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 鉄や陶磁器そして布など、山では得ることが出来ないこれらの品を、たとえ生活の、こと食生活の全てを自力で満たしている桃太郎と老夫婦であっても、欲することが時にはあった。これはふもとの村へ下りて行って、交換によって手に入れるのが常であり、それをする時期は、交換の元手となるものが豊富にあるという理由から秋と決まっていた。村へは、以前は翁が一人で出かけていたが、今ではそれは桃太郎の仕事となっていた。翁の健脚は山と村の往復を苦にすることはなかったが、桃太郎はより多くの荷物を難なく運ぶことが出来るのだった。今また山は秋の盛りにあり、木々がもたらす年に一度の恩恵をどっさりと携えて、桃太郎は山を下りているところだった。

 道中、桃太郎は出かけるときの、家でのやり取りを思い出していた。翁が、桃太郎を引き止めたのだ。翁は代わりに自分が村へ行くという。理由を尋ねると、いつもお前に任せて悪いからと言う。これが全く何の理由にもなっていないことは明らかだった。桃太郎は自分の仕事を嫌だと思ったこともなければ、自分たちの中の誰かがこの役目を嫌がっているなどと考えたこともなかったのだ。そうして結局、自分で出かけて来ているのだが、翁の不可解な言動は桃太郎にその意味を考えさせずにはおかなかった。桃太郎はすぐに、あのキジが訪ねて来た日のキジの帰った後になって翁が漏らした言葉と、先刻の翁の態度を結びつけた。翁は自分を村へ近付けまいとしたのだ、と桃太郎は考えた。しかし、ならばなぜもっとはっきりとした態度を翁はとらないのか。翁は自分を山に留めておきたい意図を自ら口にしていたではないか。その意図を後ろへ隠したまま無意味な言葉で桃太郎を引き止めようとした先刻の様子は、とても翁らしくはないものとして桃太郎の心に印象を残していた。桃太郎は、自分の知る翁にもっと毅然とした態度を期待していた。そしてその期待が裏切られたような気分を感じていたが、なぜ、何が翁にこのようなあいまいな態度をとらせたのか、それを深く考えてみることを、しかし桃太郎は思い付かなかった。


 山においてそうであるように、村もまた秋であった。田という田は金色に染まっていた。苗がここまで成長し、葉の緑と対比して赤みがかってさえ見える穂をその重みで垂らしている、そのこと自体は生きものの持つ生きていくための機能に違いなかったが、畦で囲った四角に整然と並んだ稲が一様に頭を垂れているその姿は、まるで人間の手によって刈り取られるのを待っているようだった。そして原風景であるはずの田園を、来るたびに狭く感じられる故郷を、桃太郎は歩いて行った。右も左も田んぼだらけのその間を縫っている道をしばらく行くと、田畑の代わりに家の建ち並ぶ景色に変わってくる。町、と人々が呼んでいるこの場所は、百姓ではない人たち、すなわち食べ物を生産するのではない別の何かを職業としているものと、ごく少数の、自らが生活していくために自分自身によるいかなる労働も必要としない人間の住みかであった。

 用事はすぐに済んだ。桃太郎の背負う籠の中身は、家を出る時には一杯の果実であったが、今やそれは調理用の刃物へと姿を変えていた。後はこれを家へと持って帰るのみであった。その前に、媼が昼にと持たせてくれた食べ物を頂くに適当な、ちょっとした木陰を桃太郎は探していた。桃太郎は来た道を戻り、町のはずれの、家々がまばらになってきた辺りで、脇道へと入った。少し先の方で道端に大きな木が立っているのが見えた。そこが腰を下ろして小休止するのに丁度いい場所のように思えて、桃太郎はそのまま進んでいった。


 そこにはしかし先客がいた。その場所は道と畑とまた別の畑とが接して三叉になっているところで、一方の畑の隅の、小さな空き地のような部分に、人の手で植えたのであろう大きな木が一本だけで立っていた。桃太郎が見たのはこの木に違いなかったが、近くに来てみるとその木の下では一人の男が鍬を振るって何やら地面を掘っている。傍らには子供が一人、突っ立ったままそれを眺めていた。一体何を掘っているのか、桃太郎は地面の方に注意を向けたままそこへ近づいて行ったので、見ようと思えばその顔を判別出来る距離になってもまだ、人物の方を意識してはいなかった。そして、男の方が先に気付いて声を発したのだった。

「おお、桃太郎か。どうした。」

 地面を掘っていたその男とはキジであった。上をはだけ、その胸を汗で光らせながら鍬を振り下ろしていたキジは、その手を止めた。そして息をわずかに切らしながら言った。

「こんなところで会うとはな。どれ、もう昼だ。一度休むかな」

 キジは鍬を足元へ置くと、汗をぬぐって木の陰になっている場所へ腰を下ろした。どれ、お前も座ったらどうだ、と声をかけられて桃太郎は、さすがに黙っていられずに聞いた。

「どうして、こんなところに、何をしているんですか。」

 戸惑いにそのまま言葉の形を与えたようなこの問いに、桃太郎はさらに、目の前にいるキジをどう呼べばいいかわからなかったために翁の呼び方を用いて「だんな様。」と付け加えた。しかしキジの方は全く自分の調子を崩さずに、ただ今しがたまでの肉体労働に対する疲弊のみを声に表してこう言った。

「キジでいい。まあ座れ、桃太郎。何も話してやらんと言うんじゃない。お前が聞くのだから答えてやるとも。だがともかく昼だ。飯だって食わねばならん。話はそれからだ。」

 すると例の、キジが地面を掘るのを傍らで見ていた子供、八つか九つぐらいのその男の子がキジに近寄って何か手渡した。それは握り飯であった。キジは「悪いな」と言ってそれを受け取ったが、男の子がどうやら自分の食べる分を持っていないことに気付くと、二つあった握り飯の一つを男の子に返した。二人はそれで昼食にするようだった。桃太郎も、自分の食べ物から男の子に分けてやり、一緒に座って食べた。そうして三人、一つの木陰で休んでいる間、キジは桃太郎に事のいきさつを話したのだった。


 近くに来るまで桃太郎は気が付かなかったが、そこにはわらで編んだむしろをかぶせた何か大きなものが置いてあった。それは人間の死体であった。その死体は、この男の子の父親なのだった。キジが掘っていたのは死体を埋めるための穴だった。キジは、男の子の父親の亡がらを葬る手助けをしていたのであった。

「前にも言ったが、おれは色々と調べて回っていてな。今回、戦から還って来たものがこの子に父親の亡がらを引き渡すところに、たまたま出くわしたのだ。むごいことだ。見てしまったら、放っておくわけにもいかなくてな。」

「この子の、母親はどうしたのですか。」

 桃太郎が尋ねた。これに答えるキジには、何かいまいましいものに触れる様子があった。

「母親もその場にいて、見て、知っている。そして今は、仕事に行っている。稲刈りの忙しい時だからな。」

 キジは最後の言葉を男の子に向けていった。男の子は、たどたどしい言葉でこう答えた。

「手伝いに行かないと、うちの時に来てもらえないから。でも、母ちゃんしか行かれないから、うちの番になっても、みんなの父ちゃんたちは来てくれないかもって。」


 桃太郎はこの墓穴掘りを手伝うことにした。桃太郎が穴掘りを代わり、キジがもう一本、鍬を取りに行って戻って来ると、もう桃太郎は仕事をほとんど済ませてしまっていた。二人して亡きがらを穴の中に横たえると、今度は男の子も手伝って、三人で土を被せた。亡きがらはつつましくも完全に埋葬された。キジが言った。

「ぼうず、大丈夫か。」

 たった今埋め戻したばかりの、土の色の違っている所を見つめたまま、男の子は黙ってうなずくだけだった。キジは今度は桃太郎の方を向くと、こう言った。

「桃太郎、お前、今日のうちに戻るんだろう。足止めして悪かったな。だが、おかげで助かった。」

 桃太郎は返事をしなかった。キジはそれを待っている様子もなく、また男の子の方を見たが、同時に男の子も顔を上げてこの二人の年長者の方を向いた。そして言った。

「おじちゃんと、お兄ちゃんも、ありがとう。」

 この言葉に二人とも不意を打たれたので、一瞬、間があったが、ふっと笑ってキジが言った。

「おれはおじちゃんでいいがな、これは桃太郎という。それで思い出したが、ぼうず、お前の名をまだ聞いていなかったな。」

 すると男の子が答えて言った。

「おいら、彦三郎。」


 桃太郎は彦三郎に別れを告げて帰路についた。キジは今晩もこの村に滞在するらしかった。そして村はずれまで送るのだと言って桃太郎について来た。そこら中を稲穂が埋め尽くしている間を、二人は歩いた。確かに今はもう刈り取りの済んでいる田がところどころにあるのだった。そして大勢の、一つの村落の全ての百姓とその家族が集っているかの大所帯で、今まさに稲を刈っている横を通り過ぎながら、キジが独り言のように言った。

「稲刈りというのは皆の家を皆で手伝うものだろう。人間、貧しいところでは情よりも損得が上回ると見える。」

 桃太郎にとって、キジとの再会は全く予想外のことであった。それでも桃太郎は、今隣を歩いているこの男に、自分は何かを尋ねなければいけないという感じがしていた。それはどうしても聞かなければならないことのように思えるのだが、実際に何を聞けばよいのか、桃太郎にはそれが分からず、分からないでいるうちにキジがまた言葉を発した。

「桃太郎、お前国とはどういうもののことか分かるか。」

「いえ、分かりません。初めて聞く言葉です。」

「お前、今日は町まで行っていたんだろう。国というのはな、村や町よりももっと大きな人の集まりのことをいうのだ。」

「そんなにも大きな村が、世の中にはあるのですか。」

「いや、大きいと言ってもそのまま大きくするのではない。村というのは人の集まりだろう。国というのもまた、村や町の集まりなのだ。」

「ここと同じような村が、一体ほかにいくつあるのですか。」

 自分のふるさとのほかにもまだ、村と呼ばれる場所があるということ自体が、桃太郎にとってはキジによって初めてもたらされた知識なのであった。

「それではこの世そのものの大きさを尋ねているのと同じだ。はかり知れるものではない。」

 キジは苦笑しながら答えた。そしてまた表情を戻すと話を続けた。

「いくつかの村があって、そこに一つの町がある。これを里と呼ぶが、こうした里はどこにでもあって、里どうしは互いに多少の連絡はあるものの、自らの暮らしを成り立たせることは自分たちの手で行ってきた。今まではこれが、この世の人の暮らしのほとんど唯一の形だったのだ。」

 キジは一度言葉を切ったが、続く言葉があるということを、訪ねて来た日にキジから聞いた言葉の何らかの記憶が桃太郎に教えていた。

「今まではそうであった。だが今は違う。違ったものが、形作られようとしている。それは遠い世界の話ではない。おれたちのいる、この場所で起こっている。鬼首という男が、それをしようとしている。もうすでに始まっているのだ。戦という形で、目に見えている。」

 桃太郎の頭の中には、先ほど自分が一人の死者を埋葬したことが思い出された。そして言葉が、ひとりでにこぼれた。

「彦三郎の父親は戦で死んだ。」

「あの子を見て何かを感じたのなら、すでに言ったことだが、繰り返して言うのも無意味ではあるまい。あんな風に親を亡くす子供が、もはや珍しくはないのだ。しかも桃太郎よ、それがお前の身に起こった時から今日まで、一体どれだけ経っている。ずっと続いているのだ。否、ただ続いているよりももっと悪い。鬼首が戦をするのは新たな獲物に手を出すということだ。それが続いているということは、長く続いた分だけ規模の大きなものになっていくということだ。これは推測ではない。おれが自分の足を使って調べ確かめたことだ。いくつもの里が、元は別々のものだったそれらが、鬼首という一つの輪でくくられている。そしてこの輪が、少しずつその大きさを増している。これが国だ。鬼首は国を創ろうとしている。だがこれは災いなる不幸の国だ。止めねばならん。」

 鬼首という男の悪行について桃太郎は、その名を聞くたびに悪漢の人物像を思い描くことが出来る程度の認識をすでに得ていたが、未だ国とか里とかいった世界観を我がものとするには至らないのだった。それでも自分に分かることを、自分にも問うことの出来るだけの問いを、桃太郎は口にした。

「でも、どうやってそれを止めるのですか。」

「言ったろう。仲間を集めるのだ。戦で人が死ぬということはそこら中で起こっている。鬼首の被害者には全て、仲間となる見込みがある。珍しくないということが数の上でおれたちの強さとなる。」

「その見込みのあるものとは、残された人たちのことを言っているのですか。あの彦三郎のような。」

 桃太郎をこの問いに至らせたものは、第一にはキジの誘いを受けた自身の経験であるはずだったが、今、脳裏に浮かんで消えずにある彦三郎の姿を、桃太郎は見ているのだった。

「ことが長引いた場合を思えば、たとえ今は子供であっても馬鹿にはならん。しかしそんなにも時間をかけることを考えてはいられないのだ。」

 キジは急に語気を強めた。そして同時にその歩みを止めて立ち止まったので、桃太郎は驚いて、自分も立ち止まるとキジの方を見た。キジもまた桃太郎の顔を真っ直ぐに捉えていたが、それはもはや睨んでいると言っていい、厳しい表情であった。そしてその強い口調を緩めることなく言った。

「ぐずぐずしている間はないのだ。鬼首によってもたらされる最悪のものとは、貧困だ。貧しさによって、これから、戦で死んだよりもずっと多くの人間が死ぬことになる。それはむしろ、すぐには命を落とさないだろう。生きて、死ぬよりも惨めな思いをするのだ。遠いところにいる知りもしない人間を肥やすために、自分一人に必要な分の二倍も三倍も働いて、自分の受け取るものはその必要を下回り、いつも腹を空かせあらゆるものに不足しながらも辛うじて死なずにいる。そして死なない以上そんな生活は続いていくのだが、それを持続させているのはそれが途切れては困る人間なのだ。鬼首は手に入れた村や町を表面上元のままにしておいて、それら全ての上に自ら座している。実入りが変わらないのに支払わねばならないものが増えてしまった。この先、かつてない程の困窮がやって来る。明らかなことだ。そして誰もそのことを知らない。」

 言葉を切って、キジはまた歩き始めた。桃太郎も歩いたが、再び語り始めたキジの口調は、元の落ち着きのあるものへと戻っていた。

「彦三郎の母親は働きに出ていると言っていたな。どれだけ頑丈な女かは知らんが、二人分の働きは出来ないだろう。まあ亭主が死んで、入り用の方も一人分減じてはいるがな。」


 村のはずれに近づいていた。連なる山々の最初の一峰が、今や眼前に迫っていた。田んぼだらけの景色の向こうで別世界の物体のごとくたたずんでいた時と比べ、ふもとまで来るとかえって、山はその大きさを見るものの感覚から遠ざけてしまうのだった。自分はまだ聞くべきことを聞けていない。あるいは言うべきことを言えていない。何を自分は聞き、言わなければならないのか。それをずっと考えていた桃太郎は、山が与える印象のこのような変化をもって、間に合わせなければいけない最後の瞬間が来ていることを知った。

「あなたは、なぜ僕のところへ来たのですか。」

 桃太郎が沈黙を破ったことも、そうして投げかけられた問そのものも、キジにとっては意外のものであった。キジはそのことを隠さず表情に出した。しかしこの問に答えること自体は、必ずしも難しいことではなかった。

「見込みがあると思ったからだ。失ったものがある。理由があるということだ。それに時が経っているだけに、年の頃も丁度良いと思ったのだ。」

「ではあの子は、彦三郎を仲間にするというのは、本気でそう考えているのですか。」

 桃太郎は立ち止まり、キジもまた立ち止まった。秋の日は短くなり、もう黄色っぽい光を低いところから投げていた。キジはすぐには答えず、桃太郎の表情を観察していた。一方桃太郎は、最初の問いを発する前からずっと、苦しそうにその顔をしかめているのだった。

「どうした。何が気になっている。おれがさっき言ったことを例え話か何かだと思ったのなら、そうではないと言っておく。挑もうとしているのは簡単な戦いではない。頼れるものは全て頼る。」

「しかし、それは、むごくはありませんか。」

「なるほど。爺さんがお前をかばって言ったように、そして今お前があの子供について言うように、それをむごいと言う人間にとっては確かにそうなのだろう。だが話は彦三郎のことではなかったのか。彦三郎はどこにいる。あの子が何を感じているか、何を考えるのか。お前たちはそのことにちっとも触れていない。そしてあの子は何を為すのか、行為する機会を丸ごと、お前たちは奪っている。桃太郎、爺さんはお前の過去の不幸は現在において償われていると言った。きっとそうなのだろう。してお前はそれを何に用いる。その現在を維持することか。それも良いだろう。それがお前の意思である限りは。彦三郎はどうだ。あの子の不幸は償われるのか。そうかも知れない。あの子自身、生きている。母親も生きて働いている。辛うじて手元に残ったものだけで、どんな未来にでもあの子は辿り着けるだろう。だが目指す未来をどこに選ぶのか、それを決めることはあの子自身がしなければならないはずだ。あの子が、父を奪い母と自らを苦しめている相手の打倒を己が道と決めるとしても、お前に一体何が言える。桃太郎、お前の家で食った飯は実にうまかった。この村で男手を失って忍ばねばならない貧しさがどんなものか、お前には分かるだろう。あの子がその貧しさからどんな行動を引き出すのか、山であのような豊かさの内に暮らしているお前が、それについて一体何を口出ししようというのだ。」

 キジは決して、先程そうであったように、感情的になって語るのではなかった。その言葉はゆっくりと、淡々と声に出された。そこにはもう感情が火花を散らして瞬いているのは見られなかったが、代わりにその一つ一つが石のような質量をもって、桃太郎の中に積み重なっていった。

「大切なのは本人の意思だ。それだけが大切なのだ。意思なくしては人は行動できない。意思のある人間だけが何かを行うことが出来る。鬼首にも強い意思がある。彼奴の悪行を実現しているのはその意思の強さなのだ。その強さを持たない多くの人間が鬼首に下っている。おれはその強さを仲間に求めたいと思っている。意思をはっきりと示し行うことの出来る人間でなければ、鬼首のような相手とは戦っていけはしない。だからおれは仲間に引き入れたいと思う人間の意思を大切にする。お前のことも、すぐに諦めただろう。」

 そう言うとキジはにやりと片方の、口の端を歪めた。桃太郎はキジのその表情を見たはずだったが、対照的に、自身はその渋面を崩さなかった。そしてそのまま黙ってしまった。キジももう何も言わなかった。

 もう行かなければならないはずだった。道中で日没を迎えるわけにはいかない。そのことに急き立てられながら、桃太郎は自分が言うべきこと、問うべきものとは何であるかを概ね確認した。桃太郎は躊躇していた。むしろずっとそうしていたかったが、時間的猶予の不足がそれを許さないことは分かっていた。言葉にするか、言わずにおくか、二つに一つを選ばなくてはいけなくなってしまった。二つのものは桃太郎の内部で拮抗した。そして、言うべきでない、という感じが漠然としたものであるのに対し、「言え、言え」という声を耳で聞いているようにはっきりと感じるので、これを理由とすることを桃太郎は決心したのだった。

「ぼくがもし、あなたの仲間に入ったら、彦三郎を戦いから遠ざけることが出来ますか。」

 桃太郎は言った。キジは間を置かずに答えた。

「未来のことだ。約束は出来ん。だがそれをするために、おれは仲間を集めているのだ。それだけははっきりと言うことが出来る。」

 一つ、深く呼吸をして、桃太郎は目をぎゅっとつむった。そしてまた目を開け、その目が捉えているキジに向けて言った。

「キジ、さん。」

「さんを付けるな。ただのキジでいい。」

 普段であればためらうところだったが、呼び方にこだわるだけの余裕を桃太郎は持ち合わせていなかった。

「キジ。ぼくをあなたの仲間に加えてください。ぼくは、鬼首を討つために戦いたい。」

「それがお前の意思であるなら、喜んで迎えよう。だが桃太郎よ、お前は一度断っている。お前の意思は変わったのか。それともあれはお前の意思ではなかったのか。意思の強さの不足、意思そのものの不足、いずれも鬼首を相手にする上で目的の妨げとなり、仲間を危険にさらすものとなる。おれはお前を仲間にしたい。だからおれにお前を信用させてくれ、桃太郎。いいか、おれは明日お前のところへ出向く。今日のうちに爺さん婆さんに話をしておくんだ。明日行ったときにまだ話が通っていないようなら、おれはもうお前を仲間に入れることはない。分かったな。」

「はい」とだけ返事をして桃太郎は走り出した。


 こうして桃太郎はキジの仲間となり、鬼首打倒の計画に加わることとなった。その計画とは最終的には武力による蜂起であることを理解していた桃太郎は、老夫婦に自分の意思を伝える時にはもう、自分は二人の養い親と別れこの家を出て行くものと覚悟していた。しかしそうではないということ、事を起こすのは今すぐにではなく、その時が来るまで桃太郎はここでしかるべき訓練を受けるのだということを、翌日キジがやって来て老夫婦に話をした。

 キジは思いのほか早く現れた。それはもしかすると、桃太郎が横着をして老夫婦にしなければならない話を明朝に先送りしていた場合に、約束の不履行を看破するためだったのかも知れなかった。しかし桃太郎は、不意を打って到着したキジが、前の晩に自分が老夫婦に対して行った意思表明に伴う下手な説明を補ってくれたことで、実際、救われた心地がしていた。

 二人の養い親の反応にはいくらか異なるものがあった。媼は昨日、もう暗くなるという時に息を切らして帰ってきた桃太郎から、今日村でキジに会った、自分はキジの仲間になって戦うことに決めた、と言われて当然混乱した。当惑を極めたその様子は桃太郎の胸を痛めるものでもあったが、今朝顔を合わせた時すでに媼は落ち着きを取り戻していた。それはキジの話を聞かされているさなかにも、もう波立つことのないもののように見えた。そして桃太郎は、それが諦念によるものだと悟った。それを教えたのは今一人の養い親、翁の様子であった。翁の反応は最初から小さかった。桃太郎は、暗くなっていく山の中を大急ぎで駆け抜け家に帰り着いた時、心配から表で桃太郎の現れるのを待っていた媼の表情とは全く対照的なものを、隣にいた翁の顔に見たのだった。それはまるで、好ましくない出来事を予期していた人間がその実現を知った時に見せるような、失意の色合いであった。

 媼が以後、この時に見せた諦念を表に表すことをしなかったのに対し、翁のこの失意の方は、この後もずっとそこに留まり続けた。そして翁という人格を一つの寒色が染め上げ、ほかの明るく、暖かい色が入り込むのを許さないのだった。

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