文化部の部室に、食堂と売店。
雪兎の話では、安全が確保されている場所というのがいくつかあるらしい。
例えば売店、いくつかの部室、体育棟の一部、それらを繋ぐ渡り廊下。
特に体育棟は校内で一番新しく、頑丈だし設備も充実してたから拠点に選んだのだという。
「安全だって言うけど100%の保証はないから、移動はできるだけ誰かと一緒にね」
「うん」
学生証は預けてきたし、崩れて入れない場所もあるから、回れる場所も多くないけど。
説明を受けながら、校舎の中を歩いて回る。
壊れた机が積んである教室があった。
真っ黒に焦げた部屋があった。
黒板が床に落ちていて。
窓がひび割れていて。
教室の真ん中に穴が開いていて。
廊下の天井が崩れ落ちていたり。
ドアに板が打ち付けられていて入れなかったり。
誰かの制服や教科書が隅に積んであったり……。
見て回っているうちになんだか悲しくなってきた。
記憶と変わらないなんて、気のせいだった。
こんなにも学校はボロボロだった。
それが分かるにつれて足が重くなって、口数が減っていく。
「つぅちゃん?」
「……あ、ああ。ごめん」
雪兎の声で我に返った。足が止まっていたらしい。
彼は少し心配そうな顔でこっちを見てたけど、その表情はすぐにしまい込まれた。
「次で最後なんだけど、屋上だし――ジュース買ってから行こうか」
ね。と笑う顔はいつもの雪兎だ。
その表情にちょっとだけホッとして。私は「そうだね」と頷いた。
自販機でジュースを買って、薄暗い階段をのぼる。
屋上に繋がるドアの鍵は壊れていて、少しだけ重たく軋む音がした。
開けた空はすっきりと晴れていた。空気は冷たくて。風はそんなに強くない。
大きく傾いたフェンスの向こうに市街地が霞んでて。普通の景色がそこにあるように見えた。
風があまり当たらないベンチを探して、二人で腰掛ける。
昼休みや放課後には誰かがお喋りしてるような場所だったけど、やっぱり誰もいない。……いや、誰もいない時間なんて結構ある場所だし、それを強く感じるタイミングでもない。
なのに、そう感じてしまうのは校内を見てしまったからだろう。
壊れた教室。入れない場所。埃っぽい廊下。
初日に見えてなかったものを見て。現状を身近に感じて。
それは、選んだ武器よりずっと重くのしかかってくる気がする。
「人、居ないんだね」
校庭からの声もない。代わりに冬らしい風の音がした。
「うん。もう僕達だけだよ」
「日曜だから、とかじゃないんだね」
「そうだね。平日もこんな感じ」
「そっか……」
これまでも休日に吹奏楽の練習でくることはあった。けど、それとはまた違った空気だ。
人の気配がないのに、どこか乾いていて、頬にぴりっとくる。緊張とも不安とも取れない、不思議な感覚があって、なんか落ち着かない。
遠くに視線を向ける。市街地が霞んで見える。
「あそこに見える街にも、行けないの?」
「行けないよ。門は閉ざされてる」
「乗り越えたりできないんだ」
「うん。やろうとした人はたくさん居たけどね」
誰も帰ってこなかったよ。という言葉に、何も返せなかった。
「つぅちゃん」
「……ん?」
「さっきさ。寂しかった?」
雪兎の方を向くと、「なんかそんな顔してた気がして」と言いながらストローを挿していた。
「ああ、うん。そうだね。ちょっと……寂しかった、かも」
「だよね」
雪兎は頷いてジュースを吸う。ストローから口を離すと、空気が吸われる音がした。
「やっぱり人が居ないと、活気がないって言うかさ。そんな感じするもんね」
「うん」
特に昨日までのイメージが残っていると、このギャップは思いの外きつい。
見て回ってる途中にも廊下の隅や窓の向こうが気になってしまって。雪兎に何度か「どうしたの?」と聞かれた。
何かがあるような。見られてるような。そんな感じがしたけど、うまく答えられなくて、濁してばかりだった。
慣れるのにもう少しかかりそうだけど、きっとそうも言ってられないんだろうな、なんて考えてしまう。
殺されてしまうかもという実感はない。
現実感もない。
土日の学校を使った、そう言うゲームなのだと言われたら、簡単に信じちゃう気がする。
でも、そうじゃないと、さっきの教室が。
校内の空気が。
人気のなさが、言ってくる。
「早く元の生活に戻れるといいよね」
雪兎がそんな希望を口にする。希望だと分かるくらい、溜息のような声だった。
「そうだね」
「そのために、がんばらないとね」
「うん……」
ここまで壊れてしまった学校で、元の生活もなにもない気がするけど。私達が頑張らないといけないんだ。そんな気がした。
天気がいい。空気は冷たい。
会話は自然と途切れたけど、このまま沈黙を保っていたくなかった。
とは言っても、話題はない。
ジュースを半分くらい減らして考えた結果。
「雪兎はさ。猫のこと……どう、思う?」
そんな質問しか出てこなかった。
誰だと思う、とはなんか聞けなくて曖昧な表現になってしまったけど。会話を再開させることには成功した。
「猫……かあ」
雪兎はうーん、と言いながらストローを吸う。ぺこ。とパックが凹んだ。
「僕は早く居なくなって欲しいかな」
だってさ、と。私が何か答えるより先に言葉が続く。
「猫がいる限り、みんな安心して過ごせないじゃない」
「襲われるかもしれないから?」
「んー。確かにそれもあるよ。猫は生徒全員を殺すつもりでいる。部員じゃない人達も、みんな猫に殺されたようなものだし。でも、そうじゃなくてさ」
「うん」
「外に出られないのが嫌だなって。遊びに行ったり買い物したりできないんだもん」
でしょう。と雪兎は口を少し尖らせる。
さっぱりと言うものだから、重たい話題のはずなのに少し気が軽くなった。
「そうだね……家具とか、買いに行きたいなあ」
「あはは、部屋殺風景でびっくりするもんね」
僕もそうだったよ、と雪兎は笑う。
「うん。落ち着かない」
「じゃあ、全部終わったらさ。買い物行こうよ」
ね、ほわっとした笑顔が向けられる。
「先輩とかみんなで一緒に、本屋とか喫茶店とか行って、普通に遊んでさ」
そのために頑張ろう。と雪兎は言う。
よく知った顔で。いつも通りの明るい声で。朗らかな笑顔で。
そこには私が覚えてる“日常”が確かにあるように思えて。
「――うん。そうだね」
私に何ができるのかはまだ分からないけど、がんばろう。
雪兎の笑顔と言葉は、私をちょっとだけ前向きにしてくれた。
そうしてどちらの紙パックも空っぽになって。
辺りは静かで。
ベンチに座ったまま、2人でぼうっと空を眺めていた。
晴れている。
日差しは弱い。春はまだ先だけど、空は春に似た淡い色をしている。
すずめがやってきて、ちょちょっと跳ねて飛んでいった。
外はこんなにも普通なのになあ、と、もう何も出てこないストローを噛む。
「いい天気だね」
「うん。そうだね」
どうしようもなく普通のつぶやきに、普通の返事。
「そうだ。つぅちゃんに、いいものあげる」
そう言って雪兎はポケットから何か取り出す。
はい、と渡されたのは数センチの石だった。
無色透明で少し細長い。透かすと空の色が歪んで見えた。
「なにこれ」
「探索中に拾ったの。こういうの好きだったでしょ」
「うん」
頷く。パワーストーンとか誕生石とか、詳しいかどうかは置いといて、好きな方だ。
「でも、いいの?」
「良いと思うよ。僕が持ってても仕方ないし。水晶とかだったら、お守りになるかも」
ね、と雪兎が笑う。
そうだね、と私も笑った。
「ちょっと元気出た?」
「うん。ありがとう」
気遣ってくれた雪兎にお礼を言うと、彼は「そろそろ戻ろっか」と、跳ねるようにベンチから立ち上がった。
空っぽの紙パックをポケットに突っ込んで、手が差し出される。
「はい」
「?」
一人で立てるけどなと思いながらも、折角だし、とその手を握る。
一瞬、雪兎は驚いたように瞬きをして。ふふっと笑って手を引いてくれた。
「ありがとう」
「ん。どういたしまして――って、ホントはそのゴミ一緒に捨てるよって意味だったんだけど」
「あ。えっ!?」
とんだ勘違いをしてた。頬がかあっと熱くなる。
「……そ、それならそうって言ってよ!?」
声を上げると、雪兎はあははと笑って私の手から紙パックを取り上げた。
「つぅちゃん、僕に対して警戒心なさ過ぎだよ」
「うぅ。だって……」
「ふふ、分かってるよ。僕だから、でしょ」
分かってるよと言わんばかりに、うんうんと大げさに頷いて背を向けられた。
「でも、そういう勘違いは巳山先輩の時にした方がいいと思うよ?」
「う……」
返す言葉もなかった。
□ ■ □
「二人とも、おかえり」
部室に戻ると、近くの席に居た牛若君が出迎えてくれた。
「あ、歩くん起きてたんだ」
「うん。狗神先輩と入れ替わりで」
と、指さす先はロッカールーム。その奥の仮眠室で寝てるのだろう。
「残念。寝顔見れないねえ」
「宣言したら警戒されるのは仕方ないよ」
そうだねと笑う雪兎を、牛若君が適当な言葉で慰める。
「巳山先輩達も戻ってきてるの?」
「うん。ロッカールームに居るよ」
「そっか。じゃあコートだけ置きに行こうかな。つぅちゃんも行こう」
そうだね、と頷いて入ったロッカールームでは。
巳山先輩が叶夜ちゃんの足に包帯を巻いていた。