歩み寄るための一言
「……んぅ」
目が覚めた。身体を起こして、目をこする。
「目、覚めた?」
「うん……覚めた」
ぼんやりとした頭のまま、声に頷き。声が違うと気付いて顔を上げた。
「……」
「あれ、つぅちゃんまだ眠い?」
「……雪兎だ」
「うん」
てっきり叶夜ちゃんだと思って答えたのに、目の前に居たのは雪兎だった。机に身を乗り出すようにして、こっちを覗き込んでいる。
横を見ると、叶夜ちゃんが居た。
前を向くと、雪兎がにこにことしている。
少し向こう、入り口付近では牛若君が何かを片付けていた。
「戻って……きてたんだ」
「もうすぐお昼だからね」
「そっか、お昼……」
ああ、だから戻ってきてたんだ。頭もだいぶ覚めてきた。
そして、覚めた頭がひとつの疑問を投げかけてくる。
Q:雪兎が居ると言うことは、他に誰が居ますか?
A:
「……!」
目が覚めた。それはもう、ばっちりと。
「つぅちゃんつぅちゃん。巳山先輩なら居ないよ?」
「えっ」
いや、別に先輩は関係ないよ! と言おうとしたけど、雪兎の笑顔を見るに隠し事は無用のようだ。大人しく認めて「そっか」と頷くにとどめた。
「えへへ、つぅちゃん分かりやすいねえ」
「……うるさいよ」
文句も通用しなかった。ただ、なんか嬉しそうな顔で私の前を離れていった。
「先輩達はお昼買ったら戻ってくるって。戻ってきたら僕達も買いに行こう?」
そうだね、と答えながら毛布をたたんでいると狗神先輩が戻ってきた。いくつかのパンと紙パックの飲み物を抱えて入ってきた先輩は、机の上にそれらを置いて席に着く。
眼鏡の向こうにある鋭い視線がこっちを向いて、すぐ髪に隠れた。
「百瀬もすぐ戻ってくるだろうし、お前らも行ってこい」
そう言いながら、パンの袋を前に手を合わせ、片手で器用にストローを挿す。
「はーい。二人とも行こう?」
「うん」
「あ、はい」
牛若君の姿はない。部室の外で私達を待っているようだった。
あんまりお腹空いてないなとか、日曜だけど売店空いてるのかなとか、ぼんやり考えながら部屋を出ようとしすると。
「あ、あの」
叶夜ちゃんが足を止めて室内へ振り返った。
「あ?」
パンを持ったままなんだよという視線を返す狗神先輩に、叶夜ちゃんは少しだけ言葉に詰まったようだったけど。
小さく息を吸って、こう声をかけた。
「狗神先輩は、ひとりで大丈夫。ですか?」
「――」
その一言が意外だったのだろう。狗神先輩の視線が固まった。
ついでにパンを口に運ぶ手も止まった。手にあったから大丈夫だったけど、タイミングによっては口からぽろっと落ちてたと思う。
けど、それは一瞬のことで。すぐに先輩の目つきはいつも通りになった。
「……この部屋にオレひとりは珍しくもないだろ」
「そう、なんですけど」
「なら、別に普段と変わんねえよ」
素っ気ない言葉と共に目を伏せてパンにかぶりつく先輩。叶夜ちゃんはというと「そう、ですね」とちょっとしょんぼりしていた。
ああ先輩。それは良くない。叶夜ちゃんは察しのいい子だけど、それは伝わらない。というか、先輩のいいとこ知らないと9割誤解するやつじゃないかと思うんですが……!
何か言うべきか、いや、下手に口を出してはいけない気がする。でも……とぐるぐるしてると。
「狗神ー。そこは素直に「ありがとう」だろ?」
ちょっと呆れ気味な声で助け舟が帰ってきてくれた。
帰ってきた助け舟こと巳山先輩は、すたすたと狗神先輩に近付くが早いか、背後から肩を抱くようにその首をロックする。ぐえ、と小さな声が聞こえた。
「せっかく叶ちゃんがお前を心配して、勇気出して声かけてくれたってのにさ。俺、それは良くないと思うなあ?」
「……」
先輩は少しだけ黙った後溜息をついて、こっちを見た。
「叶夜」
「は、はい」
「……心配、どうも」
「よし」
巳山先輩のロックから解放された先輩は、溜息をついて「ほら、百瀬も戻ってきたからさっさと行ってこい」と、私達を追い出すように付け足した。
□ ■ □
「紬先輩」
「ん?」
歩いていると叶夜ちゃんがぽそりと声をかけてきた。
「わたし。さっき、狗神先輩に言ったの……よく、なかったでしょうか」
「へ? なんで?」
うっかりそんな声が出た。
瞬きをして隣を歩く叶夜ちゃんを見る。ちょっとしょんぼりしてる肩に、細い髪が流れている。
「そんなことないと思うよ?」
そもそも、歩み寄ってみたらと言ったのは私だ。彼女はそれを行動に移しただけだ。悪いなんてあるわけない。
「うん。あれは多分、叶夜さんから話しかけられてびっくりしただけじゃないかな」
雪兎と並んで歩く牛若君の意見に「そうそう、そんな感じ」と頷く。
あのピタリと動きを止めてしまった先輩の姿を思い出す。
うん。あれは多分びっくりしてた。予想外で反応できなかったんだろうだなあ。という気がする。
「びっくり、ですか」
「うん」
顔を上げた叶夜ちゃんの目がぱちりと瞬く。
「多分だけど。先輩、叶夜さんから心配されるなんて思ってなかったんでしょ」
「そうそう。そんな感じだったよねえ」
雪兎もうんうんと頷く。「それに」と叶夜ちゃんの方をちらりと振り返り。
「未来ちゃんは心配して言ったんでしょ? それなら大丈夫だいじょうぶ」
にこりと笑ってピースして見せた。
「だいじょうぶ……」
それでもまだ心配そうな声で繰り返す叶夜ちゃんに、全員が頷いて同じ言葉を口にした。
「うん。大丈夫。狗神先輩だし」
だって狗神先輩だもの。
よく見ると分かりやすい人なのか、周りの観察眼が高いのがは不明。