仇討ち
江戸時代の頃の事。
長く浪人をしている男が町の裏通りを歩いていると、一人の少女が泣いているのを見かけた。
男はその少女のそばを一度は通り過ぎたのだが、どうも気になって仕方がないので、踵を返して少女のところに戻った。
「どうした、何故そのように泣いておる?」
「親の仇を探して、国元を離れて江戸までまかり越しましたが、どうにも見つからず、銭もなくなり、途方に暮れて泣いております」
背中を向けたままで、少女はしっかりした口調で答えた。男は不憫に思い、少女のそばにしゃがんだ。
「そうか。それは難儀な事だな。親の仇を探しておるのか。それで、その仇の人相風体は知っておるのか?」
「わかりませぬ」
「わからぬ? それでは探しようがないぞ。随分と無鉄砲な事をする女子じゃな」
浪人は少女の行動を哀れに思った。親を殺され、気が動転し、後先の事も考えずに国元を立ってしまったのだろうと。
「でも、一つだけわかる事がございます」
少女は泣き止んで言った。浪人は少女の顔を覗き込んだ。
幼いながらも、美しい顔立ちだ。立ち居振る舞いからして、武家の娘であろう。
「わかる事? 何がわかるのじゃ?」
「匂いにございます」
「匂い?」
これはまた面妖な事を申すと、浪人は眉をひそめた。
「はい。匂いにございます。これはしかと父母より伝えられましてございます」
少女はスーッと浪人を見た。浪人はその少女の目の冷たさにゾクッとした。
「何!?」
浪人が退こうとした時、すでに彼の脇腹は少女の右手の鋭い爪で斬り裂かれていた。
「グウッ……」
浪人は何故と問おうとしたが、声にならない。少女は氷のような眼で尻餅をついた浪人を見下ろし、
「わからぬか、お前は? 私の父母はお前に殺されたのだ。仇、討たせてもらうぞ」
「……」
浪人はようやく少女の正体を知った。
「ま、ま……」
しかし言葉にならない。少女は背筋が寒くなるような笑みを浮かべて、
「そうだ。お前に殺された、野良猫の子さ。お前も血反吐を吐いて死ぬるがいい!」
「ゲホッ……」
少女の鋭い爪が浪人の首を抉った。
そのまま仰向けに倒れて、浪人は息絶えてしまった。
そして数日後。
町の裏通りで、浪人姿の男が踞っていた。
「どうなさいました、お武家様?」
通りかかった商人が声をかける。
「仇討ちをしたいのであるが、仇の人相風体がわからぬ。どうすれば良いのか教えてくれぬか?」
そう言って振り返った浪人は、首がパックリと斬り裂かれていて、喉から子猫が顔を出していたと言う。