第六話 アスタニア帝国へ
隣国、アスタニア帝国は広大な領土と複雑な貴族制度でできた国です。
いくつもの爵位と領土と官位を持つ貴族たちが、国のあらゆるところに根を張って、自分のテリトリーを守っています。北は雪の降り積る港から、南は砂漠の交易路まで、貴族に関わらないところはないのです。
しかし、私が生きる分には、それらは関係ありません。私はもう平民です、貴族として嫁いだならまだしも、普通に生きていくなら雲の上の人々と直接話すことだってまずないでしょう。
私は銀行に行って小切手を換金し、商売の元手となる一割ほどを下ろしました。派手に使うことはできません、それに化粧にもお金がかかります。いくらスカーフで隠せるとは言っても、白粉を塗ってあざを見えにくくしておかなければ、何を言われることやら。
とりあえずは国境から離れて、それなりに発展したカルタバージュという街に私はやってきました。やはり商売をするなら、人が多いところに行かなくては始まりません。何をするにしても、人々を相手にするなら人々の欲しいものを知らなければならないのです。
石畳の整った街並みを眺めながら、私は市場や商店街、商会が並ぶ通りを巡って、聞き耳を立てます。買い物をしながら、たどたどしくも世間話をして、大体カルタバージュという街で起きていることを把握しました。
市場の化粧品を扱う雑貨屋で、こんな会話をしたのです。
「このあたりは化粧品が揃うのね」
「そりゃそうさ、ここから先、帝都に近づくにつれ貴族様が多くなっていく。若い貴族の目に留まろうと、顔立ちのいい娘なんかは一生懸命着飾って、化粧をして出かけるものさ」
「本当に貴族の目になんか留まるの?」
「それが本当なのさ。お嬢さんはこの国の人間じゃないね?」
「ええ、来たばかりよ」
「じゃあこの国の吟遊詩人が歌うような恋物語は知らないだろう。そのほとんどが、貴族が平民の娘を見初めて困難を乗り越えて結ばれる、っていうストーリーばかりだ。昔からそういうのが多くてね、アスタニア帝国は貴族の婚姻関係が複雑すぎるから、貴族同士よりも何のしがらみもない平民から嫁ぐほうが喜ばれるんだ」
「へえ……珍しいのね。身分の差があれば、嫌がられるのかと思った」
「血が濃すぎるとその分、争いは醜くなる。そういうことを避けるためにも、花嫁の親戚に口を出させないようにするためにも、貴族と平民の結婚はよくあることさ」
つまりは、そういうことでした。私は世間話の対価に白粉をいくつか買って、次の店に向かいます。
平民を見初めて花嫁として迎え入れるなど、私の生まれた国、ワグノリス王国ではありえません。どうやら、アスタニア帝国はいろいろと風習が違うようでした。