プロローグ2 熊谷次郎直実①
「哀れなものだ……」
熊谷次郎直実は、海岸に打ち寄せられるように集まった敗れた平家兵の群れを見て、そう呟いた。わずか数年前まで、平家は全盛期を迎え、その勢いは天を衝くようだった。しかし今は、源氏の前に敗れ、滅亡の淵に立たされていた。
直実自身も源氏方に属し、平家を追い詰める戦に参加していた。目の前の惨状は、世の無常さを痛感させ、彼の心に深い悲しみと哀れみを呼び起こした。
「哀れではあるが、感慨にふけるのは後だ。今は逃げていく平家の将を討って、手柄をあげねば」
気を取り直した直実は、海岸を捜索し始めた。そして、一人の若武者が海に向かって逃げるのを発見する。直実は若武者を呼び止め、戦いを挑んだ。
若武者は小柄ながらも技量が高く、直実を苦しめた。しかし、経験豊かな直実が勝利を収め、若武者の兜を剥ぎ取った。そのとき、直実は若武者の顔を見て驚愕した。その顔は、女性のように美しく、瞳は燃えるような緋色をしていた。
直実は若武者の性別が女性であることを悟り、殺すことをためらった。しかし、武士としての務めを果たさなければならないという葛藤に苛まれる。
その時、奇妙な現象が起こった。二人の周りが光に包まれ、不思議な乗り物のようなものが現れ、若武者を乗せてどこかへ消えてしまった。
直実は何が起きたのか理解できずにいた。残されたのは、若武者が持っていた横笛だけだった。
呆然としていると、味方の源氏方の武士、土肥実平、梶原景時らが駆けつけてきた。
「熊谷殿、いかがなされた?」
「おぬし、平家方の武者を組み伏せていたようだが、どこへ逃げた?あやつの馬と兜は残ってるが……まことに面妖な」
口々に質問されるが、直実にもわけがわからない。
信じがたいことだが、あのまばゆい光も、あの【何か】と若い男も、土肥や梶原らには見えなかったらしい。
ふと、消えた若武者が乗っていた馬の足元に、白く細長い絹袋が落ちているのが見えた。
直実は絹袋を拾い紐を解く。中から、見事な装飾を施された、一本の横笛が出てきた。
「笛……」
直実は、昨晩平家方の陣から、笛の音が聞こえていたのを思いだした。
戦場にふさわしからぬ美しい調べに、思わずうっとりとしたものだが……。
「それは、笛でござるか?わが源氏方の兵に、まさか戦場に笛を持ってくる者はいまい。平家の公達とは、優雅なものでござるな」
土肥実平が皮肉っぽく言った。
「さて、熊谷殿、すでに敵は潰走した。只今の件は、戻って御大将に報告するとよい」
梶原景時は直実にそう告げた。
二人が去った後、直実は笛の入っていた絹袋をぎゅっと握った。
(あの若武者、いやあのおなごの命を取ることにならないで良かった。)
そうつぶやくと、直実は大事そうに笛を絹袋にしまい懐に入れた。
やがて、遅れていた直実の郎党も駆けつけてきた。
直実は、若武者の残した兜を馬に繋ぎ、本陣へ戻っていった。