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新撰組始末記

新撰組ファンの皆さん、重ね重ねごめんなさい。

 発足当時、局長二人と言う不安定な体制で動き出した新撰組。


 やがて時の流れと共にその体制に綻びが生じ始める。


 筆頭局長芹沢鴨の乱暴狼藉は目に余る物があり、これを憂えた土方歳三らが芹沢暗殺を画策したのである。


「芹沢ー、マジウザいしー、マジキショいしー、マジムカつくんすけどー」


 土方が近藤に言った。近藤勇も頷き、


「歳りんに同じー、芹沢、マジムカつくー」


と同意した。


「殺っちゃうー、芹沢、殺っちゃうー?」


 沖田総司が話に加わった。


「でもー、芹沢ー、マジ強いしー、マジ怖いしー」


 近藤は慎重だった。しかし土方は強気だった。


「芹沢ー、水戸藩とか言ってるけどー、ウソっぽいしー」


 山南敬助も慎重派だ。


「私怪我したくないしー」


 それでも土方は引き下がらなかった。彼には秘策があったのだ。


「みんなでー、芹沢ー、ボコればいいしー」


「いい感じー、みんなで芹沢ボコりー」


 近藤が同意した。沖田が立ち上がり、


「私いちばーん」


「私にばーん」


と土方も立ち上がる。山南は仕方ないと溜息を吐いて、


「じゃあ、私さんばーん」


「あー、私局長なのにー、みんなひどいー」


 近藤は順番を変える事を主張した。


「イサミーはー、局長だからー、締めでお願いしまっす」


 土方の取りなしで、近藤は止めを刺す事で決着した。


 


 文久3年(1863年)9月、近藤勇を中心とする試衛館一派が芹沢鴨らを襲撃殺害した。


 そして近藤を局長、土方を副長とする体制が完成する。


 その翌年である元治元年、新撰組は池田屋事件でその名を知られるようになるのだった。

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