第十三話 たかが禁忌に万事休す
「だが、お前は誰とも婚約していない」
「は、はい」
「なら、ジーベルン子爵がお前を嫁にすればいい。そうすれば、話は丸く収まる。貴族は隠された平民の娘の顔を暴いたものの、謝って求婚して了承された。そういうことなら、まだ何とかなる」
私は、首を横に振りました。
そんなこと、絶対に無理です。ヒューバートの声が蘇ります、お前との婚約を破棄する、失せろ、顔を治してから……あんなにひどいことを言われて、私は誰かと結婚しなければならないのでしょうか。マギニス先生がおっしゃったように、一人で生きていくことは許されないのでしょうか。
「い、嫌です。私なんかが誰かと結婚なんて、できるわけがありません」
「しかしだ、ジーベルン子爵は本気でお前に求婚してくるぞ。アスタニア帝国の禁忌なのだ、それほどまでに重い」
「それでも、私のこの顔を見て、結婚できるとお思いですか!」
金切り声が店に響きます。
バルクォーツ女侯爵は、それ以上、何も言えなくなっていました。私の顔のあざを見て、何が言えるのでしょう。
「私は、以前、婚約者に捨てられました。私の顔のあざが嫌だから、ずっと嫌だったから、婚約を破棄するって……おまけに妹に奪われて、私は家を捨てた」
震える声で、私は訴えます。今まで受けた仕打ちは、到底忘れられるものではありません。私の顔のあざがあるかぎり、誰が同じことをしないと保証できるのでしょうか。
ましてや、たかが禁忌程度で私に求婚して、ジーベルン子爵が後悔しないわけがありません。そんな思いをしてまで結婚するなどごめんです。不名誉でも何でも被ればいい、そんなことは私には知ったことではないのです。
私はもうそんなことには振り回されない。バルクォーツ女侯爵を睨みつけていても仕方がないと気付くまで、しばらくかかりました。
バルクォーツ女侯爵は、そんな私を責めたりはしませんでした。
「エミー、悪かった。お前がそこまで嫌がるとは思っていなかった、許せ」
バルクォーツ女侯爵は私の頭を撫でて、さて、と思案する顔を作ります。
「では、どうするか。考えねばなるまい。ジーベルン子爵を納得させるようにせねば、というより、とある事情であの男に不名誉を押し付けるわけにはいかないのだ」
「とある事情?」
「ああ、これがまた厄介でな」
どうにも、バルクォーツ女侯爵は頭を悩ませているようです。
そのとある事情とは、一体——。
「あの男はな、今でこそジーベルン子爵だが、いずれはアスタニア帝国第二皇子に列される人間なのだ」
私は近隣の店舗には聞こえないよう、控えめな声で叫びます。
「バルクォーツ女侯爵閣下、もうさっきから話についていけません。何もかも、私の考えが及ばないことばかりです!」
「ああ、すまなかった。だが説明しておかないと」
「もうたくさんです! ジーベルン子爵が第二皇子? 何でそうなるんですか!」
「それは現皇帝の子だからだ。しかしアスタニア帝国では皇帝の子だからとすぐに皇子皇女となるわけではない、暗殺を警戒して成人まで母方の家に預けられる。当然、身分を偽ってな」
むぐ、と私は口をつぐみます。
それは私も知っていることだからです。どこにいたってアスタニア帝国の言葉を学ぶとき、アスタニア帝国の慣習も学びます。慣習や文化は言語に表れるからです。だから、ある程度はアスタニア帝国のことも知っていて当然なのです。
バルクォーツ女侯爵は、おそらく本当のことを言っています。貴族がそんなことで嘘を吐いては皇帝家への侮辱になりますので、間違いなく真実でしょう。ジーベルン子爵は、現アスタニア皇帝の子息で、皇子となる身分の人間なのです。
「つまり、私の叔母がジーベルン子爵の母だ。私の母の妹で、そもそもバルクォーツ女侯爵家から出て新しい子爵家を皇帝から賜った。それがそのままジーベルン子爵の持つ現在の爵位、というわけだ」
それゆえに従兄弟のバルクォーツ女侯爵が事情を知っている。それは分かります、周囲すべてに事情を隠してずっと皇子皇女を育てることはできません。
「アスタニア帝国法では十五歳で爵位を継ぎ、二十歳で成人だ。あと一年でジーベルン子爵は二十歳、そうなれば晴れてアスタニア帝国第二皇子となり、皇帝位継承権を争う立場になる。そんな男に、あの不名誉な話をつければどうなる? 将来の皇帝が誰になるかの決定権を、エミーが握っているようなものだぞ」
それを言われると、私はどうしていいのか分からなくなります。ジーベルン子爵に不名誉な評判を背負わせるわけにはいかない、しかし不名誉を帳消しにする代わりに私がジーベルン子爵、来年にはアスタニア帝国第二皇子アレクシスとなる男性と結婚しなくてはならなくなる。結婚はごめんだし、でもジーベルン子爵の命脈を握るような情報を私が持つことは、絶対に避けたい。私はそんな役目を担いたくはないし、命を狙われるような羽目にも陥りたくないのです。
であれば、なかったことにすればいい。隠していた私の顔を見たことは、黙っていてもらおう。私はそう提案しようとしましたが、だめでした。
「あの男は律儀でな……普段あんなにずぼらで怠惰なくせに、気に入った人間に対してはきちっとする。まずエミーは気に入られている、そうでなければスカーフを直したりするものか。そういう男だ、あれは。だから、顔を見なかったことに、ということは絶対しないと思う」
律儀だから、とバルクォーツ女侯爵はもう一度付け足しました。
万事休す。私は、結婚しなくてはならないようです。