Case.1 桐生すみれの場合-4
「すーちゃん、明日のお祭り。お母さん行けることになったって!」
少ししてから私に祖母がかけた言葉は、この前とは打って変わって嬉しい内容のものだった。
あれからしばらく病院にも行きづらくて、行けていなくて。街を探しても誰にも会えないまま、ぼんやりと過ごしてきた私にとって、それは嬉しいものではあったけれど。
「で、でも……おかあさん体調悪いから」
「一日くらい大丈夫よ。お医者さんの許可も出たから」
「でも…………」
あんなにひどいことを言ったのに。
私がそう思っていることを、祖母は分かっていたのか。
「お母さん怒ってないわよ。すーちゃんと約束守れてよかったって言ってたから」
そう言って、私の頭を撫でてくれた。
その言葉に、私は胸を躍らせるばかりで。翌日のお祭りに意識が全て向いてしまった。
祖母の目尻に浮かんだ涙には、気づかないまま。
* * *
「おかあさん! はやくはやく!」
「そんなに慌てなくても大丈夫よ」
たこ焼きにあてくじ、りんご飴にやきそば、ヨーヨー釣りに金魚すくい。
初めて来たお祭りは、どのお店もキラキラして見えた。おばあちゃんに浴衣も着せてもらって可愛くなって、色々なお店を回って。どれも楽しいけど、何より、おかあさんと一緒なのが一番楽しい!
「おかあさんは、おかあさんはどれ食べる?」
「うーん……じゃあ、わたあめ。一緒に食べましょう」
「うん!」
そうして、わたあめを一緒に食べて、お面を買ってもらって頭につけて。おかあさんは、たこ焼きを思い切り頬張った私の口をニコニコしながら拭いてくれた。おかあさんと繋ぐ手は温かくて、夏で、暑いけど嫌じゃなくて。
あてくじでぬいぐるみが当たらなくて悔しかったけど、おかあさんが頭をなでてくれたから大丈夫だった。
どれも、すごく楽しかったのに。
「あ」
あそこにいるのは、赤来戸さんと……その友達さんだ!
「すーちゃん!?」
「待ってて! お友達がいたの!」
おかあさんの手を放して、二人を追いかける。二人とも来てたんだ! 今までどこにいたんだろう。
二人に会って、声をかけて、お友達ができたんだよって、おかあさんに会わせてあげよう。そうしたら、おかあさんもきっと喜んでくれる。二人も、もしかしたらお祭り一緒に回ってくれるかな? そうしたら、もっともっと楽しくなる!
慣れない草履で追いかけて、追いかけて追いかけて。
「あれ……」
赤来戸くんも、友達さんもいなくなってしまった。
せっかく見つけたのに、また会えなかった。
なんで、会えないんだろう。
しょんぼりして、とぼとぼと元来た道を戻る。せっかく、おかあさんに会わせたかったのに。
「おかあさん……?」
「ごめんね……ちょっと、疲れちゃって……」
私が手を放してから、お祭りの屋台からちょっと離れたところに移動して、もたれるようにして座っていたおかあさんは、かなり体調は悪そうで。
「大丈夫……?」
「うん、ごめんね……。ちょっと、もう。だめかも……」
そのままおじいちゃんとおばあちゃんを呼んで、タクシーでお祭りを後にした。
「はなび……」
車の窓から小さく見える花火は、音だけは少し大きく聞こえて、すぐに散って、消えて。
その繰り返しが、悲しくて、悲しくて。
ぼんやりとずっと見ていた。
おかあさんが体調を悪くするのなんていつものことだから、と。
おかあさんを見ないままで。
お土産に買おうと思っていたベビーカステラは買えないまま。
二人にも結局、会うことができないまま。
なんにもできないまま。
おかあさんは、そのまま。
そのまま。
* * *
新しいお母さんは言う。
「すみれちゃんは本当はお母さんのこと嫌いだったんじゃないかなぁ」
「だって、本当に心配だったらそんなこと言わないもんね」
「すみれちゃんもお父さんも看病で、動けないお母さんで疲れていたんでしょ」
「仕方ないわよねぇ。まあ、いなくなってよかったじゃない」
「もうお母さんに振り回されなくてすむものね」
「これからは私があなたのお母さんだから」
「ああ、でも。あんまりわがままは言わないでね」
「あら。すみれちゃん。もっとお行儀良くしなきゃだめよ。あなたは桐生グループの娘なんだから」
「いつか良いところへお嫁さんに行くのよ。恥ずかしいじゃない。そんな食べ方しちゃ」
「昨日は挨拶もろくにできなかったわね。今日は食事を抜いてこの部屋で反省しなさい」
「こんなこともできないの? どんな教育を受けてきたのかしら」
「あの使用人? 使えないから解雇したわよ」
「あなたがわがまま言うとまた人がいなくなるかもね」
「本当にできが悪いわね。お母さんに似たのね、きっと」
「お父さんもがっかりしてたわよ」
「真面目にちゃんとやりなさい。立つことくらいはあなたでもできるでしょう」
「言っても分からないからこうなるのよ」
「何にもできないのね。みんなが言ってるわよ。出来損ない」
「あなたがお母さんを殺したようなものなのに」
「本当にだめねぇ……恥ずかしくならないの?」
お義母様の、言うとおりにしたのに。
しているのに。
私、そんなにだめなのかな。
だめだから、誰も。誰もーーーー。
* * *
毎日、何を食べているのか、何をしているのかも見失いそうになっていた中で。高校からは、お祖父様とお祖母様のところで暮らすように言われた。あの家にいても良いことなんか何もなかったから、少しほっとする。
だけど、お祖父様とお祖母様も、お義母様の言うとおり、私のことはあまり好きじゃないのかもしれない。だって、お母様を死なせてしまったのは……私が、わがままを言ってお祭りについてきてもらったせいだから。私のことを、恨んでいるのかもしれない。
この後、あちらの家に戻るときは政略結婚の話が進んだときだろう。そのときまで、この家に置いてくれるだろうか。
「すーちゃん、いらっしゃい」
「お帰り」
そんな不安なんて消し飛ばしてしまうように、お祖父様とお祖母様は私に優しく接してくれた。本当に、私のことを大切に思っていてくれるのかな。もし、そうなら、すごく嬉しい。ここにずっといたい。
「今日からは高校生ねぇ。大きくなったわね」
「後ろからちゃぁんと見てるからなァ」
入学式もお祖父様とお祖母様が見ていてくれたから、緊張はしたけれど大丈夫だった。
うん。きっと、大丈夫なはず。
そうして。
ようやく、ようやく見つけた。
あのとき追いかけても会えなかった、あの二人に。
「赤来戸太郎さん……の、友達さん。お久しぶりです」
勇気を出して話しかける。
私のことが嫌いになって、それで会わなかったの?
もう、私は友達じゃないかな?
はやる胸を押さえて。
「このクラスですか?」
「……ああ」
あれ、ちょっと冷たいかも。
やっぱり、私のこと好きじゃないのかな。怖い。怖いけど……あの日のことを思い出して、優しくしてくれたことを思い出して、笑顔を作って話しかける。
「じゃあ、ようやく貴方のお名前が分かりますね」
一生懸命言ったけれど、直後に赤来戸さんが友達さんにおしっこの話をし始めてしまった。なんで?
「桐生さんはなんか綺麗になったね!」
私に気づいて褒めてくれたので、多分嫌われてはいないはず。多分。
ただ、そのままチャイムが鳴ってしまったので、結局友達さんの名前は自己紹介を聞くまで分からなかった。古井戸ほまれさんっていうんだ。この名前を知るのに何年かかったんだろう。
その後も、なぜかカメムシの話をしたり、一緒に寄り道をしてハンバーガーを食べたりと、普通にお友達のようなことをした。だから、きっと二人は友達で、小さい頃はたまたま会えなかっただけなんだろう。うん、きっとそう。
こんな毎日が、きっと普通の高校生活なんだろうけど、それが私にはすごく楽しくて仕方がなくて。ずっとこの日々が終わらなければいいのに、と。そう願っていた、ある日。
「そ、そんな、やめてください! 古井戸さん!」
「……頼む! 一生に一度のお願いだ」
「こんなことに一生に一度の機会を使わないでください!」
なぜか、本当になぜか。
古井戸さんが私に本気で土下座をしていた。
なんで?




