14.スーツ姿の男が、メガネをクイとあげてニタリと笑う
「パパの家まで歩いても10分くらいだよ」
「公園を通ってでしょ? ダメよ、夜の公園なんて」
「大丈夫なのに」
「ダメったらダメ。そろそろ電車来るから行きなさい」
「はーい」とマドカは両手を振る。
「ママも無理しないでね」
そう言って改札を抜ける。
圭子の勤める出版社は反対方向の駅にある。
娘を見送った後、そちらに抜ける通路に向かった。
二人の会話を聞いていたスーツ姿の男が、メガネをクイとあげてニタリと笑う。
そしてなに食わぬ顔で改札を通って行った。
マドカがホームにあがるとすぐに電車がやって来た。
車内はほどよく混んでいて、座席はすべて埋まっている。
もともと座る気はなかったのでマドカは吊り革を持ったまま電車に揺られていた。
少し離れて、先ほどのスーツ姿の男がスマホに目を落としている。
ちらりと目をあげ、マドカの横顔を盗み見る。
唇の端が少し緩んだが、それに気づいた者は誰もいない。
その頃、マドカの父親である沖田けいすけはランニングウェアに身を包み、夜の街を走っていた。
左腕にはスポーツウオッチ。
ときおり覗き込んでは走行ペースを確認している。
スポーツウオッチにはGPS機能がついており、走行ペースや走行距離、どこをどう走ったのかといった情報が自動的に記録される。
そのため沖田は走る時はスマートフォンを持たないことにしていた。
ランニング中は少しでも身軽な方がいい。
会社に着いた圭子は再び元夫の携帯に電話をする。
しかし、相手は出ない。
「まったくいつまで走ってんの」
と顔をしかめる。
やがて留守電メッセージが流れて来た。
今度は伝言を残す。
「マドカが駅で待っています。迎えに行ってあげてください」
サケノハラ駅に着いたマドカは駅構内にある公衆電話から父親の携帯に電話をかける。
しかし応答したのは留守電メッセージだ。
(ごめんね、ママ)
とマドカは内心で謝り、留守電に伝言を入れる。
「マドカです。これからそっちに行きまーす」
受話器を戻して、周囲を見渡す。
大きな都市の駅だけあって、まわりは明るい光で満たされている。
駅前のロータリーにはタクシーが連なり、バスを待つ乗客たちが列を作っている。
周辺の飲食店やコンビニエンスストアも日常的な情景を描き出していた。
危険な要素は微塵も感じられなかった。
「よし、大丈夫」
とマドカは小さくつぶやき、歩き出す。
そんなマドカから少し距離を置いて、をスーツ姿の男がスマホを見るふりをしながらついていく。
スマホを顔の近くに持って来ているが、視線はマドカの背中に向けている。