Case.1 桐生すみれの場合-11
そう。そうだよ。
何を、私は馬鹿なことを言っていたんだろう。
ヒーローみたいだからって、どれだけ私を心配して守ってくれているからって。
こんな訳の分からないことに巻き込まれて、屋上から飛び降りて、大丈夫なはずがないんだ。
「俺は、太郎とは違うから……っ! 死ぬほど怖かったし、足も痛いし、笹川はわけわかんねぇし、どうしようもねぇよ!」
なんでこの場で赤来戸さんの名前が出てくるのかは、私には分からない。だけど、古井戸さんの中で、それはきっとすごく大切なことなんだろう。もしかしたら、赤来戸さんなら、もっとうまくできたって、劣等感のようなものを持っているのだろうか。
「俺は、主人公じゃないから……桐生の話を聞いても、なんにもできなくて。触手にも捕まりたくないのに、もう逃げ場もなくて……ほんと、どうしたらいいのか、俺だってわかんねぇよ……」
泣きながら。すべてを曝け出してくれる古井戸さんの姿に、私は勝手なことに、ひどく安心していた。
古井戸さんも怖かったんだ。
それでも、私を助けるために、それだけのために。必死で動いてくれていたんだ。
怖い気持ちは封じ込めて。私を鼓舞するように、うまくいかないかもしれないけれど、何度も、何度も何度も私に声をかけて。私の手を引いて。
「それでも、桐生が……助かってほしいよ」
心の底からのその言葉に、胸が熱くなる。
「俺が……桐生を、助けたいよ」
触手が迫ってきている。その中でも、最後の最後まで彼は私を助けようとしてくれる。
「古井戸さん……何を」
「桐生」
痛いだろうに、無理矢理体を起こして、自分の足でしっかりと立って。
「ちゃんと、人を頼れよ」
そのまま、触手の方へ走り出してしまう。
「やめてぇっ!」
咄嗟に、体が動いた。
うまく話せない?
そんなことどうだっていい。古井戸さんみたいに、少しずつ少しずつ話していけたらいい。
友達かどうか信じるのが不安?
こんなに自分を信じて、助けてくれる人を信じるのに何が不安なの? 不安なら不安っていえばいい。きっと、古井戸さんならなんとかしてくれる。
わがままを言ったせいで、うまくいかなくなった?
うまくいかなくなったら謝ればいい。何度だって、何度だって許してもらえるまで謝って、うまくいけるように頼りながら頑張ればいい。
誕生日パーティーに来なかった?
来年は自分から誘えばいい。今年の分だってやり直したっていい。だって、生きていれば楽しいことくらい、いくらでも、何回だってできるんだもの。
助けが、もとめられない?
今、言わなくてどうするの――――?
「人も頼るっ! ちゃんと助けてって言う! 話もする! だから、だからっ!」
自分の怖さより、醜さより、何より。
古井戸さんがいなくなってしまうのはいやだ。
なによりも、なによりも。ぜったいにいやだ!
「古井戸さんを連れて行かないでっ!」
連れて行くんなら、私も一緒に行く。
「ちゃんとするっ! ちゃんと、本当にするから! お願いします。お願い、だから……古井戸さんを……」
泣いて泣いて。叫んで。ちっともうまく言えないけれど。古井戸さんだけは助けてほしい。
こんな、優柔不断で何もできていない、そんな私を諦めずに助けてくれようとする、この優しい人だけは。
たすけたい。
「ごめんなさい、古井戸さん。巻き込んで、痛い思いさせて、ごめんなさい、ごめんなさい……」
ぎゅっと古井戸さんに抱きつく。汗の匂い。体の熱。どれも愛しくて、安心して、落ち着く。
流れる涙は古井戸さんについてしまうのに、それでも離れがたくて、顔を動かせない。
ずっと、このままでいられたらいいのに。
なんて、そんな都合の良いことを考えてしまうほど。
「……お楽しみ中のところ……ごめんね」
どのくらいそうしていたのか分からなかったけれど、急に投げかけられたその言葉にびっくりして飛び退いてしまった。といっても、古井戸さんを抱えていたので、頭が古井戸さんの胸から離れただけだけど。バランスを崩した古井戸さんが倒れ込みそうになるので、慌てて支えて、まだ起きないのでそのまま膝枕をしてみる。
「さ、さ、さ、笹川さん!?」
「そうだよ……引きこもりのお姫様」
意味深な言葉を言って、手に持っているぬいぐるみに話しかける。確か、パミュリャンって言ってたっけ。
「気分はどう?」
古井戸さんの足を思い切り刺した笹川さんだけど、敵というわけではないらしい。なんだかひどく落ち着いているので、逆にこちらの方が困ってしまう。
「わ、私は大丈夫だけど……古井戸さんが」
「ああ……彼、満身創痍って感じだね……ふふっ」
そう言いながら、笹川さんは手を彼の方に向ける。なんというのだろうか。オーラのような温かい光が見えるような気がする。
「怪我は……これで大丈夫だよ、多分」
「笹川さんは……一体?」
不思議な力を使う、不思議な子。クラスメイトの笹川さららさん。今日は、知らないことがいっぱいだ。
「良い顔してる……胸のつかえでも取れた?」
胸の、つかえ。
もう朝になったから、始発の電車は出てしまっている。
私が行って、多分、そこで死ぬはずだった駅には、もう行かなくていい。
「とれたの……かもしれない。前より、なんだか息がしやすいかも」
「それは……何より。ふふっ」
「うん、よかった」
なんだか、壁を壊せたような。
息がしやすくて。穏やかな朝も、徐々に明るんでいく空も、みんな、素敵なものに思えるくらいに落ち着いている。
そこから、特にとりとめのない話を笹川さんとして。あの触手がどうして生まれたのか、何だったのかはうまくはぐらかされてしまったけれど。きっと、もう消えてしまったから、そこはどうでもいいものなんだろう。
うん、もう消えてしまったんだから。もう大丈夫。
「……んっ」
「古井戸さん……っ! 目が覚めた?」
目を覚ました古井戸さんは笹川さんを少し怒って(当然だとは思う)、もう帰ろうかと笹川さんとはそこで別れた。
「スーツケース回収しに行かなくちゃな」
「あ、そうだった」
あの重たくてどうしようもなかったスーツケースも、家に持って帰るだけでいいんだ。
私の家。お祖父様とお祖母様がいる家に。帰って、いいんだ。
歩いていると、首元にぶら下げていたペンダントが揺れた。
あれ、私はどうして忘れていたんだろう。
『すーちゃん』
お母さんが死んでしまう前に、話してくれたことを。
『とっても素敵なペンダントね……どうしたの?』
『あのね、おかあさん。これ、水族館で。おかあさんにって思って、店員さんと話して』
相変わらずうまく伝えられない私を。私の思いを汲んで、優しく頭を撫でてくれる。
『それは、お母さんじゃなくてすーちゃんが持っててくれる?』
『え、でも……』
『すーちゃんの思いがいっぱいいっぱい詰まったペンダントだから……すーちゃんに持っててほしいの』
ほら、こうして。
そう言いながら、お母さんはあまり動かない体をなんとか動かして。ペンダントを抱きしめてくれる。
『このペンダントは、きっと魔法のペンダントね。こうすると、想いがつまっていくように感じるわ』
『想いが……つまって?』
『うん。すーちゃんの優しい想いも、お母さんの想いも。おじいちゃんやおばあちゃんがすーちゃんを想う気持ちも。みんなみんな、すーちゃんを想う気持ちよ』
お母さんは、優しく、ペンダントを撫でる。
『どんなときでも、いつでも。離ればなれになっても、すーちゃんのことを想っているよ』
そんな、大切な想いをたくさん込めてくれた、ペンダントだった。
『愛してるよ。すーちゃん。とっても大切で、大好きな、お母さんのたからもの』
どうして、愛してもらった記憶に、蓋をしてしまっていたんだろう。
世界は、いつだって私に冷たいばかりじゃなかったのに。
「古井戸さん」
家が見えてきたところで、ペンダントを握りしめて口を開く。
「これ、お母様にもらったものなんだ」
さっきまで、忘れてしまっていたこと。大切な想いがたくさん詰まった、魔法のペンダント。
「多分、お祖父様達やお父様にお話をして、お義母様達とも、これから会わなくちゃいけなくなると思うから」
怖いけれど。怖くて仕方ないけれど。
これは、私がやらなくちゃいけない。
助けてもらった、私の責任だ。
「だから、勇気をくれないかな」
お母様が込めてくれていたように、古井戸さんも想いを込めてくれる。
なんて願ってくれたの? なんて、聞いてみたいけれど、それは野暮というものだ。
「ありがとう……」
だから、お礼の言葉だけにして、また首元にペンダントを下げる。前よりも、もっともっと、力がみなぎっているような、不思議な感じがする。
「桐生、またな」
「うん、また学校で」
そんな当たり前の挨拶ができるようになったのは、古井戸さんのおかげ。
古井戸さんが、諦めずに私を助けてくれたおかげだ。
「古井戸さん、ありがとう」
多幸感に包まれて眠りにつく。
もう、おばけもかまいたちも必要ない。
私に残るのは、責任と覚悟。
それでも、やり遂げたいと思う。やり遂げなくちゃいけないと思う。
古井戸さんへお返しをするために。
私自身が、しあわせになるために。
その一歩を、ようやく踏み出せたのだから。




