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Case.1 桐生すみれの場合-10


「俺はっ……桐生を絶対に行かせるわけにはいかないっ! だから、桐生が行かないって言うまで……っこの手は、放さないからっ!」

「な、なんで、どうして……きゃあっ!」



 不穏な気配に振り向いてみると、いつか幼少期に見た触手が迫ってきていた。あのおばけは、本当にいたんだ。私たちを、追いかけてくる――――!?



「桐生が行かないって言えば……アレも消えるからっ!」

「ど、どういう、理屈ですかっ!?」



 息を切らしながら聞いてみる。



「桐生に、行かないでほしいって思っているのは……俺だけじゃないだろっ! 桐生のじいさんやばあさん……父親には話したのかよっ!」

「それは……っ」



 話したかった。話せなかった。

 全部打ち明けて、それでもし拒否されたらと思うと、否定されたらと思うと怖かった。

 何もうまく言えなくて、そのまま、閉じこもってしまっていた。



「話せよっ……言えよっ! みんな、きっとそれを待って」

「言えませんっ!」



 強い言葉で、それを否定した。



「言っちゃ、だめなんです……私は」



 どうして、そんなことを言ったのか。自分でもよく分からない。

 言えば楽になるのは分かっているのに。怖くて。怖くて。怖い。それは。



『あなたがお母さんを殺したようなものなのに』



 私が、私の罪と向き合うことが、まだできていないからなのかもしれない。



 そうしているうちに、気づけば学校まで走ってきていた。



「学校の中にまで……っ、いるのかよっ」



 肩で息をして、汗を拭いながら古井戸さんは言う。



「あれは……なんなんですか? 確か、小さい頃にも」



 古井戸さんは、何を知っているんだろうか。



「かまいたちだよ」



 私のその言葉に、短く彼は答える。



「え、あれが? え?」



 だって、かまいたちなんて。本当はいない。

 私がリストカットをしていただけで、あんなおばけなんて。本当は。



「桐生が話してくれたら、全部消える」



 古井戸さんは不思議な人だ。

 全部知っているような顔をして、私を助けて。私を助けてくれるのに、何も話してはくれない。



「そんな……あれは、私の生み出したものってことですか……?」

「そうだ」



 私の安直な説明はあっさりと受け入れられた。そんな非科学的なことがあるのかと思ってしまうけれど、実際に触手はあるのだからそういうものなのかもしれない。理屈は全然分からないけれど。



「桐生っ!」

「ひっ!」



 いつの間にか後ろまで触手が迫ってきていたので慌てて逃げ出す。きっと、捕まってはいけないものだとは本能的に分かる。私が産みだしたものだったとしても、きっとあれは私を良いようにはしないだろう。


「俺は……桐生に何があったのかは知らない。桐生が今までどんな思いで苦しんできたのかも、想像くらいでしか分からない。だけど」


 古井戸さんは、丁寧に言葉を選んで、私に話してくれる。私の本当の気持ちを、汲み取ろうとしてくれている。



「身内に頼れなくて、でもなんとかしたくて、助けてほしくて俺たちを頼ってくれたんじゃないのかよ……っ!」

「それは……っ」



 そのとおりだった。

 幼少期の思い出にすがるように、思えているかどうかも怪しいくらいの少しの言葉を頼って。古井戸さんと赤来戸さんに助けてほしかった。この状況をなんとかしてほしいと願ってしまった。だけど。



 言って、いいんだろうか。

 嫌われないだろうか。


 怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い。こわい。

 打ち明けるのは、すごくこわくて、いやなことだ。


 だけど。



「言っちゃ、いけないんです」

「……何を」

「……わが、ままを」



 古井戸さんには、聞いてほしい。



「小さい頃……この街でお祭りがあったんです」



 ぽつりぽつりと、月明かりだけが照らす夜の教室で昔話をする。決して良い思い出ではないそれを、私のわがままを、不出来な私の思い出を、古井戸さんはじっと聞いてくれていた。


「助けて、助けてほしいけど……っ。でも……!」

「桐生――――」


 古井戸さんが、こちらに手を伸ばしてくれる。

 それをつかみたいのに、私にはまだ勇気が出ない。


「桐生、俺は――――」

「……大分、まどろっこしいことをしてるね」


 急な声にびくりと体が震えた。これは触手じゃない。人間の声だ。一体誰だろうとそちらを見ると、クラスメイトの笹川さんがいた。


「笹川、どうして」

「……月が、きれいだったからね……パミュリャンと……散歩してただけ、だよ」


 こんな、触手がうようよといる夜中に散歩をしているだけなんてあるはずがない。もともと不思議な子だけど、なんで、どうしてここに――――?

 そうして、私たちが混乱していると、徐に古井戸さんに近づいて。



「――――――――っ!?」

「古井戸さん!?」



 いつの間に持っていたんだろう。笹川さんの右手からの見る槍のようなものは、古井戸さんの右足を貫通していた。



「……私は、あんまり……優しくないからね」



 言いながら、私を見やる。その瞳は、ひどく冷たい。


「……触手、そこまで来てるよ」


 それが分かっているのに、どうして古井戸さんを追い込むような真似を……?


「逃げ回るだけじゃ……だめだよ。あがいて、もがいて。ね……パミュリャン」


 触手がもう迫っているというのに、笹川さんは人ごとのようにそう言う。



「ぐっ……桐生、逃げるぞ!」

「古井戸さん、でも」

「早くっ!」



 そんな足で。ぼろぼろになって。なんとか階段を上るくらいしかできないのに。それでも、私の手を引いて一緒に逃げようとしてくれる。


「古井戸さん、このままじゃ」

「分かってる……っ!」


 頭を抱える古井戸さんは、怪我以上にひどく痛々しい。彼を支えるように階段を上っても、触手にはすぐに追いつかれてしまいそうだ。それでも、歩みを止めることはできなくて。ただ、階段を上る。



「桐生、屋上まで走れるか?」

「え、古井戸さん、まさか」



 まさか。屋上まで行ったら、もう逃げ場なんてなくなってしまう。そこからは、捕まるか、もしくは――――。

 言われるがまま、二人でなんとか屋上までたどり着いて、フェンスの切れ目まで移動した。そのまま、お姫様抱っこをされる。



「桐生、しっかり捕まってろよ!」

「ふ、古井戸さん。本気で……!?」



 電車にはねられる前に、死んでしまうかもしれない。だって、ここは屋上で。すごく高さがあって。いくらヒーローみたいな古井戸さんだって、こんな高さから、私を連れて飛び降りたら――――。

 考えている途中で、古井戸さんは大声を上げて踏み出した。あまりの浮遊感に目を瞑って叫ぶことしかできない。そこからしばらく、叫び声すらどこかに吸い込まれてしまうんじゃないかというような時間を過ごして、衝撃とともにそれは終わった。直接地面に足をついていない私への衝撃だけでもすごかったのに、古井戸さんは大丈夫だっただろうか。



「古井戸さんっ! 大丈夫ですかっ?」



 大丈夫じゃないかもしれない。だけど、声をかけずにはいられない。すぐにそばに行って、苦痛で唸っている彼の痛みを少しでも緩和できないかと体を撫でる。


「あ、上から――――――――」


 触手は屋上の方からも迫り来ようとしている。



「古井戸さん、こっちへ! 歩けますかっ?」



 声をかけて。必死で引っ張って。物陰になんとか二人で隠れ潜む。


「古井戸さん、大丈夫……ですか?」


 痛みで苦しんでいるのだろうか。あまり話さない彼が心配で心配で仕方なくて。同じ言葉をかけることしかできない。



「…………け、ぃだろ」

「え……?」

「大丈夫な、わけないだろっ!」



 ずっと、ため込んできたんだろう。

 古井戸さんだって、無敵のヒーローなわけじゃないから。




 涙で、恐怖で、情けなくてぐしゃぐしゃな顔をして。





 古井戸さんは、初めて私の前で声を荒げて、私を責めた。


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