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98.ちょっと感動

「秘蔵書物庫? そんなの無いよ、あの図書館には」

「え?」

 ショップの店主であるカウンターの中年の男が漂うその臭いに顔をしかめつつ、まさかの発言をぶつけて来たので臭いの主であるニールは唖然となってしまう。

 おいおいちょっと待て、それならユフリーが聞いたその話は一体何なんだとニールは首を傾げる。

「俺は何年もこの町に居るけど、秘蔵書物庫なんてのがあそこにあるなんて聞いた事も見た事も無いよ」

「いや、でも俺……一緒に旅をして来た女からそう聞いたんだよ。秘蔵書物庫って言う場所があの図書館にあるって」


 まさかここの町にある国立図書館の話じゃなくて、ユフリーが言っていた別の場所の国立図書館の話なのかと即座に考えるニール。

「じゃ、じゃあ他に図書館のある町とか村とかってどっち方面にどれ位行ったらあるんだ?」

「他には全部で3つだよ。1つは西の大都市にあって、1つは南の国境沿いの町にあって、最後に帝都に1番大きなものがある。でも、先に断っておくとしてその秘蔵書物庫ってのは何処の図書館にも無かった気がするよ」

「え、ええ~……」

 だったら自分が死に物狂いで逃げて、こうしてスメルハラスメントに等しい臭いまでさせて質問している今までの苦労は全て水の泡となってしまったのか?

 その現実に、ニールはガックリと肩を落として下を向いてショップを出て行こうとする。


 だが、そんな明らかに落ち込んでいるニールの背中に別の人物から思い掛けない言葉が掛かった。

「ねえねえ、それって秘蔵書物庫じゃなくて機密書物庫の間違いじゃないのかい?」

「んっ!?」

 ニールに声を掛けたのは店主の妻の中年の女だった。

 その妻の訂正に対し、店主も納得した様子で頷いた。

「ああ、それならここの図書館の3階にあるよ。でもそこは立ち入り禁止だった筈だけどな」

「ん……そうなのか?」

「そうさ。機密書物庫って言う位だから何だか大事な書物を扱っているって話だったよ。何かそこに用事でもあるのか?」


 自分が図書館に行った時の記憶を引っ張り出してそう問う店主に、ニールは1人の役者として演技を始める。

「あ、俺はそこで知り合いと待ち合わせをしてるんだよ。図書館の中で一緒に調べ物をしようって話なんだけど、先に着いた奴が調べ物も先にしていればその待ち時間を無駄にしないだろうって。だから図書館の中の機密書物庫の近くで待ち合わせしてるんだ。でも俺、この町に来るのは初めてだから迷っちゃって」

「そうか、だったら道を教えてやるよ」

 そう言って口頭で説明しようとする店主だが、店主の妻が提案をする。

「いや、地図を描いた方が分かりやすいと思うわ」

「そうだな」


 店主の妻はカウンターの下から羽根ペンと紙を取り出し、ササッと簡単な地図を描いてニールに手渡す。

「はい、これを持ってお行き」

「お、おう……ありがとう」

「それから言い難いんだけど、あんたその恰好はどう見ても汚いし臭いぞ。裏に井戸があるから身体を少しは洗って行けよ」

「え、あ……どうも……」

 単なる冷やかしで来た人間、それにこんな臭かったら物乞いと見られて追い出されても仕方が無いと思っていたのだが、それ所か世話をここまで焼いてくれるのは何故だろうと疑問に思ってしまう。


(まさか、こうして時間を稼いでいる間に騎士団やギルドの連中に通報するとか?」

 今までの展開からしてニールが即座に思い付いたのがこれだ。

 その予想がもし合っているとすれば、すぐにここから逃げ出して図書館に向かわなければならないだろう。

 そう思っていたのだが、店主の妻に「こっちだよ」と半ば強引にショップの裏に連れられてしまい、結局ニールは井戸で身体を洗う事になってしまった。

 しかも脱いだ……と言うよりも脱がされた服までクリーニングされ、店主が少し使えると言う火属性の魔術で乾かされた。


 ここまでされる理由が真面目に分からないので、渡されたタオルで洗った身体を吹きつつ店主の夫婦に尋ねるニール。

「何で俺にここまでしてくれるんだ?」

 どう見ても怪しい奴じゃないか、と疑問にしか思わないニールだが、このショップの夫婦なりの考えはあるらしい。

「何だかさ、あんたを見ているとそんなに悪い人じゃない気がするのよね」

「……俺がか?」

「ああ。魔力が感じられないのは最初から気が付いていたけど、人それぞれ人生があるんだから俺達の関わるべき事じゃ無いし、突っ込まないでおくよ」

「そう……して貰えると助かる」


 元々いじめを受けていた事もあり、役者の仕事でもガソリンスタンドの仕事でも必要以上に他人と関わらない様に心掛けているニール。

 役者の仕事をしているのは「自分が他の役になりきる事で、過去の辛い思いから少しでも逃避出来るんじゃないか」と言う防衛本能からの職業選択だった。

 ガソリンスタンドもセルフサービスの上に、支払いは給油機備え付けの精算機でクレジットカードの客が多いし、現金で給油する客とも必要最低限のやりとりで済むので必要最低限のコミュニケーションしか取らない。

 だが世界は違っても理由はどうであっても、自分にこうして世話を焼いてくれる人物が居るのも悪くないかも知れない……とちょっとだけ感動しつつ、描いて貰った地図を頼りにニールは国立図書館に向けて歩き出した。

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