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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人形はシェルピンクの匂い

脈打つ違和感と締め付けは素色

作者: T.I.

 夫が女の子を連れて帰宅した。

「え? 誰、その子?」

「俺の子供だよ」

 一瞬、何をいっているのかわからなかったけど、夫には離婚歴があり、前の奥さんとの間に子供がいると聞いていたから、この子がきっとそうなのだろう。

「急にどうしたの? 連れてくるなんて聞いてなかったし――」

「ちょっと、な」

「ちょっとって、何かあったの?」

 ああ、と夫はいって、気まずそうに目を逸らした。

「理由があるなら、教えてよ。まさか、勝手に連れてきたわけじゃないよね?」

「それじゃあ、誘拐じゃないか。とにかく、子供の前だしさ」

 そこで、私ははじめて夫の子供をちゃんと見た。

 どきりとした。

 西洋人形のような子供だ。比喩でそう思ったのではなく、とても生きた人間には見えなかった。

 五才くらいの子だろうか。色白ではなく、肌の色が冗談のように白い。いつだったか、頭から羽根の先まで白いカラスを見たことがあるけど、異質な感じはそれに近い。それだけで人間扱いしないのは薄情なのかもしれないけど、大きな両目、スッとした鼻に顎と、顔立ちが整っているので余計にそう思えてしまうのだ。ショートカットの髪型もどことなく大人びていて、幼さと大人っぽさの混在が何ともいえない居心地の悪さを感じさせる。

 嫉妬といわれてしまえばそれまでなのかもしれないけど、もやもやとした気味の悪さがあるのは事実なのだ。

「こ、こんばんは。お名前は?」

 私は屈んで、子供と視線の高さを合わせた。

 今度はゾッとした。

 無表情なのだ。

 というよりも、感情があるのかよくわからない。真っ直ぐに私の目を見返している。知らない場所にきたのだから、怯えや不安など感じていてもよさそうなのに、その視線に温度感は欠片ほどもなく、ただの無機質な視線が何の躊躇いもなく私の瞳を貫いている。

「ミレイ、です」

 子供――ミレイはそう答えた。

「ミレイちゃんね。お腹空いてる?」

「はい」

「今日、ビーフシチューなんだけど、嫌いじゃないかな」

「ありがとう、ございます。食べれます」

 何だ、ちゃんと受け答えはできるのか。できるどころか、これくらいの歳の子にしては丁寧すぎるくらいだ。外見だけで気味悪がってしまい、何だか申し訳ない気持ちになる。

「じゃあ、こっちおいで」

 私はミレイの手を掴んだ。

 冷たい。それに肌がとても滑らかだ。陶器のよう、といったらオーバーかもしれないけど、肌の白さと相俟ってそんな風に思ってしまう。

 いや、そんなことで怖がっては駄目だ。生まれ持ったものなのだし、この子に何の罪もないのだから。

 それでも、ミレイを見下ろしたときに目に入った、剥き出しのうなじの白さと細さに、ざわざわとしたものを感じた。


 ミレイが眠ったところで、夫に事情を聞いた。

「あの子の母親が、入院したんだよ」

「入院って、病気か何か?」

「いや――自殺だよ」

「え? どうして?」

「知らないよ、そんなこと」

「知らないって、あなた、一応夫婦だったんでしょ!」

 普段怒ることなんて滅多にないのに、いつから存在していたのかもわからない激情が、腹の底からごぼりと出てきた。

「静かにしろよ――起きちゃうだろ」

 迷惑そうな顔で夫は寝室へ視線をやった。誰のせいで怒っていると思っているのだ。

「だって――だって、そんな風ないいかた、いくら何でも――無責任じゃない」

 怒り慣れていないせいか、呼吸が落ち着かなかった。深呼吸しなければ次の言葉が繋げない。

「いや、俺も悪かったよ。だけどさ、本当にわからないんだ。月に一回くらいミレイとは会ってたけど、お母さんは普通っていうし――」

「心配させたくなかったんじゃないの? それに――あなたを責めるのもおかしい話ね」

 夫に謝られ、少しだけ落ち着いた。

 それにしても、母親が自殺するなんて気の毒な話だ。あの子は、ちゃんと理解しているのだろうか? どれほど不安だろうか。どれほど孤独だろうか。さきほど自分が感じた怯えにますます罪悪感が生じる。

「ねえ――そのこと、ミレイちゃんは、知ってるの?」

「さあ? どうだろう? でも、はっきりとは教えてないけど、薄々は勘づいていると思うよ。昔から感がいいんだ、あの子」

「そう――」

 ミレイはしばらくうちで預かることになった。

 大変だろうけど面倒を見て欲しい、と夫に頼まれた。別に私は一向に構わない。あんな小さな子が抱えるであろう困難や苦悩を考えたら、私の苦労なんてどうということはないだろうから。

 ミレイは全く手のかからない子供だった。家にいるときは、大人しくテレビを見るか絵本を読んでいるかのどちらかなので騒ぐようなこともなく、しかし話しかければ意思表示もちゃんとしてくれるので、接しかたに困るということもなかった。食事の前にテーブルも拭いてくれるし、洗濯物を畳むのも手伝ってくれる。よくできた子だ。

 母親の教育がしっかりしていたのだろう。夫はわりとずぼらなので、間違いなくそうだ。

 ただ――。

 ミレイが母親のことについて何もいわないのが気がかりだった。

 一言ぐらい何かいってもよさそうなのだけど、寂しがるどころか心配する様子もない。私に迷惑をかけないために、あえて黙っているのかもしれないけど。

「ミレイちゃん、おうちではどんなことして遊んでたの?」

 いきなり母親のことを訊くのもどうかと思い、遠回しに普段の過ごしかたを尋ねてみた。

「んー――絵、書いてた」 

「じゃあさ、あとでペンとか画用紙とか一緒に買いに行こうよ」

 うん、とミレイは頷いた。

 微かに笑ったように思えた。

 夕方、駅前のスーパーへ買い物に行くときにミレイも連れて行った。この子がうちへきて一週間が経つけど、一緒に外出したのははじめてだ。

 どんどんミレイが私の日常へ溶け込んでくる。最初は大変だと思っていたけど、子供がいる生活も悪くないんだな、と充実した自分もいる。

 別に子供が嫌いなわけではないし、夫との間に子供を作らないと決めたこともないのだけど、何となくこのまま妊娠とは無縁の夫婦生活を送るんだろうと感じてもいたのだ。

 そう意味では、しばらくといわず、このままこの子を引き取るのもありかもしれない。

 だけど、悪くないという思いとは反対に、何の淀みもなく日常に混ざってくるミレイが、どうしようもなく私を不安にさせる。

 スーパーで買い物をすまし、近くの文房具屋へとむかった。ボールペンを買うのに、一年くらいに前に一度入っただけの店だ。小さいけど、わりと綺麗な内装だった。いまもまだ綺麗なままのだろうか? そういえば、店員がお喋りなおばさんで、面倒臭かった記憶がある。あの人もまだいるのだろうか。

 店内に入ると、いらっしゃいませ、と声が聞こえてきた。

 いた――あのおばさんだ。

 あれ以来、ここへはきたことがなかったのに、なぜか憶えていた。なるべく、店員とは顔を合わせないようにして、店内を進んだ。

 店内も昔と同じで綺麗だった。

 ――あのときのやり取りが蘇る。

 会計を済ましたあとに、

 ――この辺の人?

 そう訊かれたのだ。

 最近、越してきた、というと、やっぱりそう、と妙に満足気に答えられた。自分の勘が当たって嬉しかったに違いない。

 そして、プライベートを根掘り葉掘り訊かれたのだ。結婚はしているのか、働いているのか、元はどこで暮らしていたのか、旦那はどんな職業なのか。

 極め付けは子供がいるのか。

 全部、ぼんやりと返事をした記憶がある。失礼だとは思わなかった。だって、そんな個人的なことを見ず知らずの他人に詳しく話すこともないだろう。

 でも、子供の質問に対しては、いない、としか答えられなかった。イエスかノーの質問だったので、ぼんやりと返すことができなかった。

 しかし、それがよくなかった。

 ――どうして? いいのよ、子供って。最近の若い子は自分のことばかりだからね。責任感もあんまりないし、持ちたがらないじゃない。でも、そんなんじゃ駄目よ。日本が駄目になっちゃう。もっと貢献しなきゃ。うん、そう未来に。この国の未来に貢献しなきゃ。

 はっきりいって、余計なお世話だ。子供を持つ持たないなんて夫婦が決めることで、他人にとやかくいわれることでもなければ、国の未来のために持つものでもない。家庭によって事情もあるだろうし、持ちたくても持てない人だっているはずだ。

 だけど、私はそんな反論なんてせずに曖昧に頷いてやりすごした。

 こんな人といいあっても無駄だと感じたから。自分が喋りたいだけなのだろうし。

 色鉛筆と画用紙を選び、レジへ持って行った。嬉しそうなミレイを見ていると、ここであった不快な思い出なんてどうでもよくなる。

「あら、あなた」

 お釣りを受け取ったとき、店員のおばさんに話しかけられた。

「久しぶりねぇ、もう随分と会ってないもの。あら、お子さん? でも、子供いないっていってなかったかしら?」

 てきとうに喋っているわけではなく、本当に私のことを憶えているみたいで、驚きよりも寒気を感じた。無駄な記憶力と図々しさを兼ね備えているなんて、とてつもなくおぞましい人だ。

「ええ、そうなんです。知人の子を預かっているんですよ」

 旦那の子供とか余計なことはいわないようにした。そこから再びペラペラと話し出されても煩わしいだけだ。

「やっぱり! 全然、似てないもの。それにしても、お人形さんみたいな子ね。とっても可愛い。お母さん、きっと綺麗なんでしょうね」

 店員はニコニコとミレイを見る。

 何だろう、この感じ――息苦しさと吐き気を感じる。

 遠回しに私が綺麗ではないといわれているからだろうか。まあ、自分が綺麗だと思ったことなんて一度もないけど、いい気分でないのは間違いない。

 私はミレイの手を引いて店を出た。

 あ、と店員は声を上げたが無視した。立ち止まっても不快な話が続くだけだろう。

 もう二度とくるもんか、こんな店。


 帰宅して水を一杯飲んだら落ち着いた。

 我ながら情けない。

 あれくらいのこと、簡単に流せるくらいでないと駄目だ。旦那に激昂したことも考えると、自分で思っているよりも怒りっぽいのかもしれない。

 ミレイは早速絵を描きはじめている。

 次に画用紙を買うときは別の店へ行こう。それまでに新しい文房具屋を探しておかなくてはならない。いや、べつにコンビニでもいいのか。

 ふと、いつまでミレイはここにいるのか考えてしまった。このまま引き取ることになればいいけど、出て行くとしたらいつ頃だろうか。

 また母親のもとに戻るとしたら――それはないか。病気とかならともかく、自殺する可能性のある母親のもとに子供を戻すようなことはしないだろう。少なくとも親戚とかが引き取るはずだ。でも、結局は夫が実の父親なのだし、うちで引き取るのが自然な気もする。

 それとも、ミレイは戻らねばならないのだろうか――いつ命を絶つかもわからない、不安定な母親のもとへ。

 次はミレイが巻き込まれるかもしれないのに。

 そうなったら見殺しも同然だ。

 楽しそうに絵を描いているミレイを見て、それだけは絶対に阻止しなければならないと、強く誓った。

 夕飯を作っていると、夫が帰宅した。

 夫はいつも帰ってくるとミレイの頭を物凄い勢いで撫でる。まるで犬扱いだ。くすぐったいのか、ミレイはそれをやられるとクスクスと笑う。控え目な笑いかただけど、この子が見せる数少ない表情の一つだった。

 夫もミレイの前では、私の知らない表情を見せる。とても落ち着いた柔らかい表情をするのだ。実の娘の前だから当たり前といえば当たり前なのだけど、夫とはどうやっても他人のままなのだと痛感する。

 それとも、いつか夫も私にあんな表情をしてくれるようになるのだろうか。

 息苦しい。

 それに吐き気。

 文房具屋で感じたもの同じだ。

 私はミレイに嫉妬しているのだろうか。幼くして目を引くような容姿をしている――この子に。

 大人気ない。それになんと矮小な感情だろうか。

 相手は子供だ。夫からしてみれば実の子だから可愛いに決まっている。文房具屋の店員のいったことなんて気にしたら負けだ。

 だいたい、この子は母親が自殺未遂を起こして寂しい想いをしているはずなのだ。夫を少しばかり取られたからって、どうして憤る必要がある。

 取られた? 私が夫を?

 憤っているのか?

 自分のなかに湧き上がる感情を誤魔化すために、言葉を並べてみたものの、結局はミレイへ嫉妬めいたものが渦巻くだけだった。

「そういえば、ミレイの幼稚園のことなんだけど」

「え? ああ、幼稚園――どうするの? ここから通わせると一時間くらいかかるんでしょう?」

「そうなんだ。だから、うちの近くの幼稚園か保育園に移そうかと思ってるんだよ」

 それはつまり、ミレイをこのままうちで引き取るということなのだろうか。それとも母親の入院が長引くから、その間だけということだろうか。

 ちょっと前まではミレイを引き取ることに何の躊躇いもなかったはずなのに、いまは息苦しさが私を抑えにかかる。

 どうしてしまったのだろうか?

 何に危機感を感じているのだ。何に怯えているのだ。

「まあ、それは俺で探すから、申しわけないけど――」

「わかってる。送り迎えなら任して」

 夫に対して笑顔で答えた――つもりだけど、自分でも感じるくらいに表情が強張っていた。

 幸いなことに、夫の注意はミレイに行っていたので怪しまれることはなかった。


 上手く行くと思っていたミレイとの生活も、私が抱いた得体の知れない醜悪な感情のせいで破綻しそうだ。

 何の違和感もなく、部屋で絵を描くミレイ。そんな彼女を見て、憎しみとも怯えとも判別できないものに揺さぶられ続ける毎日。

 耐え難い苦痛であった。

 どうしても想像してしまうのだ――夫の隣に当たり前のようにいるミレイと家政婦のように生きる私の姿を。夫からは食事の催促、ミレイからは画用紙をせがまれる。

 ああ、私は何なのだ?

 血の繋がりなんてない――赤の他人だ。

 他人の私がどうしてそこまでして、この子を育てなければならない。

 私の人生は他人のためにあるわけじゃない。女や妻という立場を捨ててまで、ほかの女が産んだ子供なんか育てたくなかった。

 さすがに心が狭いだろうか?

 でも、もう同情とかだけでは抑えられない、ミレイへの怒りがあることは間違いない。

 いや、怒りだけではない。

 怯えだ。

 違和感なく私と夫との間に混ざってきて、いまの立ち位置を崩されるのではないかという――自分という人間を殺されるのではないかという恐怖。

「ねえ、ミレイちゃん。お父さんのこと、好き?」

「うん」

 ミレイは絵を描いていた手をとめて私をまっすぐ見る。

「お母さんととどっちが好きかな?」

「お父さん!」

 大声とまでは行かないまでも、普段よりも大きめな声でミレイはいった。自殺した母親よりもずっと一緒に暮らしていなかった父親のほうがいいみたいだ。

「お父さんとずっと一緒にいたい。もうお母さんは――」

 私はミレイの白く細い首に手をかけた。

 力一杯――骨を砕くつもりで握った。

 すべすべした人間離れした感触だ。

 苦痛で人形のように整った顔は歪んでいる。目は見開いていて、涙も流している。口が空気を求めて必死にパクパクと開閉していた。

 それでも、なぜかミレイの顔は美しかった。

 幼い子供とは思えない。苦しんでいるはずなのに、どこか色気さえ感じる。

 私は両手に力を込めた。

 潰れろ――潰れろ――。

 そう心で唱え続けた。

 憎しみと一緒に愛おしさも湧いてくる。

 ミレイがやってきたときのことを思い出す。

 パキッと乾いた感触があり、ミレイは微塵も動かなくなった。

 命の消える音にしては味気ないな、と思った。

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