七
自分たちが何ものであるか、キジはまずそこから始めた。キジは自らを須羽の国の民と名乗り、須羽の国と、これを統べる志摩という人物について語った。須羽の国とはどこにあるのか、その地理的な規模を、その人口と米の生産量を、また統治者志摩によってこの国がどのようにして治められているのかを、キジは語った。続けてキジは、山居たちのこの里のように単独であるものと、志摩の下でそうあるように複数の里が合わさって一個のものとしてある場合との違いが何であるかを説明し、特に前者の持つ不利な点と後者の有利な点とを、はっきりと区別して語った。
次にキジが触れたのが、この里が置かれている現在の状況について、すなわち鬼首による支配についてであった。ここでキジは自らの目的を、鬼首の駆逐と現状の支配を終わらせること、併せてこの里を須羽の国へと併合し志摩の統治下に置くこと、これにあると明言した。にわかにざわめき始めた聴衆に向けてキジは畳みかけた。里が、人間の形作る集団の最大限でありかつ自己において完結する絶対的な単位でもあるような時代は、今や終わりつつある。もはや里は全体に対する一部に過ぎない。新たな、より大きな全体、国という巨大な生物が、今この世界の彼方此方であたかも同時に産声を上げている。この生物は成長することを欲する。周囲のものを飲み込みその大きさを増す。その巨大さがそのまま、国の力の強さとなる。
「そうすることが有利だからだ。」キジは言った。
「決して群れてしか生きられないように生まれついているわけではないのに、なぜ人はどこでも、寄り集まって生きることを選んでいる。同じことだ。それが得になるからだ。すすんで損になることをしようというものはいない。確かに一人の人間は自分一人の必要を満たすことができる。だが百人の人間が一様の働きをする時、得られるものは百人分を超え、余剰が生み出される。お前たち町に暮らす人間はそのことをよく知っているはずだ。これと同じことを、もっと大きな規模でやろうというのだ。村や里が、一人一人の人間がばらばらでいた場合には持ち得なかった力を叶えるように、国とは、いくつもの里を一つにまとめることで、それらの里が一つずつであった時には達し得なかった富を実現し、時として対峙せねばならないことになる苦境を一層耐え易いものにする、そのためのものなのだ。」
キジは一度、言葉を切った。この後に続く言葉のために、人々の注意を喚起する意図がそこにはあった。実際、キジが次に何を言うのかを聞き漏らすまいという態度を、聴衆の全てが見せていた。そこには山居も含まれた。
「一つにまとまってあるということは、共通の一つのものがそれらを貫いているということだ。この一つのものが、ばらばらのものを一個に結び付ける絆となる。これが、須羽の国にとっては我が主志摩がそうであり、この里や、この辺り一帯の全ての里にとっては鬼首がそうなのだ。さあ、おれはどうしても尋ねなければいけない。お前たちにはその答を考えてもらわねばならない。いいか、鬼首という絆がこの里を貫いてこれを彼奴の国の一部となした時、お前たちの暮らしには何が起こった。そのことでお前たちは一体どんな得をした。それ以来この里の暮らしは一体どんな風に良くなった。何も感じていないとは言わせないぞ。何も感じないはずがないのだ。おれは鬼首のことをくまなく調べてきたが、奴のやっていることのまずさを見抜くこと程簡単なことはなかった。おれはそれを知って、自分が憤るのを止められなかった。あの男が一番初めにほかの里を襲った時のことを教えてやる。外見上、ほとんど何の前触れもなく、鬼首は動いた。狙われた里はあっさりと落ちた。なぜそれが出来たのか、理由がある。鬼首は自分の里の蓄えを皆吐き出してしまって、それによって武器を揃え、さらにその道の人間を雇って兵を揃えることまでしていたのだ。使った富を惜しむことはない。目当ての里が落ちればその富が丸々手に入るからだ。その後今日に至るまで奴のやり方は一貫している。費やす、奪う。鬼首にあるのはこの二つだけだ。とっておく、という考えは奴の中に存在しないのだ。奴は使い果たそうとしている。奴には跡目がいない。それが理由かは分からないが、奴の収支を調べることは出来た。奴のしていることはまるで、自分の生の終わる時にこの世界まで道連れに出来るようにと骨を折っているようだ。奴は炎だ。野火だ。手の届くものは全て燃やして、後には何も残さないつもりだ。この里を包んでいるのはかくのごとき炎なのだ。さあ聞かせてくれ。すすんで損をする人間はいない。お前たちは一体どんな得をしたのだ。鬼首の炎が、この灼熱の絆が、この里を独りぼっちではなくしたことにはどんな意味があったのだ。お前たちが得たものを教えてくれ。奪われたものを数えてくれ。お前たちが失ったものはお前たち自身の破滅をあがなうために使われる。村々が生み出す実りはその場所を不毛の荒野に変えるために役立てられるのだ。おれは、怒らずにはいられない。ここに暮らしているわけではないおれでさえ怒らずにいられないのだ。お前たちの中に、何も感じていない人間がいるとは、おれにはどうしても考えられないのだ。どうか、これまで考えてこなかったというのなら、今考えてみて欲しい。この状況を放っておいて良いのか。考えてくれ、おれの申し出を。我が主志摩の統治は、集うことの力を理念としている。寄り集まることで大きくなり、その力を合わせることでより大きな困難にも対することが出来るようになる。今であれば間に合うのだ。鬼首によって負わされた傷を癒すことと、将来また訪れるかも知れない災厄を退ける力を持つこと、この二つが、須羽の国がこの里を迎えるにあたって渡そうとしているものなのだ。」
ぱちぱちぱちぱち、と拍手する音が、キジの言葉を遮るようにして響いた。聴衆は初め、それをしたのが誰なのか分からなかった。その動作は聴衆の死角になっていた。キジは、それを行った人物をじっと見つめた。桃太郎やイヌたちもその人物を見た。キジや桃太郎たちの位置からは、その人物もその動作も遮るものなくはっきりと見えていた。拍手をしたのは山居であった。
「いや、素晴らしい、素晴らしい。」言葉だけでなく、山居の声は称賛の響きを持っていた。
「結構なこと。僥倖。この里が、我々が、不運にも陥ってしまった災厄から、あなた方は我々を助け出してくれると仰る。こんなことがあるだろうか。かの悪漢、鬼首がこの里に狙いを付け、フギという触手がこの里に絡み付いた時から私は、もはや未来は暗黒に閉ざされたものと絶望をしておりました。こんな救いの得られる日がこようとは、決して、考えたことはなかったのです。」
これはどういう意味なのか、場違いのような違和感を桃太郎は感じた。桃太郎は、キジがこれから山居を殺害するものと理解していたし、その殺意を山居が認識したものと考えていた。しかし山居のこの態度は、この後の自らの生存に危機を覚えている人間のものとは思えなかった。イヌが、フギを殺す前には持たせなかった剣を、その殺害の後で受け取った桃太郎は、剣を渡されたのはこれが必要になるからだということを感じていた。それで余計に、山居のこの様子はおかしなものに思えたのだった。山居が言及しているのは未来についてであり、その当事者から自分自身を除外している様子を一切見せずに山居はしゃべり続けている。
「この救いの手を掴まずにおくなど、そんな考えがあるだろうか。皆、我らが迷い込んでしまったこの暗闇を抜け出すことに今まで我らがいかに無力無能であったとしても、今、このような救いを前に、助けを求めることだけは、少なくとも我ら自身が自らの声を上げることでしか成されないのだ。それが分からないものが、この中に一人でもいるだろうか。」
賛意の色が集まっている人々の表情を一斉に染め上げた。それは明らかな、目に見えるものであった。キジが呼びかけ、山居が促し、町の人間皆が同意しつつある。不可解さに、桃太郎はもはや混乱をもよおしていた。つつがない事の運びと、その中で重要な役割を演じてさえいる山居の、宙に浮いたままであるはずの運命という二つのものは、決して併存し得ないもののように思われる。自分は今、それら二つを同時に見ている。何か、誰かが、山居の弁舌を中断させてくれることを、桃太郎は咄嗟に期待していた。それはすぐに実現された。山居を黙らせ、今一度聴衆の注意を一挙に集めたのは、キジの、その強さと大きさにおいてはこれまでとそう変わらないが、その厳しさにおいて、これまでとは確かに異なる色を帯びた、声の響きであった。
「はっきりさせておくことがある。おれたちがここで今晩やろうとしていることについてだ。おれたちの目的は鬼首の手からこの里を救い出し、須羽の国へと併合することによって、須羽の国にとってはさらなる力を、この里にとっては安寧をもたらすことにある。今日、おれがしなければならないのは、一つにはこの目的をお前たちに告げることだ。お前たち自身の同意と協力がなければこの目的は成し得ないものだからだ。そしてもう一つには、この目的の妨げとなる人物二人を排除すること、そのうちの一人フギを、おれたちはすでに殺った。」
キジは勢いよく鉄剣を振り抜いて背後に立つイヌを指し示した。イヌを、その手にぶら下がっているフギの首を、人々は見た。
「そしてもう一人、消えてもらわねばならない人間がいる。そこにいる、山居だ。山居よ、お前には今晩ここで死んでもらう。」
大きな反応、戸惑いのそれを見せたのは、集まっているものたちであった。フギはもとより人々の敵であった。全ての人間がフギという男を、鬼首の悪行そのものとして見ていた。よってこれが死骸となって突然目の前に現れたとしても、人間の生首を見ることの恐怖と不快のほかに、フギという人間の死に対する同情をもよおすものは誰もいないのだった。一方山居については、人々にはこの男が殺されようとしている理由は分からず、それが戸惑いを生んでいるのであった。
桃太郎は、これら人々の見せている戸惑いの表情とは全く異なったものを、山居の顔面に見出した。それは、望みの薄い企てが案の定失敗したことに気が付いた人間の見せる、いまいましさであった。どうやら山居は、先程の軽々しくも好意的な立居振舞いによって、自分の身の安全を得るつもりでいたらしい。しかしそれはやはり無駄に終わった、それが明らかになって山居は、本心を隠す覆いを外したのだ。桃太郎はそう考えた。山居が殺害目標であるという事実が周知のものとなり、山居の殺害が自分たちの目的であるということも確認が出来、桃太郎はこれによって自分の心が冷静さの中に落ち着いていくのを感じた。
そして山居による弁明が始まった。
「一体どうして、私が死ななければならないのだろう。あなたはなぜ私を殺すようなことを言うのか。私はこの里を取り仕切るものとしての立場を、祖先から継いでいる。私が死ねば、この立場が私に要求する役目を果たすことは私にはもう出来なくなる。人はいつかは死ぬのだとしても、私の命を奪うものが人であるならば、これに疑問を抱くことなく殺されるというのは、私には、この里を守る私の役目に反したものに思える。」
山居の声は落ち着いていた。不服の色も濃くはなかった。その言葉は聴衆に向けられている。軽薄な愛想のよさを排し、代わるものとして真剣さを置き、確かに山居は、自分が被りつつある暴力の理不尽を聴衆に訴えようとしているのだった。
「この地を治めている人間を殺してしまうことが、これを支配しようと目論むあなた方の手段であるならば、このような言葉のやり取りは茶番だ。あなたのしていることは、自分の暴力のおぞましさを言葉で薄めようとすることでしかない。」
この時、桃太郎の耳には「確かに、口が達者だ。」と、イヌのつぶやく声が聞こえた。直後にキジがまた何かを言い始めたので、桃太郎がこのイヌの言葉に長く注意をすることはなかった。「そのことを話すために」キジは言った。「集まってもらったのだ。」
町の人々をこの場へ集合させたのは自分である、自分の行った工作によってである、そのことをキジは明かしたのだった。キジが桃太郎たちと合流する前に接触していた数人の仲間たちは、町の中へ入り散って行き、以前からの潜伏によって形成された関係性が叶える自然さでもって、例の、「山居の殺されかかっている」旨を町中に報せて回ったのだ。キジは今、集まっている人々に、これらの人々を呼び寄せるために自分が用いたからくりを全てひも解いて見せた。そしてその終わりに、自分がそれをした理由は、これからする話を皆に聞いてもらいその是非を判断してもらうためである、と付け加えた。山居、キジが扱おうとしている本題からすれば当事者であるこの山居は、そのためにキジが用意した場の中にあっては極めて客体的な存在であることが、今や明らかとなった。
「お前は、自分には殺される理由がないと言うのだな。ならば確かめさせてもらう。」キジが言った。
「山居よ、おれはお前のことも調べたのだ。鬼首が最初にこの里へ手を伸ばした時、お前はどうしていた。お前はそれに抗うどころか、すすんでこの里を差し出した、そうだな。」
山居は無言でキジをにらんだ。
「最初に四人の人間が現れた。鬼首の手下が三人、うちの一人はこのフギだった。そして残る一人は、鬼首本人であった。鬼首はこの里を侵略する意図を告げ、無抵抗で里を明け渡すようお前に迫った。だが山居、お前は鬼首の迫り来ることをすでに知っていたのだ。鬼首はこの辺りの三つの里に対して同時に、同じように支配の勧告を行っていた。先に鬼首の接触を受けたほかの里からの報せによって、お前は自分の里にも奴がやって来るのを事前に知っていたのだ。だがこの報せは、ほかの二つの里からの、共闘することによって鬼首を斥けようという協力の要請であったはずだ。お前は協力する、共に戦うと返事をしていた。そして山居、お前は裏切った。お前は鬼首に二つの里が抵抗するつもりであることを明かし、鬼首と結託して、二つの里には鬼首側の襲撃予定日として嘘の日程を教えた。二つの里はこれを信じ、油断しているところを簡単に攻め落とされてしまった。お前はこの暗躍の報酬として鬼首に納めることになる税の減免を受け、その差分は、お前に裏切られた二つの里が負担させられている。」
聴衆の間にざわめきが起こった。明らかに、キジの語る内容に驚き動揺しているのだった。山居が急いで反論した。
「でたらめを言っている。すでに人一人、有無を言わさずに殺しているくせに、私を殺すのにそんな馬鹿話をわざわざ用意してくるとは。こんな風に人を集めて自分の悪事を正当化するつもりでいるのかも知れないが、貴様に証明できるのは自分の行いの不当であるということだけだ。」
山居は敵意を隠すことなく露わにしていた。対照的にキジは淡々と言葉を連ねた。
「簡単に、真実と嘘とを見分ける方法がある。それは事実を知る証人に語らせることだ。おれはこの里でのことが収まり次第、ほかの二つの里、お前が鬼首に売った二つの里にも同じように働きかける。この里の場合と異なるのは、そこでは血を流すつもりはないということだ。二つの里のもともとの長たちは何の罪もない。このものたちがお前のやった裏切りを証明してくれるだろう。これらの里に配置されている鬼首の手下も、おれは無抵抗で降伏させる。フギの首がその役に立つだろう。この手下たちが命と引き換えに差し出す鬼首の情報が、この先で流れる血を少ないものにしてくれるだろう。この手下たちもまた、山居、お前にとって不利な事実を明かしてくれるだろう。」
山居は黙っていた。今や完全に怒り、その怒りのために何も言うことが出来なくなっているかのように、山居は目をつむり顔をしわだらけにして、歯を食いしばって震えていた。このキジという男は、もうずっと前から自分を殺す準備をしていたのだ。もう全て用意が出来て、全ての逃げ場が塞がれた上で初めて、自分はこれを知らされたのだ。自分が、今まで何も知らずにいたことも、今になって激昂していることも、このキジという男の思惑にかなったことなのだ。自分が置かれている状況を今、山居は理解したのだった。
キジの糾弾は続いていた。
「危機が訪れた時、危機は里にとっての危機であったはずだ。ところがお前は自分一人の危機を里のそれに優先させてしまった。お前にとっては里でさえ、自分の利益のために切り売りの出来る、対価の一つに過ぎなかったのだ。誰にでも出来ることではない。山居、お前は毒だ。お前の正しさは鬼首のそれと同じだ。お前という人間の本性とおれたちの目指す未来とは完全に背反している。山居よ、皆の未来のために死んでくれ。お前の中にある悪を道連れにして、死ぬことによって皆の未来を守ってくれ。」
「いい加減にしろ。」山居が怒鳴った。
「おれたちだと。おれたちの未来、ふざけるな、貴様。貴様のそれこそが言葉だけのものだ。人殺しども。この里の暮らしを案じているような言葉を並べてはいるが、貴様らと鬼首と何が違うと言うのだ。鬼首のような悪漢ではないのだとすれば、貴様らは一体何ものなのだ。鬼首でさえ、あの鬼首でさえ、全てに先立って言葉のやり取りがあった。それはもちろん、優しいものでも平等な立場で交わされるものでもなかった。だが少なくともそれは言葉だった。それに負けたのは私の弱さなのだ。ところがお前たちはどうだ。突然現れて、まず殺すことから始めているではないか。暴力を言葉に先立たせているではないか。皆をここへ集めただと。話すためにそうしただと。馬鹿な、見えすいた嘘を言っている。貴様らのぶら下げているその剣とその首が、貴様らの要求を拒むことを我々に出来ないようにしている、そのことに気が付かないと思ったのか。お前はむしろ分かってそうしているのだろう。逆らえはしないと、踏んでいるのだ。そのために、最初に首を用意したのだ。初めにその暴力で人を殺め、次にその骸を道具として無言の暴力でもって我らに言うことを聞かせようとしている。逆らえば殺すという脅しの下で我らにうなずかせ、これにて平和に話し合いは為されたと言うつもりでいる。貴様らのやろうとしているのはこういうことだ。分かっているのだ。」
浅ましい、そう桃太郎は感じた。(キジを悪者にすることで、自分が助かろうとしているだけだ。)その意図は露骨なものに思えた。(上手く行くはずがない。山居に道理はない。あるのは自分の都合だけだ。それは誰にも分かるはずだ。)そう考えながら桃太郎は人々の表情を見やった。そして自分が間違っていることに気が付いた。町の人間たちは真剣な眼差しを、山居の背中越しにキジへと向けていた。その目には、敵意の、萌芽のようなものが見て取れるのだった。桃太郎は自分の最初の考えに対する修正をすぐに思い付いた。ここで今繰り広げられているやり取りは、桃太郎がこれを、ただ山居という人間に対する裁きと見ていたのとは異なり、ここに暮らす人々にとっては自分たちの未来を決定する場であり、彼らが行おうとしているのは自分たち自身を左右する判断なのだ。山居はそれを分かっている。山居は自身の安否に人々のそれを巻き込むことで、人々の利害に結び付いたものとして自らの弁護を行っているのだ。
「何なのだ、お前たちは。何で来た。貴様は私を悪党と言うが、そう言う貴様は災いだ。なぜ来たのだ。」
山居は我を忘れているかのようにわめき散らした。人々は皆不安そうにしていた。わめく山居の前で、じっとそれを聞いているキジは、確かに、今やこの場において異物と化していた。
「そこの三人、お前たちは村の百姓だろう。私は顔を覚えているぞ。だが貴様と、そこの体の大きな人殺しと、そこの子供、貴様ら一体どこの何ものだ。どこから湧いて出た。百姓たちをたぶらかし、この町のものを言いくるめて何をしようとしている。お前たちはこの里をむさぼるつもりだ、正直に」
言い終えない途中で、山居の声が止んだ。山居が気を取られたのは、相対しているキジのとった仕草であった。キジは、目を閉じ、ゆっくりと深く息を吸い、そして吐いた。それは長い、長く深い、溜息であった。これが不意に山居の気を削いだ。一時、沈黙がこの場を占めた。その静けさの中に聞こえたのはキジの声であった。
それは最初、この静けさが許す限りの小さなものだった。これを語ることへの話者の意欲の低さが表れているようだった。反するかのごとく、その言葉は連なる毎に聞くものの関心を惹き、共感を呼び起こした。聴衆の間に生まれた感情の波が、段々とその大きさを増していく。話者もまた、歩調を合わせるように、少しずつ、声に力を込めていった。一つ一つの言葉を、力を込めるそのたびに自分自身から遠ざけるようにして、キジが語ったのは次のことがらであった。
「おれと、この男は確かにこの地のものではない。」
キジはイヌの方をあごでしゃくりながら言った。
「しかし、これは違う。これは断じてよそものではないぞ。この桃太郎は、山のふもとのあの村に生まれた百姓の子だ。両親が死んでしまうまではあの村で暮らしていた。父親を戦で亡くし、母親もその後すぐ死んでしまった。村では誰もが貧しく、残った子供は山奥に住む老いた夫婦のもとへと預けられた。それがこの桃太郎だ。山での暮らしは質素ではあるが、人の子がたくましく育つに入り用なものは不足なく手に入れられるのだ。この姿を見ればそれが分かるだろう。あのまま山で暮らしていることも出来たはずのこの桃太郎が、今日この場にいるのはなぜだと思う。村では今も百姓が戦に駆り出され、命を落とし続けている。そうして残される、親のない子供が増え続けている。そのことを桃太郎は知ったのだ。それを止めるためにここへ来たのだ。他人の境遇がこれを動かした。亡き父の仇を討つなど、これの心には浮かんだことはないのだ。だが、山居よ、おれはどうしてもこのことを黙っておくわけにはいかない。桃太郎の父が死んだのはあの村にとっての初めての戦でのことだ。つまり、この里が鬼首のものになって最初の戦、山居お前はそこでも悪事を働いていた。お前は、鬼首が求めるよりも多くの兵を、率先して戦地へ送り出した。そしてフギと結託して、戦死者の多いのをいいことに、鬼首から支払われる報酬を百姓たちをだましてかすめ取ってしまった。」
誰もが息をのんだ。山居は舌打ちした。フギがこの町に居座るようになって、その後で潤った人間がいるなど、誰にとっても想像し得ないことであった。
「報酬を横取りする一方でお前は、戦利品を持ち帰れば買ってやる、それも数が多い程よく見てやると言って百姓たちをそそのかした。百姓たちはより多くの品を持ち帰るために、戦死者の亡きがらを連れて帰ることを諦めた。桃太郎は父親の骸を見ていない。もともと体の弱かった母親は父親の死を補うべく働いたがすぐに倒れた。本来の報酬が渡されていたならば母と子の境遇は違っていたかも知れないのだ。」
「ひど過ぎる」こう言う百姓の声が聞こえて桃太郎は振り返った。それを言ったのはあの、桃太郎の手を握って泣いていた百姓だった。百姓はその顔を悔しさで歪めていた。桃太郎が長らく遠ざかっているところの戦禍、この百姓は今現在そのさなかを生きているのだ。それを思えば百姓の悔しさは慮ることが出来た。桃太郎は百姓を憐れんだ。百姓は鉄剣を握っていたが、その手に込める力のあまりに強いために、刀身はぶるぶると震え、それを目で見ることさえ出来た。剣という、人体を破壊するための専用の道具が、今はただ静かにこの百姓の感情の発露を表している。桃太郎にはそれが惨めなことに思えた。
「だがこれらの事実を、この桃太郎は今この瞬間まで知らなかったのだ。山居、たとえお前に、桃太郎に殺されても仕方のない百の理由があるとしても、これは決して、復讐のために来たのではない。他者の未来を案ずるがゆえに来たのだ。」
もはや場の空気は傾き、その傾きの大きいために二度と元には戻らないもののように思われた。集まっている人々は決して、須羽の国や志摩や、目の前にいるキジという男の信用などについて結論を得たわけではなかった。ただ、山居はどうやら助からない、この印象が今や誰の心にも着地しつつあった。
「奪ったものを返せ。将来のためにその埋め合わせをしろ。」
キジが言った。もはや咎めることさえ不快だが、仕方なしに咎めている、声にはそういった響きがあった。
「山居お前、どうして他人の命をそこまで安いものとして扱っておきながら、自分の命にはそうも高い値を付けることが出来るのだ。」
山居は下を向き、もう何も言わなかった。そうして無言のまま、うつ向いたままで一歩二歩と前に出て、山居は目の前のキジに飛びかかったのだった。
山居がキジに飛びかかるのと同時に桃太郎も動いていた。キジのところまでは五、六歩の距離だった。一瞬で詰めることの出来る距離に違いなかった。この一瞬は、なぜかとても長いもののように桃太郎には感じられた。桃太郎は接近する間も山居から目を離さなかったが、その山居の動く姿は、ひどく間延びした、遅延したものに思われた。山居はキジの右腕に飛びついて、その手から鉄剣を奪ってしまった。キジはこれに全然抵抗をしていないように見えて、桃太郎は不思議に思った。山居は奪った鉄剣を振り上げ、そのままキジめがけて振り下ろすように見えた。動きは素人のそれだった。キジと山居の間に割って入るまであと二歩、もう初撃の動作を作り始めなければいけなかった。山居の、鍬でも振り下ろすような構えを見て、桃太郎は剣を右手から左手に持ち換えた。山居のもとへ到達する最後の一歩、走り込んで来た勢いを無理矢理に押さえ込み、そうすることで生じた力の無理を、爆発のような反動を、集めて押し固め斬撃の動作を形作った。山居の振り下ろす両腕を迎え打つ形で、低いところから打ち上げる左手の鉄剣が、山居の手首と衝突するのを桃太郎は見た。
キジに飛びかかったその時から、山居の心理は一心不乱の状態にあった。今、その状態は違和感によって中断された。一つには、鉄剣の重量を感じなくなったこと、もう一つには、剣を両手で握ることによる左右の手の連結が解かれたこと、二つの唐突な肉体感覚が、山居の、全ての注意を一気に引き寄せた。自分の手元を見た山居が最初に気付いたのは、剣がない、ということだった。それはすぐに見つけることが出来た。山居の剣は、激しい音を立ててすぐ近くに落下したのだった。山居はそれを急いで拾おうとしたが、手がなかった。両方の手首からこぼれている血が、地面に滴り落ちる音を山居は聞いた。自分の足や腕が濡れるのも感じた。痛みがやって来たのは全ての感覚が出揃った後、一番最後になってようやくのことであった。
「わああ、わあああ。」
一応、反撃に対処する姿勢を桃太郎はとっていたが、その場に崩れ落ちて絶叫する山居の姿を見ると、それは不要だということが分かった。
振り返るとキジと目が合った。落ち着いた、今しがたの出来事に一切動じていない様子であったが、その目付きに弛緩はなく、真剣さが桃太郎を射ていた。
「桃太郎、そいつの首を落とせ。」
断頭の光景。ついさっきイヌによって行われたそれが桃太郎の中によみがえった。フギの、頭部を分離した際に、びく、と動いた首から下の体の、まだしばしの間、生命の惰性のようなものが宿っていることを思わせる、その姿が思い起こされた。
「もちろん、首を切るのはお前でなくても出来る。それをすすんでやるかはお前の自由だ。殺される理由があるのはこの男だ。ただ、この男を殺す理由を誰よりも多く持っているのはお前だという、それだけのことだ。」
桃太郎が周囲を見渡すと、誰もが自分に注目していることが分かった。桃太郎は振り返って村の百姓たちを見た。百姓たちの目には特に強く、何か訴えるものがあった。イヌとは目が合わなかった。イヌは視線を低いところへ、桃太郎たちの足下へ向けていた。桃太郎は自分の足下の、うずくまっている山居を見た。山居はキジの言葉が聞こえていたのか、その先端を欠いた両腕で抱くようにして、首の後ろをかばっていた。イヌがしたように首を落とすには、都合が悪かった。
桃太郎は丸くなっている山居の背中に、一度、二度、剣を刺した。一度目は刺すと同時に引き抜いて、引き抜くと同時に二度目を刺した。そのまま刺した剣をこじるように、ぐいぐいと動かした。流れ出る血の量を見ると、それが期待しただけのものに達しているのが分かった。ひとまず絶命させてしまう、そのことには成功したように思われた。手が伸びてきて山居の髪をつかんだ。それはキジの手だった。キジは山居の頭を乱暴に揺すって、首をかばっていた山居の腕を解いた。桃太郎はあらわになったその首すじを見た。キジは顔を上げず、そのままでいた。桃太郎は、山居の体の横へと移動し、キジが山居の頭は保持したままで邪魔にならないよう自身の身を引いたのを見、鉄剣をゆっくりと高く持ち上げると、今度はそれをまっすぐに落として山居の頭を体から切り離した。
キジは山居の首を手にしたまま立ち上がり、町の人々を振り返るとこう言った。
「これよりこの地を須羽の国に加え、我が主志摩の統べるものとする。」