第十一話 見られた
私は応接間に通されました。最初から通してくれればいいのに、と思いましたが、おそらく私が気に入らなければ追い返すつもりだったのでしょう。玄関で追い返さなかったのは、一応屋敷には上げた、という名目が必要だったことと、手紙を受け取りに行くことが面倒くさかったものと思われます。
「ラッセル・ブロード卿のことは俺も知っている。詩人であり戯曲作家、騎士であり義人、その奇才ぶりから讃えられることの多い御仁だ。ただワグノリス王国から彼の著作が入ってくることはごく少なくてな、原書で読もうにも俺はワグノリスの言葉が苦手なのだ。正確には、書き言葉がまだ慣れていない。だから理解が不十分になってしまう、それでなかなか手が出せなかった」
ジーベルン子爵はとても饒舌に喋ります。まるで十年来の友人に再会したかのように開けっぴろげに語るものですから、私もはあ、と相槌を打つしかありません。私からすれば初対面の殿方なので、それも貴族の方相手ですから、失礼のないようにすることが第一です。
ところがジーベルン子爵、私を同好の士と見做したようです。
「ちらっと見せてもらったが、お前の翻訳は簡潔で読みやすい。ここまでワグノリス王国の言葉に精通している人間はアスタニア帝国には少ないぞ、お前はどこの出だ?」
「えっと……実は、ワグノリス王国の出身でございます」
それを言うことには抵抗感がありましたが、嘘を吐いてもすぐにばれてしまいます。慣れてきたとはいえ私の言葉はアスタニア帝国の貴族言語ですし、一介の街娘がどうしてワグノリス王国の言葉を流暢に操れるか、という話になってしまいます。
疑われて困るのは私です。それなら、いっそ言っておくほうがいい、と決断しました。あとは責められないことを祈るのみですが——。
「何? では、お前はアスタニア帝国の言葉を学んで、ここまで書けているということか?」
「はい。あの、お気に召しませんでしたら」
ジーベルン子爵は思いっきり首を横に振りました。
「気に入らないことがあるものか! 他には何を翻訳した? まだこれだけか?」
「すでにワーゲンティ男爵の小説を一本、あちらは古典籍からの引用が多いので比較的速やかにできました」
「それは持ってこなかったのか?」
「はい、古典は飽きておられるかもしれないからと思い」
「そんなこともない。いやしかし、それも読みたいぞ。どうにか送ってもらえないか」
「では、カルタバージュに戻りましたら、写しをお送りいたします」
「うむ、頼んだ。ああそうか、代金を払わねばなるまい。金でよければすぐに手配できるが」
私は少し考えました。お金をもらってもいいのですが、ジーベルン子爵にしかできないことをしてもらったほうがいいような気がするのです。
考えた末に、私はこう言うことにしました。
「ではジーベルン子爵閣下、本を交換しましょう」
「交換?」
「はい。私はカルタバージュでワグノリス王国の本とアスタニア帝国の本、同一の内容のものをセットで販売することの多い書籍商です。なので、ワグノリス王国の本だけが入りすぎても、アスタニア帝国の本だけが手に入ってもいけません。今足りないアスタニア帝国の本をリストアップしますので、それを送っていただければ。もちろんこれはワーゲンティ男爵の小説の写しの他に、代金をお支払いします。その道筋をつけていただければ助かるのですが」
ジーベルン子爵はそれならば、と満足そうです。
「よし、いいだろう。そういうことならエンリシュ中の古書店にかけあって、本を調達してやる。何、これから先も翻訳の写しを送ってくれるなら代金などいらない。それでどうだ?」
「有り難いお話です。そのように取り計らってくださいませ」
私は嬉しくなりました。こんなに上手く話が進むなんて、思ってもみなかったからです。特別大きな本の流通ルートができて、しばらくは仕入れに困らないでしょう。その代わり翻訳にかける時間が多くなりそうですが、それは仕方がありません。精一杯、読み進めて書いていくしかなさそうです。
ジーベルン子爵もまた、私と同じでほくほくしていました。
「今日はいい日だな! 新しい本は入るわ次の本のあてができるわ。エミー、お前のおかげでしばらく楽しめそうだ! 礼を言う」
「もったいないお言葉ですわ」
「それはそうとだ。エミー、お前は」
ふと、ジーベルン子爵の視線が私の頭の上に来ました。何だろう、と思っていると、ジーベルン子爵は手を伸ばし、私のスカーフに指先を触れさせます。
「エミー、スカーフがずれている」
「え?」
私はそのとき、反射的に首を振ってしまいました。近くに手が来ていたから、避けようと本能的に体が動いてしまったのです。
それが悪かったのです。ジーベルン子爵の指先にスカーフが絡まり、私の顔から離れました。私の顔の右半分が、露わとなってしまったのです。
いくら白粉で隠しても、あざはうっすらと見えています。白粉で隠したなど見て分かります、だからスカーフで隠していたのに——。
ジーベルン子爵がすぐにスカーフから手を離し、謝りました。
「あ、いや、すまない。直すだけのつもりで」
ジーベルン子爵の視線が、私の顔から逸れました。
見てはいけないものを見てしまった、とばかりのジーベルン子爵の顔に、私は赤面します。こんなものを見られては、噂になってしまいます。あざのある娘、などと、またからかわれ、嫌がられることになれば、私は耐えられません。
私はスカーフを被り直し、そそくさと席を立ちます。
「も、申し訳ございません。それでは、失礼いたします!」
言うが早いか、私は応接間から早足で出ていきました。
宿の部屋に戻るまで、必死で顔を隠して、ただひたすら走ります。
先ほどまでの嬉しさなど、消し飛んでしまっていました。