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猫の夢   作者: 鈴木あみこ
8/22

辛い記憶 ※

いじめ、残酷表現あります。

苦手な方はご注意下さい。

 もう、5年ほど昔の話になる。

 医療用ウィッグを着けて学校に通い始めて、何年目かの中学2年の暑い夏。この頃から少しずつ、咲江グループを目にするようになった。

 夏場のウィッグは想像以上に厳しくて、通気性のいいガーゼを仕込んだりと、色々工夫を凝らしても長時間のウィッグ着用は拷問にも近かった。発病した時から必要になった眼鏡も、着用時はさらに暑さが増すような気がした。


 私は、体育などは基本的に見学。体育館での授業の時は隅に座って見ていたが、夏や冬は保健室で過ごす事が多かった。

 休んだり、遅刻早退を頻繁にしていたわりには成績は良く、中の上は常に確保できてた。咲江はいつも下の下だったらしい。


 当時の担任は、私と咲江に極力関わらないようにしていた事はよく分かった。たぶん、面倒事は嫌だっだんだろうと、今では思う。

 その為か、学年主任が私によく声を掛けてくれた。


 ***


 咲江の育った環境は複雑だった。小学生の時に親が離婚して母親の実家のあるここ、A市に越してきた。

 離婚の原因は父親の借金で、パチンコにのめり込んだと聞いた。


 咲江には2つ上の姉がいた。慰謝料も養育費も貰えない状態で姉妹を育てなければならなくなった咲江のお母さんは、昼も夜も働いていたので子供達の事はおばあちゃんにまかせきりだったらしい。

 たしかに、授業参観はいつもおばあちゃんが来ていた。

 咲江は学校でも随分と荒れていた。気に入らない子に対する悪口や嫌がらせは酷かった。

 私は、咲江が越してきたと同時に入退院を繰り返すようになったのであまり接点はなかったのだが、思春期真っ只中の中2で咲江と同じクラスになった事は不運としか言い様がなかったと思う。


 ***


 私がウイッグを付けている事は、クラスの皆は知っていた。

 小学3年の時に発病し、半年入院して再び学校に通い始めた。初めは先生以外には内緒で医療用ウイッグを付けて登校していたが、半年も経てば不自然な髪の感じは子供にも分かる。

 クラスメイト達が私をちらちら見ながら、ひそひそと話す空気に耐えられなくなり、お母さんに相談した。

 そこから担任を交えた話し合いになり、クラスメイトに話す事に同意した。

 それから皆は、当たらず障らず…。

 入退院を繰り返す以外は、ある程度は普通に学校生活を楽しむ事ができた。それから、中学に進学して一年と少し経った。

 どこの学校でも同じだと思うけど、中学生にもなると女子はグループ分けがはっきりできる。咲江はいつも2人を従えて行動していたし、私は大人しい子達の4人グループに入っていた。

 遅刻や早退、体育の見学が多い私は自然と一人で行動する事が多かったし、私も慣れていたので苦にはならなかった。

 体育の授業前に教師に断りをいれて保健室に行こうと教室を出た所で、更衣室へ向かう咲江グループに会った。


「暑いのに、外に出ない人は良いよね〜」


 すぐに、私に向けられた言葉だと分かった。

 声のした方に目を向けると、咲江を中心とした3人がニヤニヤやしながら私を見ていた。

 時々、こんな嫌みを言ってくる人達はまれにいるので、いちいち相手にするのもバカらしく、一つ溜め息を落としてそのまま教室を後にした。


 ***


「ハゲが見えてるよ」


 振り向くと、何時いつものごとく咲江達3人がニヤニヤしながら私を見ていた、流石に腹が立ち、睨んでみても嘲笑うような笑みはそのままで、ヒソヒソ話しながら、立ち去っていく。

 何も言い返えさず、いずれ飽きるだろうと放っておいた事が仇となり、陰口は次第にエスカレートして行き、髪の毛の事にまで触れるようになった。


 主に、私が一人の時を狙うという卑怯な方法で。


『髪の毛がない』思春期の私にとっては……否、女であれば年齢は関係なく、この現実は過酷で辛い。

 そこを集中的に揶揄(からか)ってきた。

 同じグループで行動していた友達は咲江に睨まれる事を恐れてか、気がつくと私の側にはいなかった。


 夏が終わり、風に心地よさが混じり始めた頃、学校の中庭の花壇には秋の花がそよぐようになり、教室に居づらい私は自然と足が向くようになった。

 中庭には様々な花が植えられていて、季節の移り変わりを感じられて私は好きな場所だった。

 コスモスの蕾が膨らんで、金木犀の香りが微かに風に混じり始め、足元には早咲きの小菊が歌を歌っているように揺れて心がなごんだ。


 ある朝、登校すると机の上に無造作にばら撒かれた小菊と、ぞんざいに結ばれた白いリボンが目に入り衝撃を受けた。

 菊や白いリボンが、どんな意味を持つのかを知らない訳ではない。

 その日を、どう過ごしたのかは覚えていなかった。

 小菊の咲いている中庭は目にするのも嫌になってしまった。


 ***


 この人達は、私が発病してすぐに死の宣告をされた事を知らない。

 生死の境を彷徨い、目が覚めた時に見た、お母さんの崩れるような泣き顔が忘れられない私を知らない。

 私の発病とほぼ同時期に由香の妊娠が分かり、由香も命の危機に晒された事を知らない。

 娘達を亡くすかもしれない恐怖を身を持って体験した両親が、私達姉妹をどれだけ大切に育てているかを知らない…。


 咲江達に触発されてか、揶揄いの声は少しずつ広がって行った。

 週に一度の病院の日。いつものごとく遅刻して教室に向かう途中にクラスの男子に会い「重役出勤」と言われ、回りにいる男子に「いいよな〜」「かわりて〜」「ラクしてんな〜」と囃し立てられた。

 普通に生活できる事が、どれだけ幸せかを知らない人達から出る単純な一言は、心を暗い海の底へ沈めるには十分だった。


 ある日、全校集会が終った後、急に後ろ髪を引っ張られ、慌てて押さえた時に、咲江がニヤニヤしながら立っていた時の恐怖は忘れる事ができない。

 人目が多い所でウイッグが取れたら…。

「ちょっと引っかかっただけだろ? 睨んでんじゃねーよ」

 回りの人達は私達をチラチラ見ながら通り過ぎて行く。

 恐怖で足がすくんだ。


「カツラの下。つるっぱげなの?」

 突然聞いてくる男子に絶句した事もあった。


 純子がなるべく行動を共にしてくれたけど、クラスが違うとそれも限界があり、純子はバレー部。私は帰宅部と、行動範囲も違うし、純子には純子の世界があるから、頼りきる訳にはいかなかった。



 人をわざと傷つけて、あざけたとしても自分の欲求は満たされない。

 それに気付く事のできない、無慈悲で残酷な子供達は、成長して大人になった時に、過ちに気づく時は来るのだろうか?


 悩みに悩んで、お母さんに相談した。両親揃って学校に抗議もした。

 咲江は決定的な証拠を残さなかった。小菊も「知らない」と言い張ったし、髪を引っ張った事も「わざとじゃない、次は気を付ける」と言い張った。

 そして、面倒がった担任は適当な生返事と、「本人もこう言ってますんで…」と、話を終わらせた。



 話し合いを重ねるごとに、教師達の言葉には「篠塚も悪い」「我慢するべき」という言葉が含まれている事に気が付いた。

 学年主任も咲江の家庭事情を()み取ってか、困ったような顔を浮かべるだけだった。


 両親は学校へは行かなくてもいいと言ってくれたが、ただでさえ将来の選択肢が狭い私が、知識を得る事を止めたらどうなるのだろう? と、不安で仕方なかった。だから両親には「大丈夫」と、笑って登校を続けた。


 咲江の事を庇う人もいた。可哀想な子だと。

 でも、そんな事は私に関係ない。

 家庭が複雑だったら人を傷つけてもいいの? 嫌がらせをしてもいいの?

 ダメでしょう?


 大人の言葉は矛盾だらけだと思った。


 次第に心は病んで行き、体を刃物で切りつけるようになった。

 いくら生きていくのが辛くても、両親を思うと自殺はできない。でも、死にたい衝動は突然溢れ出る。だから服を着れば見えない部分を何度も切った。

 自分の体を切りつけると、。不思議と心の(つかえ)が無くなり、イライラも無くなった。次第に痛みも感じなくなっていった。

 傷つければ傷つけるほど、心が壊れていくのは分かったけど、止められなかった。

 血液が流れ出るさまは、自分の悪い感情が体内から出ていくような心地よさがあり「病んでるな〜」と、一人笑った。


 3年に進級したら、咲江達とはクラスが離れた。咲江は取り巻きと一緒でなければ絡んでくる事はなかったが、男子達からの不快な言葉は止まる事はなかった。


 ***


 ある日、お風呂に入ろうと支度をしていたら「由香も一緒に入りたい」とせがまれて一緒に入る事になった。

 肘から肩にかけてある傷を見られて「どうしたの?」と聞かれて「木の枝にひっかけた」と無理な嘘をついた。まだ4歳。分からないから大丈夫だろうとたかくくった言葉だった。


 その日の夜、部屋に来たお母さんに腕を見せるように言われ、渋々見せた。お母さんの顔はまともに見る事はできなかった。

 空が明るくなるまでお母さんと話し合い、久しぶりに人前で泣き、お母さんも泣いた。

 次の日には診療内科に連れていかれ、暫くは週1で通う事になった。

 治療というものではなく、ただ、話を聞いて貰えるだけの診察でも少し心が軽くなったような気がして、夜も良く眠れるようになり、自分を切りつける回数も減った。


 丁度その頃、受験も本格化した為か、誰も私に関心を持たなくなっていた。部活も終わり、純子と行動する事が増えた。


 診療内科もいつの間にか月に1回になっていて、腕の傷は少し残ったけど、新しい傷も出来なくなっていた。

 高校に入り、純子とは別れたけれど、咲江とも違う学校で、それなりに楽しく過ごせた。


 いまだに、これで良かったのか、それとも学校に通う事を止めて違う選択肢を探すべきだったのかは分からない。


 だだ、どれだけ時間が経っても。何度診察を受けても。どんな薬を飲んでも。人の心は一度壊れたら元には戻らない事は分かった。

 自分を切りたい衝動が起こる事は無くなったし、普通に生活を楽しめるようになった。でも、頑張りたい。生きていたいという意欲は私の中に戻る事は無かった。







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