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木登りが苦手な僕のために

 言語の天才は存在する。

 例えばエミール・クレブスは特殊な脳の力で生涯で60以上の言語を習得したし、サヴァン症候群のダニエル・タメットはアイスランド語をわずか一週間で習得した。


 アシェリアも同じような天才なのだろう。


 一人称が『僕』なのは、ヒカルの話した単語の意味を理解し、その中から自らの話すべき言葉を選び取った証拠だ。


 アシェリアは大きく息をつくと、今日はおしまい、というふうに手のひらを上げた。


 アシェリアが木戸に向けて何かを呼びかける。

 木戸が開き一人の女の子が現れる。


 白髪碧眼の美しい少女だ。この集落の子だろう。

 アシェリアよりまだ幼い。12、3歳くらいだ。


 女の子はアシェリアの元に駆け寄ると膝を付き、恭しく頭を垂れた。


 アシェリアと同じような白いワンピースに、金の刺繍のされた黒い毛織物のロング丈のベストを着ている。

 お下げ髪に花が編み込まれていて、彼らの暮らしぶりに余裕があることが伺える。


 アシェリアは彼女に何かを言い含める。


 女の子は頷くと、立ち上がってヒカルの手を引く。

 帰りは彼女がエスコートしてくれるようだ。


 木戸の手前で振り返ると、草原は再び静まり返り、アシェリアの姿は消えていた。


 木戸の脇には老人もいなかった。

 

 人の気配のない果樹園を抜けて、集落に入る。


 女の子はアシェリアにそうしろと言われているのか、しきりにヒカルに話しかけて、様々なものの名前を教えてくれた。


 彼女の名前はエミル、集落の名前はボグワート(イシュタルはもっと大きな、世界という意味らしい)、葡萄はウメケ、他にもたくさんのものを指差して彼女は名前を言ったが、覚えられたのはごく一部だった。


 夕暮れ時の集落は昼間とはうってかわって活気に満ちていた。


 あちこちで人だかりが出来ていて、男たちは弓や槍を手にしていた。誰もフードを被っておらず、遮光器もつけていない。


 戦いの準備かと思ったが、表情は明るく、狩りに出かけるところのようだ。


 大人の女性の姿がないのかと思っていたが、間違いだった。子供のような背丈ではあるが、老婆もいれば、乳飲み子を抱えた母親もいた。

 男性が190センチを超える長身に対し、女性は成長しても140センチほどにしかならないらしかった。


 彼らの外見はゲルマン系かスラブ系に見えるが、それなら男女ともに長身で、ここまで性差はないはずだ。


 未知の人種かもしれない。


 彼らはヒカルとすれ違うと、手を止めて好奇心に満ちた視線を向けたが、後をつけられたり、敵意を向けられることはなかった。


 エミルのおかげだろうか。彼女は割と身分が高いらしく、頭を下げられることも多かった。


 門番の老人も着ていたが、黒い毛織物は高い身分の象徴なのだろう。


 巫女かもしれない、とヒカルは思った。


 エミルが案内したのは、一本の巨木だった。


 大人が3人で手をつないでようやく囲めるくらい幹が太い。


 ヒカルの身長より少し高いところに、蔦のようなものを編んだ小屋が作られていた。


 他の家が10メートル以上の場所にあって、ロープで出入りしているのに、その小屋だけは特別に低く、縄梯子がかけられていた。

 小屋はほとんどが乾燥した硬い蔦で出来ていたが、部分的に若い蔦やロープで補強されていた。


 ヒカルのためにわざわざ低い場所に移設したようだった。


 エミルに促されて、ヒカルは小屋に入った。


 中は意外に広く、四畳ほどはある。

 外枠は太めの蔦で編まれ、床は割った竹で補強されている。

 藁のようなものが敷き詰められていて、チクチクするが寝心地は悪くなさそうだ。


 エミルが下から心配するような声をかける。ヒカルは顔を出し、

「ありがとう。ここ使っていいんだよね」と言った。


 エミルが何かを言う。注意事項のようなものらしかったが、意味はわからなかった。


 やはり、アシェリアほどうまく意思疎通は出来ない。


 エミルが去ったあと、ヒカルは寝転んで天井を眺める。

 帰りたいと思う。

 イシュタル? なんなんだよ、それは。


 アシェリアについて考える。

 明日も会えるのだろうか。

 多少とはいえ意思疎通の出来る彼女は、なにもわからないヒカルにとって唯一の希望だ。


 でも、彼女は一体何者なんだろう。

 この集落の住民ではないのか。なんのために、ヒカルから言語を習得しようとしているのか。


 次から次へと疑問が湧いてくる。



 ヒカルはマウンテンパーカーのフードを被ってジッパーを一番上まで上げた。

 眠い。まだ宵の口なのに、強烈に眠い。


 目が覚めたら、アパートのベッドの上だったらどんなにいいか。


 そのまま泥のような眠りに、彼は落ちた。


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