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変身願望大!

ごはんライス師匠にいただきましたお題と設定に基づいて書いたお話です。


設定詳細


枚数

20~30枚


ジャンル

自由


主人公

子供


脇役

暴力を奮う両親



両親に暴力を奮われていた子供が、ある日、公園で、「スーパーどSマン」という謎の覆面ヒーロー(上半身裸でブリーフをはいている)に出会い、どSの修行を始めるのだが……???

 烏川からすがわ美里みさと、小学四年生。

 それなりに可愛い顔をしているが、家が壮絶に貧乏なため毎日同じセーター、同じスカート。

 そして髪はボサボサで天然パーマなのでコントの「かみなり様」のようだ。

 そのため、クラスの男子には、

「変身前に感電したシンデレラ」

とひねりの効いた悪口を言われ、女子達には、

「臭い」

と陰口を叩かれている。

 仕事をクビになって酒浸りの父、その父から暴力を受けて、その憤懣を美里にぶつけて来る母。

 酷い時には、父母が協力し合って美里に暴力を振るう。

「今日は外で寝な」

 父と母が仲がいい時ほど、美里は虐待された。

「ああん」

 美里が満月が青白く見える寒空の下、外に追い出されると、決まって母の妙な声が聞こえて来る。

(また始まった)

 小学生だからわからないだろうと両親は思っていたようだが、美里は全部知っていた。

 でも、知らないフリをした。そうしないとまた殴られるからだ。


「このマセガキが!」

 以前父にそう罵られ、鼻血が止まらなくなるほどぶたれた事がある。

「あんた、顔はダメだよ。学校で気づかれるから」

 母は娘の身体より世間体を気にして父を止めた。

「そうだな、まずいな」

 そして乱暴に床を掃除する雑巾で顔を拭われた。

「おい、学校で話すんじゃねえぞ。そんな事したら、父さんは刑務所で、母さんは死ぬほど苦労しなくちゃならねえんだ。いいな?」

 父は酒臭い息を吐きながら、美里を脅かした。

 美里はそんな事を言われなくても話すつもりなどなかったが、それを言うと、

「てめえ、恩着せがましいんだよ!」

とまた蹴飛ばされてしまう。だから黙って頷くだけだ。

「いい子だ。これで何か買って食え」

 嬉しそうに父が差し出すのは五円玉だ。今時何も買えはしない。しかし美里は、

「ありがとう、父さん」

と微笑み、嬉しそうに受け取る。それが彼女が身に着けた自分を守るための生き方だった。


「……」

 美里達親子が住んでいるのは、昔ながらの一戸建ての借家だ。

 築五十年くらいのボロボロの平屋で、夏は暑く冬は寒い。

 ふと見上げると、月明かりに照らされて錆びて赤黒くなった郵便受けに無造作にたくさんの葉書が詰め込まれていた。

 ほとんどが金融関係の督促状だ。美里はそれを読んだ事がないが、家の中に葉書を持って行くと、

「そんなもん、捨てろ!」

 父に怒鳴られ、殴られそうになった。慌てて家を飛び出し、公園のゴミ箱に細かく破って捨てた。

 その時見かけた「督促」という文字を覚えていて、学校の図書室で調べたのだ。

 意味はよくわからなかったが、何となく父の様子からおよその事は感じ取れた。

 それに時々、家の前に怖い人相の大人達がいて、

「嬢ちゃん、お父さんは留守?」

と訊かれた事もある。美里は大人達を見上げて、

「父さんはいません!」

と叫ぶと、鍵を開けて中に入り、すぐにロックした。そいつらが入って来るような気がしたからだ。

「また来るよ、嬢ちゃん。じゃあな」

 彼らは子供しかいないと悟り、去って行った。

「帰ったかい?」

 しかし、母はいた。押入れの中に隠れて、息をひそめていたのだ。

 しかも用意周到な事に靴まで持ち込んでいた。

 美里はそれに頷いて答え、ボロボロのランドセルを下ろした。いつもの事なので、驚きもしない美里である。



 米山よねやま米雄よねお、三十五歳。

 今の会社に入社して十二年。係長まで昇進したが、その後生来の要領の悪さが祟り、同期の連中に計画立案を横取りされ、課長に根も葉もない悪行を告げ口され、窓際族へと追いやられた。

 始めこそ、

「畜生!」

と思って奮起したが、それをことごとく妨害され、その上自分達の不始末まで押しつけられるに至り、全てを諦めた。

 そのせいで妻と子供は新築したばかりの一戸建てから出て行き、夕食は毎日駅そばか牛丼の生活。

 この前は玄関の鍵をどこかに落としてしまい、居間の窓ガラスを割って入ったが、それを隣人に泥棒と間違われて通報されて警官に取り押さえられ、事情を話しても信じてもらえず、結局一晩留置所で過ごした。

 そんな生活が続いたせいか、米雄は飲酒の量が増えた。

 元々それほど飲める方ではなかったので、飲み屋で暴飲して嘔吐し、出入り禁止になるという失態を繰り返している。

 その上、家のローンと子供への養育費の支払が毎月米雄を追い詰め、彼はとうとう退職金の前借を申し出た。すると経理部長に、

「前借りではなく、そのまま退職してくれてもいいんだよ、米山君」

と言われ、その場で潔く辞表を叩きつけてやろうかとも思ったが、生まれついての臆病者のため、

「それだけは勘弁してください」

とヘコヘコしてしまった。

「私だったら、ここまで言われれば、察するがね」

 経理部長の皮肉にも何も言えない米雄。自分が情けないと思いながらも、このご時勢で会社を辞め、何の技能も資格もないのに再就職なんてできないとも思う。

(仕方がないんだ)

 米雄は歯を食いしばって堪えた。そして、退職金予定額の一割を借り、借用書を書かされ、印鑑をしまい失くしたので拇印ぼいんを押した。何だか指紋を採られる犯罪者の気分だった。

「これで家のローンと養育費は払えるか」

 米雄はホッとして経理部を出た。緊張が解けたためか、催してトイレに立ち寄った。

 そして自分の課に戻るため、廊下を進んだ。

「いやあ!」

 廊下の角で秘書課の女子と正面衝突した。女子はそのせいでドスンと尻餅を突いてしまった。

「あ、ごめん、大丈夫?」

 慌てて手を貸して立ち上がらせようとしたが、

「触らないでください!」

と凄まじい勢いで拒絶された上、

「変態!」

 捨て台詞を吐かれて突き飛ばされた。米雄は呆然としてしまった。

(どうして変態なんだよ?)

 ふと下を見ると、チャックが全開になっていた。

「これか……」

 米雄は慌ててチャックを上げた。

「いで!」

 その時、身体の一部を挟んでしまった。


 散々な思いをした米雄はいつにも増して酒をがぶ飲みした。

 飲んで忘れたい事がたくさんあったのだ。

 まさしく浴びるように飲んだ。すぐに意識が朦朧とし、倒れてしまった。


「うう……」

 寒くて目を覚ますと、何故かブリーフ一枚で誰もいない公園の木の上にいた。

 辺りを見回すと、すっかり夜も更けていて、周囲の家の明かりもほとんど点いていない。

「よく登ったな」

 米雄は子供の頃から高所恐怖症で滑り台の上ですら震えたほどだ。今も下を見ないようにして何とか木から降りた。

 しかし、脱いでしまった服は近くには見当たらない。一体どこで脱いで、どうやってここまで来たのか?

(ここはどこなんだ? それすらわからないし、この格好じゃどこにもいけない)

 そればかりではない。季節はもうすぐ冬だ。ブリーフ一枚で堪えられるような気温ではない。

(このままでは凍え死んでしまう)

 一気に厳しい現実が米雄を襲う。その時だった。

「誰かいるの?」

 女の子の声がした。

(幻聴か? こんな時間に、こんな場所に女の子がいるはずがない)

「ねえ、誰? 出て来なさいよ!」

 もう一度女の子の声がした。米雄は自分の格好を改めて思い出し、

(これでは完全に変態だ。まずい、どうしよう?)

 慌てて周囲を見渡すと、ゴミ箱が目に入った。

(何か顔を隠せる物を……)

 取り敢えず素性を知られないようにして、後は子供だからうまく誤魔化して逃げようと考えた。

 それより、そのまま逃げるか、どこかに隠れた方がいいという考えが浮かばないのが米雄の悲しさだ。

 いや、それは運命だったのかも知れない。

(あった! これを被って、顔を隠せば……)

 米雄はゴミ箱から丁度顔が入るくらいの紙袋を見つけた。目が見えるように穴を開け、被ってみる。

(位置が違う!)

 開けた穴は全然目の位置とは違っていて、片方しか合わせられない。

「あなた誰?」

 とうとう女の子が米雄を見つけてしまった。

(ああ、間に合わなかった!)

 米雄は破れかぶれで振り向いた。

「私は正義のヒーロー、スーパーどSマンだ!」

 意味不明の事を口走り、自分に呆れる米雄である。

「……」

 外灯に照らされた女の子は身なりは汚かったが、顔は可愛く、米雄は変な気持ちになりそうになった。

 パン一なのも影響しているのだろう。

 しかも彼女は米雄の姿を見ても悲鳴を上げず、ジッと米雄を見ている。

「どうしたの? 家を追い出されたの?」

 女の子は悲しそうな目で米雄に尋ねて来た。米雄はその言葉にウルッと来そうになったが、

「な、何を言うか! 私は正義のヒーロー、スーパーどSマンだ!」

と更に惚けた。

「ふーん」

 女の子は冷めた目で米雄を見ている。

(うう、その視線が……快感になりそうだ……)

 自分が生まれついての「どM」なのを思い知る米雄だった。

「困った事があれば、何でも言ってみろ。私が解決してあげよう」

 もう完全に開き直った米雄は、本気でスーパーヒーローを目指し始めた。

(こんな時間に外にいるなんて、絶対変だ。何か事情があるに違いない)

 米雄は自分の子供の頃を思い出していた。裕福だったが、両親は不仲で、家にいるのが辛かった。

(この子も理由があって外にいるのだろう)

 米雄は女の子の力になりたいと思った。ブリーフ一枚で紙袋を被っているにも拘らず。

「困っているのはおじさんでしょ? こんな寒い夜に裸で外にいるなんて、おかしいよ」

 逆に心配されてしまい、立場がない米雄は項垂れてしまった。

「服がないの? 持って来てあげようか?」

 更に優しい言葉をかけられ、泣きそうになる。それでも何とか堪え、

「違う! これはヒーローのスタイルなのだ。別に服をなくした訳ではない!」

と強がってみせたが、膝がガクガク震え出してしまう。寒いのである。身も心も。

「君の名前は?」

 震えを我慢して、米雄は尋ねた。女の子は首を傾げながらも、

「烏川美里よ」

と教えてくれた。

(美里ちゃんか)

 またいけない思いが込み上げそうになる米雄だが、グッと押さえ込んだ。

「おじさんの名前は?」

 美里が尋ねる。米雄はつい、

「おじさんの名前はね……」

と言いかけ、

「何度言えばわかるんだ、私はスーパーどSマンだ!」

 すると美里は、

「まだ言い張るの、それを?」

 さっきより冷たい視線を向けて来る。

(ああ、何だかいい感じだ……)

 どM解放の米雄であった。恍惚としていると、

「ねえ、ホントに解決してくれるの?」

 美里が言った。米雄は紙袋の片方の穴からしか見えない美里を見て、

「ああ、解決するさ」

と答えた。美里はクスッと笑った。

(ああ、笑顔が可愛いな。連れて帰りたい)

 またよからぬ妄想をし始める米雄だったが、

「何があったのか、私に教えてくれ」

と言った。


 そして十分後。美里の境遇を知り、不覚にも泣いてしまった米雄である。涙は紙袋に染みて零れなかったので、美里には気づかれなかった。

「よし、わかった。明日からここで修行をしよう。そうすれば、君は強くなれる」

 米雄は胸を張って言い切った。

「強くなれなくてもいいよ」

 美里はあっさり言った。米雄は挫けそうになったが、

「いや、ダメだ。君は強くなるべきだ。そして、お父さんやお母さん、それに同級生達を見返してやるんだ。そのための修行をするべきだ」

 いつの間にか、熱く語っていた。米雄は自分の言葉に酔っていた。美里がどんな反応をしているのかも気にせず、語り続けた。強く生きるべきである、と。

「わかりました。修行します。よろしくお願いします、スーパーどSマンさん」

 美里はペコリと頭を下げ、そう言った。美里の返事に感動して、米雄はまた泣きそうになった。

「そうか。ではまた明日の夜、ここに来い。修行を始めるから」

 米雄は寒さに耐え切れなくなっていた。一刻も早くこの場を去りたかったのだ。

「え? 今すぐ始めないのですか?」

 美里が寂しそうな顔で言う。その顔にまたいけない事を妄想しそうになる米雄だったが、

「明日からだ。準備があるのでな。それに今日は別の場所で予約が入っている」

とうまく言い逃れた。美里は訝しそうな顔で米雄を見ていたが、

「わかりました。明日の何時に来ればいいですか?」

 米雄はその言葉に焦った。

(いかん、今何時かわからんぞ。どうする?)

 嫌な汗が背中を大量に滝のように流れるのがわかる。お陰でブリーフが濡れて来た。

(まずいぞ。このままだとブリーフが透けてきてしまう……)

 焦る米雄、流れ落ちる汗。不思議そうに彼を見ている美里。

「あ、明日のちょうど今頃だ。いいか?」

 米雄はまた何とかうまく言い逃れた。美里はコクンと頷き、

「明日の午後十一時ですね。わかりました」

と言った。米雄は今が午後十一時頃だと理解した。

「そうだ。では、さらばだ!」

 言うが早いか、米雄はスタコラと駆け出し、美里の前からいなくなった。

「可哀想なおじさん」

 美里は米雄がいなくなった方角を見て呟いた。


 米雄は紙袋を投げ捨て、夜道をひたすら走っていた。

(この格好でどこまで行けるだろうか?)

 そもそも今いるのがどこなのかもわからない状態である。米雄は近くにある電信柱を見た。

「ここは……」

 電柱に付けられている標識には、

「ここはI市連取町」と表記されていた。

(I市ィッ!?)

 米雄の家はT市である。I市とは直線距離で20kmはある。

(どういう事だ? 俺はM市で飲んでいたはずだ) 

 彼の勤務している会社はM市だ。だから米雄はM市の繁華街の居酒屋で飲んでいた。

 M市とI市も直線距離で15kmはある。

(それなのにどうしてI市の公園で寝ていたんだ?)

 米雄の「酔っ払い武勇伝」は数多くある。しかし、行政区を跨いでしまった事はさすがにない。

(くそう、何も思い出せない)

 記憶が一切ない米雄は、完全に途方に暮れてしまった。

 金もない。服もない。自家用車などの移動手段もない。

 しかも先程から手足が痺れるほど寒くなって来ている。

「このままじゃ、死ぬ……」

 米雄は焦った。

 その時、何故か街灯の明かりの下にスウェットの上下と靴下とスニーカーが置かれているのが見えた。

「何と!」

 米雄は天の恵みだと思い、それに疑いも抱かずに駆け寄った。

(これで何とか凍えずにすみそうだ)

 米雄はキリシタンでもないのに十字を切って神に感謝した。

 彼は素早くそれを身につけた。

「あったまるう!」

 つい大声で叫んでしまう。米雄はテンションが上がっていた。

「君、そこで何をしているんだ?」

 巡回中の町の自警団の人達が米雄に気づいた。

「何にもしてません!」

 米雄は慌てて逃げ出した。

「バカなおじさん」

 それを塀の陰から美里が見ていた。

 スウェットと靴下とスニーカーを用意してくれたのは神様ではなく、美里だった。

 彼女はすぐに家に帰り、父のスウェットと靴下とスニーカーを持って来たのだ。

「おじさん、明日待ってるからね」

 美里はニコッとしてその場を立ち去った。


 翌朝。

「おい、俺のスウェットがねえぞ!」

 美里の父が怒り出す。彼にとって、パジャマ以外の唯一の服なのだ。

「知らないよ。どうせどこかに忘れたんでしょ」

 母が言い返す。どうやら昨日は楽しくなかったようだ、と美里は思った。

「そんな訳あるか!」

 父が怒って母に掴みかかるのが見えた。

 美里は自分に危害が及ばないうちにと、

「行って来ます」

と家を飛び出した。


 米雄は、夜通し歩いて、何とか自宅に帰り着いた。

 飲まず食わずだったので、もう少しで死んでしまうと思ったし、何度も死のうと思いかけた。

 しかし、そんな自暴自棄な思いを踏み止まらせたのは、美里との約束だった。

(あの子との約束を果たさずに死ねるか)

 米雄はよこしまな思いではなく、純粋に美里を助けてあげたいと思っていた。

(でもやっぱり可愛いよなあ)

 鼻の下が伸びてしまう米雄である。今夜、逮捕されるかも知れない。

 米雄は睡魔と闘いながら、シャワーを浴び、服を着替えた。そしてある事に気づく。

「うおお! 携帯がねえ!」

 友達がいない米雄にとって、i●honeは親友同然だった。

「そうだ、位置情報機能を使って……」

 米雄の携帯電話には位置を知らせる機能が備わっている。パソコンで探す事ができるのだ。

「うおお!」

 米雄は思い出した。

「俺はパソコン持ってねえ!」

 今更ながら自分の間抜けさ加減を思い知る米雄だった。


「また同じ服かよ、シンデレラ」

 同じクラスの男子である妻葺つまぶきさとるがからかう。

 彼は美里が実は可愛いのを知っている。

 そのため「シンデレラ」と言ってからかうのだ。話がしたいから。

 でも、そんな事を他の連中に知られたら、自分も虐めの標的にされる。だから言えないのだ。

(烏川は服さえ奇麗なら、絶対に可愛い)

 彼はそう思っていた。

「うん、そう。これがお気に入りなの」

 美里は気にしていない訳ではないが、鍛えられたのだ。言い返す事はできる。

「お気に入りって、ボロボロじゃん」

 悟はそう言ってしまってから、美里が悔しそうに自分を睨んでいるのに気づき、ドキッとした。

(言い過ぎた?)

 焦る悟、立ち去る美里。

「ホント、烏川さんて臭いわね」

 女子達がヒソヒソ囁き合っている。美里はそれを気にも留めず、自分の席に着いた。

(おじさん、家に帰れたかな?)

 窓の外の青空を見上げ、美里はスーパーどSマンと名乗った変なおじさんの心配をした。

 まさか彼が、隣のT市在住とは知らない美里である。


 その頃米雄はどうにか会社に出勤していた。するといきなり総務課に呼び出された。

(何だろう?)

 思い当たる事が富士山ほどあり、心臓がトルコ行進曲のようなリズムを刻む。

 総務に着くと、お局社員の神村真理子が仁王立ちで待っていた。

「米山さん、昨日M市の居酒屋に行きましたね?」

 神村は仁王立ちばかりでなく、顔も仁王になっていた。怖過ぎる、と米山は思った。

「ど、どうしてそれを?」

 米雄はギクッとした。もしかしてこの女、俺のストーカーか、と。

「居酒屋から会社に電話があったのです。貴方の名刺が入った鞄と服が店の前に置かれていたと」

「え?」

 神村がストーカーでないのがわかってホッとした米雄だが、鞄と名刺が見つかったのを知り、良かったと思う反面、失態を会社に知られたのがわかり、また心臓がトルコ行進曲のリズムを刻み出す。

「今日仕事が終わったら、すぐに取りに行ってください。それから、必ず手土産を持って行くように。我が社の恥になりますから」

 神村の顔は仁王から不動明王に変わった。

「まあ、仕事なんてないのでしょうから、今すぐ取りに行ってもいいのでしょうけどね」

 神村は次に悪い魔女のような顔になって、米雄を嘲笑った。

「はい」

 しかし、全面的に自分が悪いと思う米雄は、何も言い返さずに総務を出た。


 美里は一日中米雄の事を心配していて、いつもの虐めすら全く耳に入らなかった。

「何無視してるのよ!?」

 女子のリーダー的存在の利根川とねがわ由希茄ゆきながムッとして言ったのにも気づかなかった。

「何よ、あいつ!」

 由希茄の罵声も聞こえず、美里は急いだ。


 家に帰ると、父はいなかった。またパチンコらしい。それに家にいるとまた怖い人達が来るからだ。

「もう父さんは帰って来ないから、家にいていいよ、美里」

 顔を腫れ上がらせた母が言った。父に殴られたのだろう。

 いつもなら、腹いせに美里を殴る母なのだが、今日は妙に優しかった。

(どうしたんだろう、母さん?)

 子供ながらに普段の母と違うのを変に思う美里である。

(でも、おじさんに会いに行かなくちゃ)

 美里はそんなところも律儀だった。悲しいほど大人びているのだ。

 美里は、米雄に言われた言葉を思い起こしていた。

『君は強くなるべきだ。そして、お父さんやお母さん、それに同級生達を見返してやるんだ』

 美里は台所で何かを一生懸命洗っている母の背中を見て、

(私、変わるんだ。このままじゃダメ)

と決意を新たにした。


 米雄は特にする事もないのに定時まで会社に残り、タイムカードをガチャンと押し、退社した。

「いつまで来るつもりだ、あいつ?」

 課長が呟く。それを聞いた同僚達がクスクス笑った。


 米雄はまず居酒屋に向かい、迷惑をかけた事を詫びて手土産を渡し、鞄と服を受け取った。

「財布の中身は抜き取られていましたよ」

 立ち会ってくれた制服警官が言った。米雄は最初に彼を見て思わずギクッとしてしまったので、

「いえ、大した額は入っていませんでしたから」

と苦笑いして応じた。そして、カードもなくなっているのに気づき、

(うおお!)

と心の中で叫んだ。


 美里は母の様子がおかしいと思っていた。

 元々ヒステリックな母なのだが、その日はそれに勢いがついていた。

 帰った時は優しかったのだが、しばらくするといきなり怒り出し、

「あんたがいるからあ!」

とビンタをして来た。美里は慌てて靴を持つと、家を飛び出した。

「もう帰って来るんじゃないよ!」

 後ろで泣きながら罵る母に振り返る事なく、美里は約束の場所へと走った。

(まだ早いけど、おじさんを待とう)

 美里は近所の家から聞こえて来るバラエティ番組の音楽を聞き、今が午後七時頃だと知った。

 家にテレビもなく、新聞すらとっていない美里にとって、近所の家から聞こえて来るテレビの音は貴重な情報源だった。


 米雄は居酒屋を出て携帯の時計を見た。

「まだ七時か」

 それでも電車の時間があるので、彼はM駅へと急いだ。

(あの子はまた親に殴られているのだろうか?)

 米雄も本気で美里を心配していた。


 美里が公園に着くと、もう誰もいなかった。

 ブランコが微かに揺れていて、それが余計に寂しさを誘う。

(おじさん、早く来ないかなあ)

 美里は滑り台の下にあるトンネルに入り、体育座りをした。

「……」

 急に眠くなってしまった美里は、ハッとした。

(何で眠いんだろう? まだ八時にもなっていないのに)

 いつも夜遅くまで外にいてから寝ている彼女は睡魔に勝てず、そのまま寝入ってしまった。


 米雄はI駅に着いた。

(ここからそう遠くはないはずだ)

 途中で買ったI市の地図を見ながら、米雄は美里が待つ約束の場所を目指した。

「美里ちゃん……」

 無意識のうちに彼女の名を呟いた。

「あそこか」

 外灯に照らされた公園のプレートが見えて来た。

 何だか妙に懐かしくて、思わず泣きそうになる米雄である。

「まだ美里ちゃんは来ていないよな」

 時刻は九時。約束の時間までまだ二時間ある。

(家がわかれば迎えに行けるけど)

 米雄は両親の虐待が心配なのだ。

「あれ?」

 彼は滑り台の下のトンネルで体育座りのまま居眠りをしている美里に気づいた。

「うお!」

 体育座りのせいで、美里のパンツは丸見えだった。米雄はドキッとしてしまった。

(美里ちゃんが来ているのなら、始めようか)

 そう言って服を脱ぎ始める米雄は変質者にしか見えない。

「よし!」

 今度は、一度被ってみて確認したので、紙袋に開けた穴もバッチリ目の位置に合っている。

「そんなところで寝ていると風邪を引くぞ」

 ブリーフ一枚の米雄がそんな事を言っても説得力がない。

「え?」

 美里はその声に目を覚ました。

「あ、おじ、じゃなくて、スーパーどSマンさん」

 美里は嬉しそうにトンネルから出て来た。

「約束の時間より早いが、始めようか」

 米雄は寒さに堪えながら言った。

「はい!」

 美里は元気良く返事をした。

(明日から変わるんだ)

 それは米雄と美里の共通の思いだった。

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