69.噂の正体(食事中注意)
食事中注意です。
大切な事なので2回言いました。
旅の疲れや緊張感もあってすぐに寝入ってしまったニールだったが、夜中に尿意を催して起き上がる。
(あー……酒場で茶を飲み過ぎたかな?)
酒も飲むと言えば飲むのだが、飲んでも酔わないレベルでセーブしておくのがニール。
しかし、酒場では会話が弾む余りお茶をガブガブ飲んでいた事が思い出された。
そしてこの宿屋にはトイレが何と屋外に設置されているらしく、一旦外に出ないと用も足しに行けないと言う不親切設計だ。
(ま、安宿だから仕方無いのかもな)
それに自分がカラリパヤットを習っていた師匠の地元のインドでは、今の時代になっても色々な理由があって道端だったり草むらだったり、ひどいものになると何と線路をトイレ代わりにしているらしい。
理由を聞いてみると、その最もたるものは宗教的な観点があるからだと聞いた事がある。
(確かヒンドゥー教だったら、トイレは不浄の塊だからなるべく自分から離さなければならないんだっけか)
家にトイレがあっても使わずに、物置として使ったりする家庭が凄く多い。
そしてその宗教的観点から、家にトイレそのものが無いと言う家庭もインドでは当たり前の事らしく、アメリカ人のニールからするととても考えられない話だった。
更にトイレを作っても上下水道がそもそも整備されていないので、「使わない」のでは無く「使えない」と言う理由もあるし、有名なカースト制度の観点で見れば「トイレの整備とかは下位のカースト連中がやる仕事だ」と言われて敬遠されるのでますますトイレが整備されない原因になっている。
だから仕方無く外で用を足す。
これは男女関係無い話なのだが、この場合はまた別の危険が常に付きまとう。
インドの自然が多い地域では野犬や蛇がその辺りをウロウロしているのは日常茶飯事で、用を足している時にいきなり襲われて噛み殺されてしまった人間のケースも存在している。
また、女性の場合は野外で用を足している最中に暴漢や強姦魔に襲われて散々な目に遭うケースがある。
しかも「生きて帰って来られる」事が無い場合もある。
この様に、インドでは発展している場所とそうで無い場所の差が大きい。
そして、こうしてトイレに行くだけでも常に危険が付き纏うと言うのは決して大袈裟な話では無い。
携帯電話やスマートフォンは普及しているのに、トイレが整備されていないのは嘆かわしい……とインド人の師匠からニールはたった半年前に聞いたばかりである。
そして今、自分も屋外へと用を足しに向かう所なのだが時刻は既に夜更け。
しかも魔術が発達しているとは言え世界観としては中世ヨーロッパ風の世界なので、当然そう言う排泄関係のインフラが整っている筈も無い。
今までは立ち寄った町やそれこそ草むら等で排泄を済ませて来た訳だし、もしかしたら魔術でどうにかしているのかも知れないが、正直に言えば朝まで何とか我慢したかった。
しかし身体は正直なので、ここは覚悟を決めて夜の寝静まっている宿の外へと繰り出すニール。
(くそー……歳取ると寝る前に済ませてもダメだな)
35歳の身体のユルユルさにがっかりしながら現実を噛み締め、外にある公衆トイレで用を足す。
だがその時、立って用を足しているニールの耳に気になる音が聞こえて来た。
(……ん? 足音?)
ザッザッザッと土の地面を踏みしめるのは間違い無く足音なのだが、気になるのはそれが複数ある事だ。
音からすると2人位じゃないかと思っているニールだが、次の瞬間信じられない声が聞こえて来た。
「お姉ちゃん、本当にここに剣があるの?」
「そうらしいですね。ギルドからの情報で信頼出来るのですからここに来たのです。今なら寝静まって警戒も緩んでいる頃でしょうから、さっさと剣を持ち去りましょう」
無意味な戦いをするのは手間ですからね、と言いながら遠ざかって行く女の声に、丁度用を足し終わったニールは早足で駆け出していた。
(お、おいおいおい……!!)
この時点でニールの頭に真っ先に思い浮かんでいたのは、ミネットの口から語られた情報の内容だった。
『所属としてはギルドの連中になるんだけど、その中でも特に執着を見せているのが女の2人組って話ね』
『2人組……しかも女だって?』
『そうよ。もっと詳しく言えば、ロングソードを使う朱色に近い茶髪の女と、ハルバード使いの金髪の女の2人組だって情報よ』
『その女達がこれを狙う理由は分かるか?』
『さぁ……そこまでは私もシリルもエリアスも聞いていないわ。でもこれを狙っているって噂は本当らしいから、この先の進軍でも用心しておいた方が良さそうね』
その内容とぴったりマッチしているのが、今の複数の足音と女の声、そして何よりもその会話の内容である。
出入り口のすぐ横にある、人1人がやっと通れる程の路地を入った所にこのトイレはあるのでまさかここでこの時間に用を足している……それもあのロングソードの関係者と言うのは夢にも思わないだろう。
となればこれは逆にトラブルの原因を突き止め、そして未然に防ぐチャンスかも知れない。
しかし油断は出来ないので、ニールはそっと路地から抜け出して足音を忍ばせながら声が消えた方向に進み出した。




