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猫の夢   作者: 鈴木あみこ
17/22

不安

 

 一週間ほど雨が続いて一段と寒くなった。


 おばあちゃんの着物は私の部屋に成人式まで飾る事になり、お母さんが『えもんかけ』なるものを持ってきて、床に裾を広げる。

「踏まないでね」

「最大限努力します」

 これが着物の飾り方らしい。ホントかな? 踏んで転ばないように気を付けないとね。


 ***


 久しぶりに買い物に出たら、心地良かった秋の風が既に終っていて、頬を刺すような冬の風に変わっていた。

 今日も近所のスーパーに夕飯の材料を買いに行く。

 最近の外出は病院とスーパーだけ。それでも自分の足で歩き、外の空気を吸う事は良い気分転換にもなるから出来るだけ外出はしたい。風邪に気をつけなくてはならないから、マスクの着用も忘れない。


 悩んだけど、ウィッグをつけるのはやめてニットの帽子。

 ウイッグって面倒なんだよね。

 被って終わりじゃないんだよ? ウィッグネット着けて、サイズ調整。定期的に専用シャンプーで洗わなくてはならないし、艶出し作業も必須。

 体調が良い日が続けばいいけど、具合悪い日が続くと、お手入れは結構気になる。

 流石に、誰かには頼めないしね。

 今はネットで安く買えるけど、それでも気に入った物とはなかなかめぐり合えなから大事に使わないとね。


 今日のスタイルは、黒のニット帽にグレーのセーターにデニム。寒そうだからロングコートを羽織って、マフラーをぐるぐる巻く。そしてマスクに黒縁眼鏡。立派な不審者スタイル完成。

 お洒落をする事も楽しいけど、この季節は防寒が大切なのです。


 今日も家を出ると、木の上から「にゃあ」と聞こえて、顔を上げると十色と目が合う。そうすると当たり前のように私の腕に飛び込んできた。

 冷たい空気にさらされた指先を暖かい十色の毛の中にそっと入れて、冷たい鼻先もうずめる。暖かくて至福のひと時だ。


 ***


 スーパーに入ると目の前が野菜売り場。夕方は色々な食材が安売りを始めることもあって、店内は賑わい始めていた。

 ほうれん草を探して、てくてく歩く。


 あ、北原主任だ…。


 私が入社した時は歳を取った穏やかな恵比寿顔の和田主任で、いつも私の体調を気にかけてくれた。

「農産部門は人が多いから体調第一に考えて大丈夫だから、すぐに連絡ちょうだいね。どうとでもなるんだから」

 入社前の説明会でにこにこと話しかけてくれて、不安でいっぱいだった私は、働くのが楽しみになったんだっけ。

 でも、春の人事移動で他の店舗に移動になり、別の人が来た。


 それが、北原主任。


 北原主任は50代くらいの中肉中背だけど、目立つほどお腹の出た人で、バックルームでパソコンばかり弄っていてほとんど売り場には来なかった人だ。

「客商売なんだから体調管理をきちんとしろ」が口癖だった。

 そう言われても人間、完璧な体を持った人なんていないと思う。

 でも、サービス業であり社会人である限り責任はあるから、言われても仕方ない事だとは分かっていた。

 誰かが体調を崩して休む度に皆を集めて「忙しい時だったら困る」「こういう仕事なんだから気を張れ」と、厳しく言う。

 主に私を見ながら…だったが。

 私は1日4時間程度の午前中だけの勤務だったので、具合が悪い時でも2~3時間ならなんとか働けた。

 運良く、この主任に代ってからは入院もしなかたった。

 4時間だけとはいえ、農産部門はなかなかの重労働だったし「休んではいけない」というプレッシャーからだと思うが、寝付けない日も度々あった。


 辞表を出して、最後の挨拶に行った時に…。

「おまえは体調管理も難しいだろうからな」

 と、皮肉混じりに言われて、つい「完璧に病気にならない方法があるのなら、教えて頂けませんか?」と、強く返してしまった。

 北原主任はその後、視線を落とし、何も言わずにパソコンのキーボードを叩き始めた。

「お世話になりました」と、頭を下げてその場を後にした。

 帰り道、悔しくて涙が溢れた事は忘れられない…。


「私だって皆と一緒に普通に働いてみたい!」大声で叫びたかった。


 ***


 帽子を深く被り、北原主任に気付かれない様に目当てのものを手に取り、急ぎ足でその場を去った。


「直ちゃん?」


 レジに向かう途中、薬局の土川さんに声を掛けられ、ビクッとした。

 お孫さんのいる優しいおばあちゃんだ。働いていた時、なにかと気にしてくれてお菓子もよくいただいた。

 商品陳列していただろう手を止めて、にこやかに話かけてきた。

「久しぶり。元気だった? 帽子見て直ちゃんだって思ったよ」

「ひさしぶりです。元気ですよ」

 当たり障り無く言葉を返し「お使いなんで、急いでるんです」と、会話を切り上げレジへ向かった。


 そうか…帽子を深く被ってもこの帽子で私と分かるのか、気が付かなかった。バカだなぁ。

 困ったように、ニットから出ている少ない毛先に手が伸びた。


 会計を済まし、スーパーから出て十色と合流する。

 元気のない私の様子に気が付いたのか、十色が体を擦り寄せて来た。あんまり足に寄られると踏みそうになるから危ないんだよね。

「ちょっと、寄り道しようか?」

 本来なら右に曲がる帰り道。左に曲がって小さな公園に足を踏み入れた。

 小さな古ぼけたベンチの砂を軽くはらい、腰を落とすと、十色がすかさず膝の上にひらりと飛び乗り、喉を鳴らした。


 以前来た時は秋の初めの暖かい小春日和の時期だった。木々が深い赤に彩られ、絵の具を落としたような爽やかな空が風を運び、秋独特の物悲しさはあったけれども、切り取られた絵画を見ているような鮮やかな景色に心が和んだ。

 けれども今は、木々は葉を落とし、砂場や遊具で遊ぶ子供達の姿も見られなく、世界は眠りの準備を始めているようだった。

 ここに長居しても、心が晴れる事は無いだろうと判断して早々に立ち去ろうかと思っていた時…。

「お姉ちゃん!」 

 学校帰りの由香が、頬を真っ赤に染めてランドセルを大きく揺らし走ってきた。

 手提げ鞄には私があげたハンドメイドの熊も左右に揺れる。


 小さな手が私に伸ばされて、それをしっかり握った。

 暖かくて幸せを感じる手。


 十色はいつの間にか居なくなっていた。


「あれ? クロ、いなかった?」

 三毛猫だったらミケ。黒猫だったらクロ。猫の名前の単純さに可笑しくなる。

「さっきまでいたよ。どこかに遊びに行ったのかな?」

「ふうん…。ねぇ、ブランコ乗りたいな。おねえちゃん押してくれる?」

 私の冷たくて細い指を、暖かくて小さな手が包み込みぐいぐい引っ張る。

「いいよ。少し遊んで帰ろうか?」

 ランドセルをベンチに置き、ブランコに向かって手を繋いで歩いた。

「お姉ちゃん。由香の誕生日ねチョコケーキをお母さんと作るの。お姉ちゃんも一緒に作ろうよ」

 鈴の音のような声が、小さな口から奏でられて思わず口元が綻ぶ。

「いいよ。美味しいレシピ探さないとね」


 由香の誕生日がもうすぐ来る。


 由香は11歳になる。



 私が一人、不安を抱えていた1年が終わる。


 私が発病したのが10歳。

 由香は大丈夫だろうか?

 10歳という年齢が、やたらと怖く感じた。


 確率的にはあり得ないくらい低い事は分かっている。

 でも…不安で仕方ない。

 こんな不安。誰にも言えない。


 大好きな由香。元気で幸せに生きて欲しい。





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