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第二十二話 帝都アスタナへ行こう

「エミー、本が欲しい」


 朝食後、意を決したようにアレクがそう言いました。私は少し悩んで、店の在庫を思い出しつつ答えます。


「何を見繕いましょう? ワグノリス王国文学の本は先日いくらか仕入れましたが」

「いや、その……買いに行かないか」

「では、古本市場へ」

「そうじゃなくて、俺が言いたいのは」


 アレクは大きく息を吸い込んで、吐きました。深呼吸が必要なほど、大事なことを言うようです。


 そして、私のその推測は当たっていました。


「帝都に行かないか、と言いたかった」


 非常に遠回しでしたが、アレクは帝都、つまりアスタニア帝国の中心の都アスタナへ私を誘っている、そのようでした。


「アレク、そう言ってもらわなくては分かりません。帝都へ本を買いに行くだけではないでしょう?」

「成人の儀の前に、宮殿に来いと言われたんだ。父に」


 心底嫌そうに、アレクはため息を吐きました。


 アレクの父は、当然ですがこの国の皇帝です。その要請とあれば、断ることはできないでしょう。


「皇帝陛下から、ですか。それは断れませんね」

「そうだ。ただ、俺は行きたくない。本を買って帰りたいだけなんだ」

「お会いしたくないのですか?」

「今まで一度も会ったことがないんだ」


 私は少し驚きました。アスタニア帝国はそこまで徹底して皇帝と皇子皇女の繋がりを成人まで隠すのか、と。


 成人まで会ったこともない男性を、いきなり父と慕うことなどできないでしょう。ましてやアレクは気難しいところがあります、素直に皇帝を父と呼ぶことはできないに違いありません。


「正直、本当に血が繋がっているのかと疑ってしまう。周りがそう言うし、母上がそう言ってきたからそうなんだろうが……直接、父と言われている人物に会うとなると、どうしても気が引けるというか、面倒だろうなと思って嫌だ」


 完全にアレクはやる気がありません。もうすぐ皇子となるその義務感でやっと喋っている、そんなふうです。


「それに、どうせ第一皇子の兄とも会わなければならないだろうし、なおさら気が重い。やらなくてはならないことだと分かっていても」


 だんだん、私はアレクがかわいそうになってきました。感動の対面など望むべくもなく、相争うであろう肉親とも会わなければならない。呼ばれている以上無視することもできず、はるばるカルタバージュから帝都アスタナまで行かなければならない。


 せめて、気を紛らわせることはできないか——そう思って、私はこう提案しました。


「お会いする前にこっそり様子を見る、ということはできないのですか?」


 突然のことに、アレクは目を白黒させていました。しばし悩み、うーんと唸ります。


「いや、できなくはないだろうが……」

「信頼の置ける方に相談して、手筈を整えていただいてはいかがでしょう。まずどんな方かを知らなくては、不安が勝ってしまうだけですから」


 アスタニア帝国のしきたりも何も知らない私がそう言うのは無責任かもしれませんが、他に言えることが思いつきません。だめならアレクはだめだと言うでしょうから、大丈夫とは思いますが、どうなのでしょう。


 アレクはようやく顔を上げました。


「俺が相談できるのは、従兄弟殿だけなのだが」

「バルクォーツ女侯爵閣下ですか」

「あの従兄弟殿は、すぐに面白がるから始末に負えない。だからこんなことを聞かせると、絶対にやろうと言い出す」


 どうやら、だめではないようです。私は胸を撫で下ろしました。


「それはまあ、力強い味方ですね」

「……うん、そうだ。残念ながら」


 それでも他にできることがない、とアレクはその方向で考えを進めているようです。一助となったならよかった、私はそう思っておくことにしました。


 しかし、打って変わってアレクは心配そうな顔になりました。何事だろう、と思っていると、アレクは神妙にこう言います。


「エミー、あまり人前に出たくないなら、帝都には行かなくていい。俺だけで十分だ」


 それだけですぐに分かりました、私の顔のあざのことを言っているのだと。


 最近は私も外に行くときだけストールをして、家の中では気を緩めていました。アレクの前ではあざのことなど忘れられたのです。アレクは何も言いませんし、家に来る人々はあざを笑ったりするような性分ではありません。それでも、一応は毎日白粉を塗ってはいるのですが、やはり隠すことはできません。


 帝都に行けば、誰もが私の顔のあざを見るでしょう。それはどうしたのか、なぜ隠すのか、根掘り葉掘り聞かれても、私はすべてには答えられません。ワグノリス王国のことはあまり口にしたくないし、語って聞かせるには不快なことも多いからです。


 でも、アスタニア帝国の皇子となるであろうアレクの傍にいるのなら、あざを理由に隠れていてはいけないのです。アレクが見初めてくれたなら、応えなくてはいけません。


「大丈夫です。心配してくれてありがとう、でもこれからあなたと一緒にいるのなら、そのくらいはできないと話になりません」


 私はちょっと強引に、笑ってみせました。本当は、笑ってなんかいられません。心中は複雑で、湧き上がってくる将来への不安を押し込むことで精一杯です。アレクの前だから、無理にでも笑えるのです。


 そしてそれは、アレクにも伝わってしまっていたのかもしれません。


「お前がいくら気丈に振る舞っても、人々の目や言葉で傷つくことに変わりはないだろう。それが嫌だ。俺にできることならいくらでもやる、だから絶対に遠慮はするな」


 アレクは強い口調で、そう言いました。


 心から、私に傷ついてほしくないのだと、その思いがよく感じ取れます。あざのことがなくても、誰かが私にそんなことを言ってくれる日が来るなんて、想像さえしたことがありませんでした。


 なら、私は、偽りではなく笑うことができます。


「じゃあ、たくさん白粉を塗りますから、その、厚塗りだなんて言わないでくださいね。もう結婚しますし、目上の方の前ではスカーフで隠せないから、そうしないとあざが目立ってしまって」

「あ、ああ、言うものか! お前の努力を笑うことなどない! それに」


 それに、という言葉のあと、ちょっとアレクは恥ずかしげに、目を逸らしました。


「こう、言ってはなんだが、お前があまりにも化粧が上手いと、他の男が見惚れはしないかと心配になるから、ほどほどにしてくれ」


 それはアレクなりに最大限気を遣って、いえ、惚気ているのだと思います。


 私はどう答えればいいのか、しばらく分かりませんでした。

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