第五話 私は一人で生きていく
実家の屋敷に戻って、私は父と対面しました。
父は厳格な人で、その代わり母がとても奔放で、この二人は性格が合わないのに無理に結婚させられたのだろうな、と私は思っていました。母が可愛らしいライラを何かと贔屓していることも父は黙認していましたし、家族と接すること自体それほどなかった父はこの家庭に対する愛情がないのだろう、そうとしか思えませんでした。
だから、私はどうせ父に好かれていないのなら、無理をして媚びる必要はないという考えに至りました。マギニス先生に背中を押してもらったことも、私の決断を後押ししてくれて、まだ興奮冷めやらぬ私は思い切ったことを口にできたのでしょう。
「メリッサ、お前が嫁ぐ先は隣国で探している。しばらく屋敷から出るな、何もしなくていい。アンカーソン伯爵家から出る以上、もう汚名を増やしてくれるな」
「お言葉ですがお父様、私はもう決めました」
「何をだ」
「隣国へはまいります。でも、結婚相手は私が決めます」
「何を馬鹿なことを。お前は」
「アンカーソン伯爵家とは縁を切ります。少しばかりお金をいただいて、隣国で一人で身を立てようと思います。それなら、テイト公爵家に捨てられた私の悪評を知る人もいませんし、アンカーソン伯爵家との繋がりを知る人もいません」
私がはっきりと口にしたことを、父は鷹揚に鼻で笑います。
「貴族の娘が、一人で身を立てる? 夢見がちなことを言うのも大概にしなさい」
「いいえ、これしかありません。どのみち、私の顔を見ればほとんどの男性は逃げてしまいます。それなら、私は一人で生きていく道を探さねばなりません。厄介払いと思って、私を勘当してください」
一瞬、父の顔が引きつりました。私の顔のあざについて、父は少しは責任を感じているようです。私が顔に傷を負ったあの事故の当時、妹ライラを幼い私がかばったことで、そのときとっさに動けなかった父は周囲から責められたそうなのです。
私が大きなあざを作った原因は、自分にもあると考えているのでしょう。助けたにもかかわらず、私のせいで嫌な目に遭ったと公言するライラよりは、父はいくぶんかまともにものを考えられるようです。
「……隣国に行って、それで、何をするつもりだ?」
「それは行ってみないことにはわかりません。商売をするなり、家庭教師をするなり、生きていく道はいくらでもあります。私は貴族ではなくなるのですから、市井で人々に混じって生きていくことになるでしょう」
平民となる、それは貴族にとっては不名誉であり、落胆のあまり自暴自棄になる人間もいるほどです。
それでも、私は選びます。一人で生きていく、そのことしか私の頭にはありませんでした。
「つまり、無計画ということか。ふん、おめでたいことだ」
嫌味ったらしいことを言いながら、父は懐から紙の束を取り出しました。その一枚に万年筆で何かを書き入れ、私に寄越します。
私はそれを受け取って、何が書かれているのかを確かめました。すると、それは小切手で、額面には当面生きていくには困らない程度の金額が記されています。
「それを元手に、何なりとやっていくといい。隣国でも換金はできる、あとのことは好きにしなさい。ただし、泣きついてきても」
「泣きつきなどしません。縁を切ると言いました、二言はありません」
父は苦々しそうに、顔を歪めます。私に反発されることが、それほどまでに嫌なのでしょう。
私は小切手を手に、父の前から立ち去ろうとしました。しかし、父はこう言います。
「明日にでも、お前をアンカーソン伯爵家の籍から抜いておく。二度と元に戻すことはできまいよ、これでお前との親子の縁は一切なくなるというわけだ」
「ええ、そうしてください」
「私の伝手で隣国の貴族を紹介することもできるが、お前が頭を下げて頼むならしてやらなくもないぞ」
「けっこうです。言ったでしょう、私は一人で生きていくと。もうあなたにも関わるつもりはありませんし、アンカーソン伯爵家との関わりを知る人間とは接することもありません。名前も変えます、ですからご心配なく」
父の顔は、さらに渋面ぶりがひどくなります。私の頬を叩かないだけましというものでしょう、これ以上挑発すると癇癪が爆発しそうですから、私はさっさと父の前から退散しました。
しかし、これで晴れて私は自由の身です。一人で生きていく、どのみちこの顔のあざがある私には、貴族との不本意な結婚以外に貴族として生きていく道はなかったのです。マギニス先生はいまいち踏み切れなかった私の背中をほんの少し押してくれただけ、でもそれが嬉しかった。
私はすぐに支度を整え、日も昇らないうちに屋敷を離れました。少しでも遠くへ、少しでも早く隣国へ、そう思って、足を急がせます。
顔を覆うスカーフは、まだ手放せません。私のことを誰も知らない土地へ行くまで、アンカーソン伯爵家のあざ持ちの娘メリッサが逃げ出したことを知られるわけにはいかないのです。
私は国境に着くまでに、新しい名前を考えました。
一昼夜かけてひねり出し、私の新しい名前、今の身分証のメリッサ・アンカーソン以外の隣国で使う名前をこう名付けました。
エミー・ウィズダム。どこにでもいそうで、どこにもいない名前。
隣国で市民権を得られれば、もはや私はエミー・ウィズダムです。メリッサ・アンカーソンはこの世に存在しなくなるのです。
私はエミー。そうつぶやきながら、国境を越えました。