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迷子

「どの辺ではぐれたの?」

「車」

「車……か。むう、車ねえ」

 増田は困った。ただ車では、あまりにも抽象的過ぎて、まったくわからない。しかし、ふと閃いた。

「車って、車が置いてあるところ?」

「うん」

「いっぱいあるか……もしかしたら駐車場とか……ここらで駐車場だと、どこにあるだろう?」

 増田は考えた。この辺に来る前に、駐車場の前を通りがかったはずだ、と思い出したが、それはかなり離れており、この幼児が歩いて来れる距離ではないような気がした。この近辺にもあったような気もするが、どっちだったか思い出せなかった。

「これは、参ったな」

 増田は苦い顔になった。他の通行人に協力を求めるか? いや、面倒がられて「早く交番に連れて行け」としか言われず、まともにとりあってはくれない可能性があった。周囲には三、四人いるが、怖そうな中年男性と小学生らしき男の子、おしゃべりに夢中な老婆がふたりという、頼りになりそうにない面子であった。


 涼子は、ふと、こんな時に携帯電話があれば、簡単に連絡ととりあうことができるのに、と思った。もちろん幼児の涼子には持たせてくれるわけはないが、今更ながら、携帯電話がまだ存在しない時代の不便さを思い知らされた。

 ちなみに、一九七八年の携帯電話は、まだ車載電話という状態のものだった。肩にかけて持ち運ぶ、ショルダーバッグ並みの巨大な携帯電話も、登場はまだ数年後である。若い世代には、もう知らない人も多いであろう「ポケベル」すら、まだ普及していない時代だ。


「……しょうがない。まあちょうどいい機会だし、これを試すか」

 増田は、キョロキョロと周囲を見渡し、人目に付きにくい建物の陰に移動すると、そこで自分の服のポケットから、文庫サイズの板状のものを取り出した。大きいサイズの電卓によく似た形状をしている。上部に液晶画面らしき部分があり、その下にはたくさんのデコボコ——ボタンが並んでいる。

 増田はそれを両手で持って、時々ボタンを押している。どれを何度押しているのかはわからない。電卓を使っている……もしくは、スマートフォンで文章を作成しているようにも見えた。いつの間にか、イヤホンを取り出して、耳に装着している。そのイヤホンは、十円玉ほどの大きさの本体上部に湾曲したフックがついており、そのフックを耳に引っ掛けると、本体がちょうど耳の穴にくるような作りをしていた。そのイヤホンのコードは、電卓もどきにつながっている。

 涼子はその様子を不思議そうに見ていた。しかし涼子は、そんな無邪気な見た目とは裏腹に考えを巡らせていた。その機械の操作で、涼子の親を探してくれている、それは涼子にもわかった。まさか、本当に電卓を使っているわけはないだろう。ということは、その電卓もどきは本当に「もどき」であって、電卓ではない「別の何か」なのだ。

 考えられるのは、GPSなどの位置情報を知るための機械だ。でもまさか、この時代に個人でGPSが使えるわけはない。そもそも、実際はこの七十年代にはまだGPSは実用されていない。GPS用衛星を打ち上げたのは、これからまだ十年くらい後のことだ。衛星がないのだから、GPSを使うことなどできない。

 ——では一体、あれは何なのだろう? 黙々と作業する増田の姿を見ながら、涼子は思った。


「——よし、たぶん間違いないな」

 増田は、真剣な表情が急に明るくなって、涼子の方を見た。

「りょうこちゃん、お母さんの居場所がわかったよ」

「お母さんと会えるの?」

「そうだよ。この先の、天満屋の付近で娘を探している親がいる、っていう情報があるんだ」

 涼子を喜ばせてやろうと、笑顔で話す増田。涼子は、難しいことはよくわからない、というふうに首を傾げた。

 ——この少年、一体何をしたんだ? どうやってそんな情報を手にいれた?

 涼子は、増田の素性を疑問を抱いた。一介の高校生が、そんな情報を得られる機械を持てるわけがない。今は昭和だ。ネットもまだ黎明期の頃で、かろうじて、一般にパソコン通信ができる環境があるのかどうか、そんな時代である。


 ちなみに、増田の使った電卓もどきの機械は、いわゆる「盗聴器」の受信機だった。この場合、この近辺の交番など、あちこちに超小型のマイクを設置しており、それから聞こえる会話情報を盗聴したのだった。子供を探している親のことが、どこかの交番で会話されていないかを、増田は探していたのだ。

 盗聴器自体は、大したことではないかもしれない。しかし、マイクをかなりの箇所に設置しているようで、一体どうやって、そんなにたくさんの場所に設置できたのか。それに、この少年はどうして、交番にマイクを設置しているのか? 何をする気なんだ?

 ……これは、なんと言えばいいのか、どこか不気味なものを感じる。

「さあ、お母さんのところへ行こう」

 増田は、涼子の手を握ると、真知子たちがいるであろう場所に向かって歩き出した。涼子もとりあえず疑問は後回しにして、一緒に歩き出した。



「涼子ちゃん!」

 こちらに向かって歩いてくる涼子の姿を見つけると、真知子は一目散に駆け寄った。

「おかあさぁん」

「涼子、涼子!」

 半泣きで涼子を抱きしめる真知子。

「じゃあ、僕はこれで」

 増田は軽く頭を下げて、踵を返した。

「ほ、本当にありがとうございます。なんとお礼したら……」

 立ち去ろうとする増田を呼び止めて、ペコペコ頭を下げる敏行。

「ああ、いえ。いいんですよ。別に大したことないですから」

 増田は笑顔で言うと、そのまま立ち去っていった。

「ありがとうございます!」

 敏行の背後から、真知子も増田の背中に向けて言った。


「いやあ、本当によかった」

 敏行は車を運転しながら、能天気に頭を掻きながら言った。

「もう、あなたがいけないのよ! 涼子に何かあったらどうするの!」

 真知子は怒り心頭である。子を想う母の怒りは強烈だ。

「わ、わかっているよ。すまん。涼子、ごめんな」

 敏行は、後ろの涼子と真知子に向かって謝罪した。


 帰宅の途中、涼子は眠くなって母の腕にもたれてウトウトし始めた。意識が薄れていく中、涼子はふと、こんな一大事件を「前の世界」ではまったく記憶にない、と気がついた。どういうことだろう? と考えを巡らせようとしたが、睡魔には勝てなかったようで、そのまま眠ってしまった。

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