mission31 邪な思想を浄化せよ!
「こんなところにあったのか」
俺が隠れている本棚の一つ後ろで、本を手に取っているようだった。パラパラとページをめくる音とともに満足そうな声が聞こえる。
「これであと一冊」
満足して俺の存在は忘れてくれたのか、図書室から謎の影は出て行った。
『うまくいったぷんね』
『何がうまくいっただ。危うく死にかけたぞ!?』
『ぷん? 見つかったくらいで死なないぷん』
『お前のくそ臭い屁のせいだよバカッス!』
その言葉を受けて、カッスは頬をポリポリとかいた。
『ま、まぁ。確かにちょびっと臭かったかもしれないぷん』
『あれがちょびっとだと……!?』
単なる謙遜的に言ってるのか、さらにもっと臭い屁が隠れているのか知らないが、あれをちょびっととは恐ろしいことを言うものだ。
『お前の屁で揉めていても仕方ないな。太郎を探さないと』
しかし、嫌なことに眼鏡と鹿峰から聞いた怪談に状況がよく合っている。
理科室まで忘れ物を取りに来た生徒は、ある本を拾ってしまう。それは、恐ろしいモンスターについて記されてある闇の魔導書であり、7冊あるそれを回収し、異形の怪物を召喚するため、夜な夜な異界の魔術師が徘徊しているとかなんとか。
俺が拾ったのは図書室で、この本も異界のものではなさそうだが。
『そんな怪談話信じてるぷん?』
『普通なら信じないが、ゲームの世界だからな……。何があっても不思議じゃない』
人がいないことを確認して図書室の外へ。太郎がいるらしい理科室へ急ぐ。
理科室の近くまで来たところで、中から悲鳴が聞こえた。この声……太郎か?
「いやぁあああああ!」
「こらっ! 大人しくしろ!」
「たすけてぇぇえええ!」
「落ち着け!」
「ほーちゃぁぁああああん!」
太郎がやかましすぎる。
「落ち着けドラゴン」
「あぅえ! ぼーぢゃぁぁああああーん!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、もはや俺の渾名じゃないものを呼んでいる。濁点つけるだけで大分違うな。
「お前達……駄目だろう。夜の学校に忍び込んじゃ」
やはり、見回りの先生だったのか、至極真っ当に叱られた。
「ぼーぢゃぁぁああん、ごわがっだぁ」
「分かったから泣くな。ティッシュで鼻かめ」
相変わらず深淵に閉ざされた前髪の下から涙だけが出てくる方が不気味に感じてきた。コイツのこれこそ怪談のような気もする。
「今度こそっ……ほーちゃんに勝ちたいって思ってぇ」
誰も気にもしていなかった東西推理勝負の勝敗を気にしていたのか。あの推理じゃこの先何があっても勝てねぇよ。
「そっちの子は落ち着いたか? じゃあ、親御さんに連絡するから」
それはなんだかまずい気がするな。ほまれの親にも迷惑をかけるし、太郎の両親は遠方で仕事しているのに呼び出される羽目になる。まあ、太郎が悪いんだけど。
「先生、見逃してくれませんか?」
「駄目だ駄目だ。ルールはちゃんと守らないとな。怒られるのもまた勉強のうちだ」
これを盾に取るような真似はしたくなかったが。
「これと交換でどうですか?」
「なっ……それは!」
一見普通の本に見える表紙。タイトルは何語か分からない言葉で書かれており、装丁も魔導書に見えてもおかしくないオシャレなものだ。だが、その中身は。
「世界触手大全。装丁を見るに、多分5巻ですか。男子版は初めて見ましたよ」
世界触手大全は、世界中の触手の歴史、種類、形状等が記載されている考察本である。男子版と女子版が出ており、まあそういうことをされるのが男か女かの差だ。俺は女子版しか見たことがない。
販売ルートもコミケに近いようなところで冊数限定で売られており、検閲を逃れるためか特殊な言語(触手語と呼んでいる人もいる)で書かれたマニアックな解説が売り。現在、いや、この時代ですらプレミアがついていた気がする、もちろん18禁のその本。
以上が、俺がいた世界でのその本の話ではあるが、この世界にも存在していたとは……スタッフにファンでもいたのか?
「な、なんで小学生の君がそんなに詳しいことを。しかもその言語を瞬時に解読して……!?」
「詳しくは言えませんが、俺も少しくらいはかじったことがあるんですよ」
まあ、そんな話は置いておいて。
「ルールを守らなければいかないはずの先生が、小学校にこうした本を持ち込むのはどうなんでしょうか」
つまり、脅しである。この本を返すから俺達を見逃してくれ、とそんな話だ。それだけの話なのに、何を勘違いしたのか膝をついて絞り出すような声を出し始めた。
「俺は……俺は、ただ。小学生のうちから触手に目覚めてもらうにはどうすればいいかを考えていただけなのに……」
いや駄目だろ。コイツ何言ってんだ。
「大体さぁ! この世界には男が触手に囚われる系の話が少なすぎるんだよ! 読んでも読んでも女性ものばかり。これは差別じゃないのかっ!?」
学校の教師が差別について熱く語っている。
「それは……まあ、差別というよりも需要と供給の関係なんじゃないですかね」
「需要は多いはずなんだよ! 隠れてるだけなんだよ! なんだ、渋谷でデモでもやればみんな分かってくれるのか!?」
渋谷をなんだと思ってるんだ。デモすればなんでも理解が得られるものでもないだろう。
「もっとそういうことが言いやすい世の中になれば……そんな世の中を俺が作ってさえいけば、世界中の触手ニストは救われたかもしれないのに」
初めて聞く単語が出てきた。何? 触手ニストって。
「いいよな……女騎士なんて放っておいても触手の方からやってきてくれるもんな」
「それが幸せかは知りませんが」
奇しくも、今日そんな気持ちを味わったばかりだ。
「だってそうだろ。供給も溢れ返って勘弁してくれ状態。世界中で女騎士=触手が定着してるんだぞ」
大分やさぐれてきたな。
「あーあ、女騎士っていうだけで人生マジイージーモードだよな。金払わなくてもいくらでも望むがままに触手と触れ合えるんだもんな」
だが、そろそろ聞き捨てならない状況になってきた。
「ふざけるなよ」
「え?」
「お前、女騎士の気持ち考えたことあるのかよ」
「え、それは、気持ち良」
「女騎士の立場になったつもりで、本気でその気持ちを考えたことあるのかよっ!」
俺の勢いに気圧されだした。
「先生……あなたなら分かるはずだ。望まない性癖を押し付けられる苦しみが」
その言葉で、ようやく気付いてくれたようだ。女騎士における触手も、小学校での触手の教授も。すべては性癖の押し付けなのだ、と。
「俺が……純愛物で興奮しろと命令されたようなものか」
純愛物は受け付けない体質らしい。
「俺が、間違っていたよ。大体、生徒達に面白がって大切な教本を隠されてるようじゃ、まだまだだな」
どうやら、学校に持ってきたその本を隠された上に別の生徒が発見して中身を見てしまい、咄嗟に触手をモンスターだとかなんとか言ってしまったわけか。そんな話に尾ひれがついてこうなったと。
それはともかく、アンタそれが教本でいいのか?
「送っていくよ。そこの彼は泣き疲れて寝ちゃったようだしね」
太郎はいつの間にか寝ていた。まあ、子供に聞かせるような話でもないし、丁度良かった。
帰りの車では正しいルートと認識されたのか、触手達は出てこなかった。先生的には残念だったのかもしれない。
「先生、その本を手にしたときのこと、覚えていますか?」
運転席の先生は、古き良き日を懐かしむような笑みを浮かべる。
「ああ……もちろん。同志がいた喜びと、求めていたものが手に入った喜びとで、どうにかなりそうだったよ」
気持ちは分かる。俺も、そんな体験はあるからだ。
「布教することですよ」
「え?」
「その気持ちを多くの人に味わわせてあげるためには、先生。あなたが書いて、描いて届けるのが一番です」
待っている人はきっと、いるだろうから。
先生は、そうか。と頷くと、少しだけ車のスピードを上げた。決意が固まったようだ。
「おやすみ。ただ、危ないしもう夜外に出ちゃ駄目だよ」
至極真っ当なことを言って、先生はまた学校へと戻っていった。さて、俺の方は重いが太郎を背負って二階まで上がらないとな。
『しかし、あの本なぜか箱森の家の本屋にもあったんだよな』
『プレミア本じゃないのかぷん?』
『だからこそ不思議なんだよ。バーコードついてる本でもないし』
『いやぁ、世の中不思議がいっぱいっスね』
『全くだ』
やれやれ。それに俺を巻き込みさえしなければそれでいいんだが。……だが。ん?
『今の誰だ?』
『我じゃないぷん』
じゃあ誰だよ。
一瞬だけテレパシーに混じった声の持ち主を特定できないまま。
俺達はついに幼少期の最終日を迎える。




