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作者: 謎の人物

「れぇせんと、れすぱんど、れすぱんしぶれ・・・」

なぜ英単語帳というものはわざわざアルファベット順に並んでいるのだろうか、スペリングも意味も似たものが並んでしまって返って覚えにくい。そもそも辞書を使えば知らない単語もすぐにわかるのにわざわざ全部覚える必要があるのだろうか。しかしどの単語も意味が全く思い出せない。

 三年生の夏、ここで大学に入れるかどうかの勝負は決まるといっても過言ではない。今日も予備校に十時間近くいる。お母さんはいつ迎えに来るだろうか。エアコンもついてない自習室で親を待つ人も僕を含めて三人だけになっていた。

「授業終わっても勉強だなんてご苦労なこった」

ノブヒコはかばんからマンガを取り出した。ここは勉強するところだ、と言いたくなるが僕もさっきから全然はかどってない。ノブヒコも察したような顔で僕に一冊別のマンガを投げた。

「父さん遅いな。そうだ、ノボルも読めよ、単語帳なんかよりはよっぽど面白いぜ」

「・・・あ、うん」

はじめは無視しようと思ったが、今日も一日がんばったからいいだろうと分厚い単語帳を閉じ、反応してマンガをもらった。さっきまで単語帳を持っていたからか、ものすごく軽く感じる。

「ここは勉強するところなんですけど」

もう一人の滞在者がようやく口を開いた。彼女はトウコ、この予備校の中じゃ成績はトップ、第一志望合格は確実と言われている。家は裕福じゃないらしくいつもお母さんが今にも壊れそうな軽トラックで迎えに来る。予備校代もぎりぎり払えてるくらいで浪人している余裕はないだろう、真面目な努力家だ。

「トウコちゃん、よくそんなに勉強できるよな、別にお前の成績だったらそこまで頑張らなくても、大学には合格できるだろ」

ノブヒコはマンガに目を落としながらつまらなそうに言った。

「合格しても入試の成績も高くなきゃ、奨学金がでないの」

トウコも参考書に目を落としたまま、淡々と答えた。その会話を僕はただ聞いていた。奨学金が出なくなるなら勉強しなきゃいけないだろう。僕の家は周りよりは少し裕福だけど浪人はするなとは言われた。

浪人なんてするより大学に入学したほうがよっぽどお金はかかりそうだ。それなのに予備校にも入れて、なんで僕はこんなに勉強しなきゃいけないんだろう。家じゃ勉強しないからって仕事が終わってからしか迎えにくるまで勉強しとけだなんて別にバスでも帰れるのに。

「ノボル、お前の親いつ迎えに来るんだよ」

「十時に来るって言ってたから後一時間くらいじゃないかな、今日は仕事が多いらしいから遅くなるって」

「ノボルの親って市役所だろ?絶対勉強したこと使ってないでしょ、そんなこと考えるとバカバカしくなってくるよな」

確かにお母さんが僕の勉強している内容を見て全然覚えてないと言っていた記憶がある。しかし公務員になるときは何か試験がありそれに向けてすごく頑張って勉強したと言っていた。ノブヒコも僕も結局マンガに再び目を落とした。マンガを描くのに必要なのは知識よりも想像力だろう。その時扉が開いて先生がやってきた。

「お前達、何をやってるんだ。トウコを見習え。さっき棚を整理したらお前たちに解かせたことがない昔の過去問がでてきたぞ、これでも解いてろ。」

こんなに遅くまで残っているのに何かねぎらいの言葉とかはないのかと不満に思ってしまった。ただでさえ勉強したくないと思っていた時にただの過去問を渡されてしまうというひどい仕打ちに憤慨してしまった。先生はプリントの束を机に置いてすたすたと自習室から出ていった。手に持っているマンガと紙の束を見比べて一層バカバカしくなってきた。過去問なんて解き飽きた。同じパターンの問題を何回も解いて、解く時間を短くする。この予備校はかなり過去問を使った演習が多く、実際の試験と同じ形式で月に一回の模擬試験が行われる。それでも使ってないということはかなり昔なんだろう。

「おいノボル、平成十一年って書いてあるぞこれ、俺たちが生まれた年と同じじゃないか。」

僕は平成十一年と聞いて何年かはすぐにわからなかったが、僕たちが生まれた年ということはもう十八年前のテストということになる。自分が生まれた年のテストと聞くと少し興味が沸いてきたので国語の問題を見てみた。小説、評論、古文、漢文といつも解かされているのと同じレイアウトである。

「ノブヒコ、思うんだけどさ、これって過去問やってない人スゲー不利だよね、問題の順番とか二十年近くワンパターンだし」

「このご時世受験勉強に過去問使わない奴なんていないだろ、俺は最近の学校の定期試験でさえ過去問使ってるしな」

さすがにそれはずるい気がすると思ったが受験と定期試験の違いなんてほとんどないだろうと思ってしまった。

『ノボルの親って市役所だろ?絶対勉強したこと使ってないでしょ、そんなこと考えるとバカバカしくなってくるよな』

学んだことを確認する定期試験も所詮は受験のための練習。過去問を使って要領よく済ませた方が賢いかもしれない。ますます自分が何を考えているのかわからなくなってしまった。

「それやったら定期試験の意味ないんじゃない?」

自分でも何が言いたかったのかわからなかったがその言葉が口から出た。

「いや、そもそも受験で合格できりゃそれで終わり。」

ノブヒコの言うことがもっともだ。とりあえず、今は勉強しておけばそれでいい。深いことを考えるとやる気がなくなってしまう。

「ノブヒコ、ありがとう、俺やっぱり勉強するよ」

「そうか、せいぜい頑張れよ、」

あと三十分、お母さんが迎えに来るまで英単語の勉強の続きをしよう。

僕たちが話していた横でトウコが黙々とやっているのを見るとなんだか悔しい気持ちになってくる。マンガを片付けた手で単語帳を取り出すとすごく重く感じる。

「りぺいあ、りぃくえすと、れぇせんと・・・」

やっぱり発音はちゃんとできていた方が将来は助かるだろう。深いこと考えたおかげでかえって単純に勉強する浅い理由が見つかった気がする。ノブヒコの話も勉強する理由もガン無視するより少しは反応してやったほうが生産性はないかもしれないけどプラスにはなる。

 十分くらいしてトウコが急に屋上に行こうと言い出した。さすがにトウコも長くは集中力が持たないのか僕とノブヒコも涼みたいと思って一緒に屋上に行くことにした。夜空に浮かぶ月には薄い雲が幕のようにかかって光をおぼろげに広げている。

「実は私が希望してる大学に行くなら、奨学金もらわくても大丈夫なんだよね」

まさかいきなりあの話の反応をしてくるとは思わなかった。ノブヒコと僕はちょっとやばかったかなと思って目を合わせた。

「でもやっぱりいっぱい勉強してお金持ちになってお母さんが好きなおしゃれな車をかってあげたいと思ってる。車を買うのをあきらめて予備校代を払ってもらってるから、それくらいは期待に応えなきゃって思ってる。」

あそこまで黙々と勉強していたトウコが口を開いたからびっくりした。

「そ、そうならがんばらなきゃな、なあノボル」

「そういうノブヒコ君はなんでこの予備校に入ったの」

トウコがノブヒコに率直な質問をぶつけてきた。さっきあんなことを言っていたノブヒコがどんな答えを出すか気になった。

「それは、人生を楽しむためだよ、このご時世、勉強できてた方が将来楽しく暮らせそうな気がするから、でも俺努力するのめんどくさいからお母さんが残してくれた学費使ってこの予備校入って手っ取り早く勉強しようって感じ」

お母さんが残してくれたという言葉が妙に引っかかった。

「残してくれたってどういうこと」

「俺のお母さん、俺を産んだ一箇月後に死んじゃったんだよ、で中学のときお父さんに通帳もらったら俺が生まれた年に『ガグヒ』って書いて振り込まれててさ、これは母さんの分まで人生全うしなきゃなって自分に約束したんだよ」

まさかノブヒコにそんな過去があったなんて知らなかった。

「だから点数さえとれればいいんだけどね」

点数をとるだけでも理由があるだけ羨ましい。

「それなのに高校受験の時遊んじゃってさ、で大学受験はがんばろうってもう一回約束したんだよ、ガクヒくれた母さんにいい返答しなくちゃね」

トウコもノブヒコもしっかりとした信念があって親からの期待に応えるために頑張っていることがわかった。それによって自分はすごい空っぽなんだと思ってしまった。

「それにしてもノボル、ここからの景色、意外ときれいだな」

予備校の屋上からは町のビル群がよく見える。もうすぐ十時だというのにみんな頑張って働いているものだ。

「俺はいい大学行って残業少ない会社に就職しよう、そっちの方が人生充実しそう」

「仕事で充実するのもいいんじゃないかな」

「さすがにこんな遅くまでやるのはごめんだよ、って今ここにいる俺たちが言うことじゃないんだけどね」

確かに今日も遅くまで勉強したものだ。そろそろ親が迎えに来てもよさそうな時間だ。

「あのタワー、すごい速さで立ってるね」

トウコがまっすぐ指をさして言った。指の先には新しく建つビルがあった。何のビルかは知らないけどすごいかっこいいデザインだ。

「大工さんたちすげーブラックなんだろうな・・・俺には勉強するほうが向いてる気がする」

「でもあれを設計した人って世界的な建築会社の天才社長だってテレビで言ってたよ。人の上にのぼる人はやっぱり天才なんだよ」

ここまで話に乗ってくるトウコは珍しいなと思った。確かに僕の親もこの町をうごかしてる市役所の人としては尊敬している。公務員というのは社会的にはやっぱり高い位だと思うし、お母さんもそういう職に就いてほしいと言っていた。確かに少し裕福になれるなら今少し苦労しても案外悪くないかもしれない。

「あ、お母さんだ。」

トウコが急に目線を下げたと思うと、玄関の前に見慣れた軽トラックが止まっている。珍しく僕らに手を振って、トウコは一階へ下って行った。

「ノボル、お前の親もそろそろ迎えにくるんじゃないのか」

確かにそろそろ十時だ、この一時間、全然勉強しなかったことに今になって気が付いた。ついさっきまではすごい勉強が嫌いだった気がするけど、友達の応えを聞いて大切なことを思い出した気がする。僕の親も僕を予備校に遅くまでわざと勉強させて、自分と同じように、むしろそれより裕福になってほしかったんだろう。トウコやノブヒコほどじゃないかもしれないけど親に期待されて、いろいろしてもらって

それに応える責任が僕にもあるんじゃないかなと思う。トウコもノブヒコもその責任をわかってるからあそこまで自分の信念をもって行動できているんだろう。

「おいノボル、なにボーっとしてるんだよ、自習室にいろいろとりに戻ろうぜ」

「わかった」

屋上に来たばかりの時は雲に隠されていた月が今ははっきり見えてビルが立ち並ぶ夜の町を照らしている。

自習室に戻ると先生がいた。

「お前たち、どこに行ってたんだ、お前たちが帰るならそろそろ閉めるぞ」

やっぱりこの先生からはねぎらいの言葉は出てこない。

「ほら、この過去問持って帰れよ、解いてきたら丸付けしてやるからな」

しかし、教育熱心なのは確かなようだ。先生も僕たちの親にお金をもらってやってるわけだから責任をもってやっているんだろう。

「あとノボルのお母さんが迎えにきてたぞ、玄関でお待ちだ。」

「わかりました。ありがとうございます。」

過去問をもらって僕も自習室から帰る。入試なら要領よく勉強するのも案外大事かもしれない。

「ノブヒコも帰るの?」

「うちのお父さんももうすぐ来るだろうから玄関で待っておくよ。」

二人で玄関まで行って、僕はお母さんの車に乗り込んだ。

「今日も勉強はかどった?」

「まあまあかな、ちょっと英単語が覚えられなくて」

「こういう隙間時間にでもやりなさい」

一時間前の僕なら絶対に憤慨しそうな言葉だ。しぶしぶ単語帳をとりだそうとしてかばんの中に手を入れると、ノブヒコに借りたマンガを間違えて入れているのに気が付いた。しかしマンガではなく単語帳を取り出し、さっきの続きから読み始めた。

「りぃせんと、りすぽんど、りすぱんしぶる」

今ならさっきより意味が覚えられそうな気がする。


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