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機嫌予報

作者: 村崎羯諦

『それでは次は、本日の石原有紀子さんの機嫌についてお伝えします。気性予報士の井川さーん?』

『はい。本日の石原有紀子さんの機嫌ですが、午前中は比較的安定する見込みです。ただ、午後からは突発的な怒りや失望の感情が湧き上がり、夜までぐずついた機嫌となるでしょう。依頼事は可能な限り午前中に済ませ、午後はそっとしておくことをおすすめいたします。それではみなさま、今日も素敵な一日をお過ごしください』


 軽やかな声と同時にラジオ番組が終わり、CMへと切り替わる。俺はイヤホンを外し、大きく頷く。それから俺は石原由紀子こと妻がいるリビングへと向かった。夜にお願いしようとしていた、小遣いの前借りについて交渉をするために。






*****






 機嫌予報。それは誰かのその日の機嫌を予報してくれるサービスのこと。郵便受けに入れられていたチラシから偶然その存在を知った時、俺はすぐさま申し込みを行った。決して安い利用料金ではない。それでも、この機嫌予報にはそれだけのお金を支払う価値があると俺は判断したからだった。


 俺が嫌いなもの。それはコントロールできないもの。そして、コントロールできないその最たるものが妻の機嫌だった。


 機嫌予報を利用し始める前は、妻のご機嫌を伺う毎日だった。一挙一動から今日の妻の機嫌を推測し、少しでも不機嫌の気配を感じ取ったら、できるだけおとなしく一日を過ごす。妻のことは愛していたし、離婚したいとは思っていない。それでも時々、妻の言動に右往左往する自分を情けなく感じてしまうこともあった。


 しかし、この機嫌予報を始めてからというもの、俺の毎日は変わった。俺は毎朝、妻の機嫌予報を聴き、その日の行動を考える。妻の機嫌を気にするという点では今までやってきたことは同じだが、少なくとも妻の一挙一動から機嫌を伺う必要がなくなっただけでも、大きな違いだった。


 心にはゆとりができ、その分俺は妻に優しくできた。些細な言い争いは減り、夫婦関係は劇的に良くなった。それもこれも、機嫌予報のおかげだった。だから俺は今日も、妻の機嫌予報を聴く。妻の機嫌予報を聞いてさえすれば、俺は妻との関係をコントロールでき、その結果幸せな夫婦関係を築き上げることができる。俺はそう信じている。


『今週末、石原有紀子の心に大型不機嫌が上陸する予定です! この大型不機嫌は観測史上最大となる激しい不機嫌となる予想です。視聴者の皆様、急ぎ対策を行ってください。あ! 今から気性庁の会見が始まるそうですね! それでは中継先に繋ぎます』


 大型不機嫌。聞き慣れない単語に戸惑いつつ、俺は気性庁の会見にじっと耳を済ませる。専門用語が多く、全てを理解することはできなかった。それでも、とにかく今週末にやってくる不機嫌は、今まででとは比べ物にならないほど強烈なものだということはわかった。


 そしてその予報を聞き終わった俺は、ふと数年前の大喧嘩を思い出す。俺のちょっとしたやらかしが招いた小さな言い争いは、離婚寸前までいくほどの大喧嘩につながってしまった。ブチギレる妻の喧騒に、最初は言い返していた俺も、後半はただただ謝ることしかできなかった。それでも妻の怒りは収まることがなく、喧嘩の余波は一週間ほど続くことになった。


 あのような惨劇を二度と繰り返してなるものか。俺は心の中でそう誓った。そして俺は早速、来る大型不機嫌に備え、準備を始めるのだった。


 そして、大型不機嫌到来の日。俺は花束を持って家に帰った。妻は花束を抱えた俺を見て驚きの声をあげる。一体どういう風の吹き回し? その言葉に対し、俺は日頃の感謝を伝えたいだけだよと伝え、妻に花束を手渡した。


 それから俺たちは着飾って、少し高いレストランへと外食に出かけた。記念日でもない日にどうして? と聞かれるかもしれないと思っていたが、妻はこのサプライズを素直に喜んでくれた。家に帰った後も、俺は溜まっていた家事を全て片付け、寝る前にはマッサージをしてあげた。


 今日は朝から頭痛がしてたんだけど、あなたのおかげで素敵な一日になったわ。


 就寝前、妻は俺の目を見て、そう言ってくれた。俺は彼女の目を見つめ返し、彼女の機嫌を伺う。そして妻が嘘をついていたり、皮肉を言っているわけではないことを理解してからようやく安堵し、俺は妻を抱きしめる。


 ありがとう。俺は心の中で、妻と、そして機嫌予報に向けてつぶやいた。機嫌予報のおかげで、とんでもなく不機嫌になるはずだった妻は機嫌よく過ごすことができ、そしてそれによって今日も家庭の平和が守られたのだから。






*****






「では、翌週の機嫌について、どのような予報にしましょうか?」

「うーん、そうですね。とりあえず来週一週間は機嫌がいいという予報にしてください」

「あれ? 珍しいですね」

「ええ、つい先週、大型の不機嫌がやってくるって予報を流してくれたじゃないですか? あのおかげで、夫がすごく頑張ってくれて、本当に嬉しかったんです。なので、その見返りじゃないけど、たまには休めさせてあげないとって」

「優しい奥様ですね。では、来週一週間の予報はそのようにいたします」

「ありがとうございます。機嫌予報っていうサービスを知った時、すぐに飛びついて本当によかったと思ってます」

()()様にそのように言っていただきこちらとしても大変嬉しいです。我々機嫌予報協会も、お客様の喜びが一番の報酬ですから」

「そんなこと言いつつ、ちゃっかり私と夫の両方からサービス料金を受け取ってるじゃないですか」

「いやー、あはは」

「まあでも、それだけの価値があるからいいです。今後ともよろしくお願いしますね」

「はい。今後とも、我々機嫌予報協会を何卒よろしくお願いいたします」

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