第三十話 ご決断を、アンカーソン伯爵
出戻りの娘ライラが、甲高い声で叫ぶ。
アンカーソン伯爵は、うんざりしていた。
「お父様! ねえ、うちは大丈夫よね? 悪いのはテイト公爵よ、ヒューバートよ! アンカーソン伯爵家が傾くなんてことはないわよね? そう言ってよ!」
「うるさい! 馬鹿は黙っていろ!」
使用人に命じて、アンカーソン伯爵はライラを応接間から放り出す。もうじき、客が来るのだ。ワグノリス王国国王の使いがやってくる、何の話をしに来るかなど分かりきっている。
だから、アンカーソン伯爵は胃が痛むのを何とか我慢していた。薬など効かない、毎日が破産と隣り合わせのようなストレスまみれの状況だ。どこからか助けとなる金が入らないかと勘定して、あちこちに頭を下げている。それでも、何とかなる道筋が、まだ見えないままだ。
使用人が帰ってきた。
「旦那様、国王陛下の使いの方がお見えになっておられます」
通せ、とアンカーソン伯爵は告げた。すぐに、国王の使いであるイザード大臣がやってきた。ソファを勧め、一息つく間もなく、イザード大臣は話し出す。
「アンカーソン伯爵閣下、国王陛下はこのたびの騒動を深く憂慮し、またテイト公爵家とアンカーソン伯爵家の破産を避けたいとおおせです」
「はっ……すでに、アスタニア帝国の銀行からの借り入れを計画し、交渉を進めております。そちらに目処がつき次第、ご報告を」
「すでにアスタニア帝国から通達がありました。ワグノリス王国へ融資を行うにはいくつか条件がある、と」
来た。融資の条件が付けられることは、アンカーソン伯爵は予想はしていた。しかし、どのような条件が付けられるかはまるで分からなかった。テイト公爵家とアンカーソン伯爵家が破産してはならないのだ、と伝えているからそれだけは避けてもらえるだろうが、アスタニア帝国の内情が何一つ分からないせいでどこからどう話が持ち上がるか予想がつかない。
そして、その条件は、到底アンカーソン伯爵には予想などできはしないものだった。
「その条件の一つが、テイト公爵家とアンカーソン伯爵家の現在の構成員全員の追放、ならびに両爵位の五十年間の空位を受け入れることです。理由は、融資をしてもあなたがたが再び十年前の事故……いえ、凄惨な陰謀と無思慮な金策を繰り返さない保証がなく、返済のあてがない以上新しく実業家を送り込んでテイト公爵家とアンカーソン伯爵家の持つ財産すべてを管理させなければならない、とのことです。身に覚えはありますか、アンカーソン伯爵閣下」
イザード大臣の詰問は、アンカーソン伯爵を追い詰めた。
アンカーソン伯爵はもはや面子をかなぐり捨て、弁解する。
「ち、違います! あの事故は、我が家は被害者でしかなく」
「今となっては、その主張は通りません。世間にどれほど醜聞が出回っているか、ご存じですか? あなたは実の娘を傷つけて長年の笑いものにして、テイト公爵の機嫌を取っていた血も涙もない愚か者、と言われているのですよ」
イザード大臣は冷徹に、少しだけ露わにした侮蔑の目をアンカーソン伯爵へ向ける。テイト公爵家の名誉というものを、アンカーソン伯爵が欲しがっていたことは周知の事実で、そのために娘を差し出した。だが、その娘は十年前の事故の陰謀で傷ついていて、主犯のテイト公爵家と親しくさせるなど人の情として到底受け入れられるものではない。たとえ、アンカーソン伯爵が知らなかったとしても、その言い分は通らない。人々はもう、アンカーソン伯爵に愛想を尽かし、不信の目を向けるのだから。
アンカーソン伯爵は、家柄も財産も、すべてを捨てて出ていかなければならない。妻と娘も同様だ、貴族でなくなればただの平民、誰も支援などしない。どうやって生きていくかなど、考えつきもしないだろう。
それを避けることは、もはや無理だ。
「ここで、ご決断を。受け入れますか、受け入れませんか」
選択の余地などない、イザード大臣は建前で聞いているだけだ。
「受け入れねば、私は……事故に、遭うのでしょう」
「ええ、そうですね。不幸な事故です、おそらくは。それはテイト公爵も同じです」
苦々しさを通り越し、怒りと羞恥に塗れた顔で、アンカーソン伯爵は何もかもを捨てることを承諾しなければならなかった。唯一の慰めは、テイト公爵も同じ目に遭うということだろうか。おそらくは、テイト公爵は息子と同じ末路を辿るだろう。それでも公爵家と伯爵家は続く、五十年の空位はその血を一掃して、いずれ遠い遠い親戚の、別の家のものが家督を継ぐだろう。
彼らは、もうエミーのことなど憶えていない。
エミーが彼らにどれほど恨みを持っていたか、その復讐心を消すためにどんな決断をしたのか、それも知る由はない。
彼らは復讐の決断をしたエミーを恨むことさえも、許されない。