15.思わずのけぞるほど男の表情は欲望が剥き出しだった
桜宮マドカが父の家に向かって歩いている頃、カヤは浴室の中でゆったり過ごしていた。
天使、家事、授業、部活、宿題……と一日一日がせわしなく過ぎていく。
そのなかでカヤの唯一のくつろぎタイムがお風呂なのだった。
膝を軽く曲げれば仰向けになれる程度に湯船は広い。
四肢を伸ばして湯船につかりながら、カヤは目を閉じ、静かに呼吸をしていた。
息を吐くと身体が沈み、吸うとふわりと浮く。
その浮遊感をカヤは目を閉じながら楽しんでいる。
サケノハラ駅からシロナガス公園に通じる市道にはいくつかの交差点がある。
トキオはそのうちの一つ、シロナガス公園に近い交差点にたたずんでいた。
天使としてのカヤのサポート役になってから、トキオは移動ができるようになっていた。
とはいえ、自由にどこにでも動けるのではなく「交差点限定」という縛りがあった。
交差点で死亡した地縛霊だからなのかも知れない。
しかしトキオにしてみれば、たとえ交差点限定であっても移動できること自体がありがたかった。
交差点から交差点へ、チェスの駒のように移動しながら街の異常を見張っている。
そのトキオがたたずむ交差点をいま、マドカが鼻歌を奏でながら渡っていった。
「あれ。確か、この子……」
カヤの正体を知っているという子ではなかったか。
「きっと、そうだ」
とトキオは小さく呟く。
以前の教会での情報共有のときに写真も見せられた。
そう思いながら見送るトキオの目に、マドカの後を歩く男の姿が映る。
「!」
思わずのけぞるほど男の表情は欲望が剥き出しだった。
ギラギラというのは、まさにこういうことを言うのだろう。
男の他に通行人はいない。
人目を気にせずに済む人間はこれほどまでに……と思わせる顔で男はマドカの後ろ姿を見つめながら、そのあとを歩いていく。
「……まずい、よな」
とトキオはつぶやく。
「オヤジ。替え玉だ」
「あいよ!」
ラーメン店のカウンター。
人間の姿に変装したデビーがオーダーした途端、トキオからの念波が飛んできた。
(デビーさん、ちょっと気になることが)
(なんだよ)
(実は……)
トキオの報告を聞くうちにデビーの表情は沈んでいく。
その目はラーメン店の親父が茹でている麺に注がれている。
どうやら替え玉はあきらめなければならないようだ。
月明かりに照らされている空野家。
小さな人影が玄関の前に立ち、ドアチャイムを鳴らした。
「はいはーい」
とマコトの能天気な声が応え、廊下を歩く音がした。
ドアチャイムを鳴らした人影は
「あれ。カヤカヤが出てくるんじゃないんだ」
とつぶやく。
桜宮マドカが男に声をかけられたのは、ちょうどその頃だ。