■中編 再会
『タケノタケ??』
中学入学、初日。
緊張の面持ちで自席に着き、ほんの小さく目線を移動させて知り合いが一人
もいない新しいクラスメイトの様子を覗き見ていた僕に、前の席の彼女が僕
の方を振り返り無邪気に小首を傾げた。
目が大きくて、頬はほんのり赤く、当たり前だがつい最近まで小学生だった
雰囲気が拭い切れないその幼さ。
『ねぇ、タケノ君って ”タケノ タケ ”なの?』
配られた ”1年C組名簿 ”にある僕のフルネームをその大きな目で凝視し
て、若干馴れ馴れしく話し掛けてきた彼女は胸のネーム刺繍に ”タキモト ”
とあった。くせっ毛なのだろうか。髪の毛は色素が薄くて軽くカールがかっ
ている。少しの体の動きに、そのカールした髪の毛もやわらかく揺れる。
『面白い名前だね~!』 ケラケラ愉しそうに笑い、質問の答えも待たず一
人で勝手に話を進めてゆく。
そして、そのタキモトさんの隣に座る黒髪の人の腕をつかむと、ユラユラと
揺らして同意を求めるようにその横顔に向かって『ねぇ?』と笑った。
『失礼でしょ~? ・・・ごめんね。』
振り返りタキモトさんの代わりにそう謝った顔に、僕は目を見張り固まった。
『えー、だってさぁ・・・ リコも面白いと思わな~い?』
タキモトさんが、そう、呼んだ。
”リコ ”と・・・
(リコ・・・ リコ・・・・・・・・。)
僕は、慌てて彼女の胸の刺繍名を確認する。
”タカナシ ”
さっさと机の引出しに仕舞ってしまった先程配られた名簿を引っ張り出し、
再度確認する。どうして気付かなかったんだろう・・・
”タカナシ リコ ”、彼女だ。
あの、小学校5年の時の、3か月だけのクライスメイト。
僕に他のクラスメイトと同じように話し掛けてくれた、笑いかけてくれた、
そして、運動会で母親におにぎりを頼んでくれた、彼女。
中学の統廃合があり、あの小学校出身者もこの学区の中学に通うことになっ
た事を、そう言えば誰かが話していたような気もする。
心臓が急速に鳴り響く。
ドクンドクンドクンドクンドクン・・・
リコだ。
またリコに会えた。
また同じクラスになれた。
彼女は、僕に、気付くのだろうか・・・
『 ”ヤマモトヤマ ”的なやつじゃないの~?
下から読んでもー、のアレ。』
タキモトさんがまだ僕の名前に興味津々に続けている。
僕の机に身を乗り出して頬杖をつき、その赤く幼い頬を向けて。
『ナチってば、しつこいよっ!』 困り顔でそれを制す、リコ。
まるで姉のようなリコからの注意に、タキモトさんは悪びれる事なくイヒヒ
と笑う。
『マ、マナブ・・・。
漢字で ”岳 ”って書いて、マナブって読むんだ・・・。』
僕はそう言うと、弱々しく視線を流してリコの反応を待った。
(僕だと気付くだろうか・・・
”マナブ ”という名前に。 リコは・・・。)
しかし、リコは僕に気付かなかった。
あの頃とは苗字も違うし、ほんの短い期間しかクラスメイトではいなかった
僕に、当然ながらリコは気付かなかった。
『タケノ マナブ君か~ ヨロシクね。』 リコはそう言って微笑むといまだ
僕をからかうタキモトさんに『謝んなよ!』と、やさしく目を眇めた。
その日からタキモトさんは僕のことを勝手に ”タケ ”と呼ぶようになった。
タカナシ・タキモト・タケノ、出席番号が近いこともあって何かと僕らは物
理的に近いことが多く、気が付くと3人仲良くなっていた。
”リコ ””ナチ ””タケ ”、僕らは下の名前で呼び合うようになっていた。
とある日、『ねぇ。 タケって、どこ小?』 僕に訊くナチ。
『私は東小でー・・・ リコは、西小なんだよ。』
僕は ”西小に3か月だけいた ”ことはふたりに話をしていなかった。
話すタイミングを逃したというのもあるが、正直なところ、リコにあの時の
情けない僕を思い出されるのが嫌だった。
『引っ越しが多くて転々としてたから・・・。』 僕はそう濁した。
僕という存在に気付いてほしいけれど、情けない姿を思い出されたくもない。
そんな中途半端で曖昧な思いを、いつまでも胸に抱えていた。
やっと梅雨が明けかけた、初夏のある日。
ナチが休みの日に花火をしようと計画立てた。
夜に3人で集まって、リコの家の近所にあるお寺の境内で開催するというそ
の案。まずは、一旦リコの家に集合してから境内へ向かう。
はじめて、リコの家へ行く。
あの、”お母さん ”がいるリコの家へ。
僕は嬉しさとほんの少しの緊張で、早目に自宅を出発していた。
貰ったリコ手書きの地図を片手に、住宅街をウロウロと歩き回る。
見付けたそれは、坂道の途中にある一軒家だった。
玄関先にはたくさんの鉢植えが並び、目に飛び込んで来る色とりどりの花々
に思わず目を細め微笑む。想像していた通りのあたたかく家庭的な、それ。
恥ずかしいけれど、張り切りすぎて浮かれすぎて約束の時間より15分も早
く着いてしまった僕。
玄関ドアの前でもう少し待ってからチャイムを押そうか人差し指を出したり
引いたりしながら迷っていたところへ、急にドアが大きく開いた。
『あら、いらっしゃい!』
あの時、僕におにぎりの包みをくれたあの笑顔の人がそこにいた。
優しく目を細め、すべてを包み込むお日様のようなあたたかい笑顔で。
『こんにちは』と言い掛けて、やめ、僕は『はじめまして。』と挨拶した。
リコの母ハルコもニコっと微笑み、『こんにちは。』と穏やかに返した。
挨拶を交わし合う声に、慌ててバタバタと廊下の奥からリコがやって来る。
『タケいらっしゃい!
・・・ってゆーか、ナチ少し遅れるってー。』
リコは相変わらずマイペースなナチに、呆れたような困ったような笑い顔を
小さく向ける。そんな小さな笑顔ですら心にじんわりあたたかくて、僕は目
が離せなかった。
20分遅れてやって来たナチと3人で、僕らは丘の上にあるお寺の境内で花
火をした。
夏のはじめの夜の空。
コバルトブルーの紫陽花が咲き誇るその境内に、3人、顔を揃えてしゃがみ
込みロウソクに火を灯すと、3人の嬉しそうにはしゃぐ顔がほんのり浮かび
上がる。
曇り空で星は殆ど見えなかったけど、僕らにはそんな事どうでも良かった。
生ぬるくそよぐ夏風に、花火の煙が白く優しく流れる。
火薬のにおいは煙とともに、そこかしこにまとわりついた。
手持ち花火の閃光に、リコのはしゃぐ顔が暗闇に浮かび上がる。
リコもナチも子供のように花火を振り回し、煙の残影でハートの形を作って
はケラケラと愉しそうに笑い合う。
(こんな気持ち・・・。)
僕はその時、気が付いた。
そうか。僕は、はじめてなんだ。
こういう風に、一緒に花火をする友達が出来たのは初めてなんだ。
そうか。こんなに楽しいんだ・・・
誰かと笑い合うのって、こんなに・・・
あんまり花火の煙が目に染みるものだから、僕は顔を上げられなくなってし
まった。腕で目を強く押さえ、少し乱暴にゴシゴシと擦る。
(痛ってぇ・・・ 目ぇ、痛てぇ・・・、
・・・なんだろ、なんだか・・・ 目も、痛いんだけど・・・。)
この時間が永遠に続けばいいのにと思った。
ナチがやたらデカい声で大袈裟にまくし立てて、リコがそれにちょっと呆れ
顔で笑って、そんなふたりを僕が眺めて笑う。
こんな時間が、永遠に。 ずっと、ずっと、永遠に・・・
その時、僕の背中にそっと手があてられた。
小さな手の平のぬくもりが、薄いTシャツを通して優しく伝わる。
俯いて目をこすっていた腕をおろし、そっと顔を上げるとリコが心配そうに
僕を覗き込んでいる。
『煙、染みた? ・・・大丈夫??』
その顔は、あのお母さんによく似ていた。
やさしくてあたたかくて、まるでお日様みたいに眩しい。
日陰で小さく小さく背中を丸めて生きてきた僕を、見付けてくれたお日様。
僕の心臓は、息苦しいほど速度を上げる。
ドクンドクンドクンドクンドクン・・・
(リコと、ずっと、一緒にいられたらなぁ・・・。)
僕ら3人はいつも一緒にいた。
僕ら3人はいつも一緒に笑っていた。
秋にはお寺の境内で焼き芋を焼こうと軍手をはめて落ち葉を集め、火をつけ
たところで住職に見つかり、3人並んで立たされこっぴどく叱られた。
生焼けのさつまいもを胸に抱えて、3人トボトボと夕暮れの坂道を下った。
冬には、リコの家で家族まじえてクリスマスパーティーをした。
一羽丸ごとのチキンを初めて目の前で見て、僕は目を丸くした。ホールの丸
い大きいケーキも、生まれて初めてだった。
母さんと二人だから食べきれないという理由で、カットケーキしか買っても
らった事も食べた事もなかったから。
ナチがケーキをカットする役を張り切ってかって出たが、皆のあらかたの予
想通りケーキはぐちゃぐちゃに切り分けられ、みんなで腹を抱えて笑った。
もう笑いすぎて苦しくて、胸が痛くて、涙がでた。
優しい気持ちが、体中を満たしてゆく。
それはゆっくり、静かに、満月の夜に潮が満ちるように。
僕は、涙が止まらなかった・・・