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藤田のおじいちゃんの家へ

 今日から敏行の実家である、藤田の祖父母の家に行く。

 泉田に住んでいた頃に比べて距離はかなり離れたが、車で行けば四十分くらいで到着できる距離だ。場所は国道三十号線を南下した、倉敷川に近いあたりで、周囲は広大な田んぼである。その中に点々と民家が建っているような土地だ。


 敏行は父親とあまり仲がよくない。なので毎回、「泊まっていけ」と言われているにも関わらず、泊まることは少なく、その日のうちに帰っている。しかし今回は、かなりの金額を借金していることもあって、なかなか断れないのだ。

 敏行の父……涼子の祖父は、息子には厳しい反面、孫の涼子にはとても甘い。初孫だったこともあるのだろうが、とにかく可愛くてしょうがないようだ。小学生になる時、涼子にランドセルをプレセントしたが、これも「涼子には、わしがランドセルを買ってやるんだ」と頑なに主張して譲らず、結局そうしてもらうことになった。

 買ってもらったあと、祖父の前で小学校の制服とランドセルを背負った姿を披露した時の、祖父のデレデレぶりは周囲を驚かせた。


「ねえ、本当に泊まらないの?」

「ああ、晩までに帰って、あの仕事を終わらせる。そうしたら、明日はまだ日が高いうちに仕舞える。それから、のんびり迎えに行くよ」

「せっかくなのに……」

 真知子は残念そうな顔をしている。一泊して明日帰るつもりにしていたのだが、敏行は「急ぐ仕事があるから」と言って泊まらないと言う。実際に、急な仕事が二日前に入ったので、言うことはわかるのだが、それでも、こんな時くらい休めばいいのに、と思っていた。

「お父さんも泊まろうよ」

 涼子が言った。涼子も真知子と同意見だ。敏行は今回に限らず、基本的にあまり休まない。本当に仕事人間だ。ブラックだ何だという、現代では考えられないような長時間労働を当たり前のように続けており、いつか倒れやしないかと心配していた。

「忙しいからなあ――まあ、哲也のとこも泊まるんだから、みんなで仲良くな」

 叔父の哲也……いとこの知世も、祖父母宅に泊まる予定になっている。

「仕事し過ぎじゃないかなあ」

 涼子は思い切って、心配に思っていたことを漏らしてみた。

「仕事はできりゃできるほどいいんだ。仕事をしてないと、どうも体が落ち着かん。明日はちゃんと迎えにくるから」

「お父さん……」

 ひと昔前の、仕事に対する考えなんてこんなものだ。とにかく休まず長時間労働、一心不乱に仕事を続ける。こんな考えが普通にあった。昭和五十七年当時、日本の景気は自動車や家電の輸出が好調で、関連する会社は忙しかった。三年後、昭和六十年のプラザ合意の後には円高に突入、まもなくバブル景気の熱狂が始まっていくのだが、その辺りは敏行の仕事にはあまり関係がない。ただ、世間は「それいけ! やれいけ!」とひたすら仕事人間を増やしていくのだった。また、休みなくひたすら仕事をすることを、美徳のように感じている世間の風潮もあった。

「あんまり無理はしないでよね。お仕事も大事だけど、体を壊したら元も子もないわよ」

「ああ、わかってるよ」



 到着すると、白のハッチバック車が止まっている。これは敏行の弟、哲也の車だ。敏行はその車を眺めて羨ましそうな顔をしていた。

「お、哲也はもう来ているな。それにしても、ファミリアかぁ。いいなあ」

 この哲也の車は、「マツダ・ファミリア」だ。二年前から販売された五代目モデルになる。このモデルは、第一回カーオブザイヤーを受賞している。ハッチバック仕様は、通称「赤いファミリア」と言われて特に若者を中心に大ヒットした。「陸サーファー」なんていう言葉が出てきたくらいだった。そんなファミリアも、次第に人気は落ちていき、二〇〇三年には「アクセラ」という後継モデルにバトンタッチして現在に至っている。

 哲也は発売当初から気になっていたらしく、今年の六月の車検を受けずに思い切って購入した。

「うちも普通車が欲しいなあ」

 敏行は弟の車を眺めつつ、羨ましそうにつぶやいた。敏行の車は、まだ買い換えていないので、もちろんホンダのライフだ。軽自動車である。独立前に働いていた会社の業績が悪くならなければ、敏行は独立せずに、そのまま働いていて車もすでに買い換えて、前から欲しいと思っていた、トヨタのカローラに乗っていたかもしれない。そして次はコロナに替えて、いつかはクラウン……。

「そんなお金ないでしょ。そんなお金があるなら、涼子に勉強机を買ってやりたいし、来年は翔太も幼稚園なんだから」

「そりゃわかってるよ。言ってみただけ、言ってみただけだって」

 両親の会話を側で聞いていた涼子は、うちはやっぱり余裕ないなあ……と少し悲しくなった。


 車を止めた場所の北側に家がある。農家だけあって、昔ながらの家の作りをしていて、涼子の自宅とは大分見た目が違う。備前の祖父母宅もそうだが、昔ながらの家というのは、屋根が大きく目立って立派に見えた。そういえば、奈々子の家もこんな風な家だった。

 正面にある玄関の方に歩いていくと、玄関の側に犬小屋がある。その犬小屋の前にしゃがみ込む子供の姿があった。涼子のいとこ、藤崎知世だ。

 涼子は知世の後ろ姿に声をかけた。

「ともちゃぁん!」

 声を聞いて振り返ると、涼子たちの姿を見つけるや、満面の笑みになった。

「わぁい、涼子ちゃあん!」

 知世は到着した涼子たちを見て、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「ともちゃん、久しぶり」

「うん!」

 知世は嬉しそうに涼子に抱きついてくる。

「ともちゃん、大きくなったなあ」

 敏行が笑顔で姪に声をかけた。

「おじさぁん、わぁい!」

 涼子たちにじゃれてくる知世は、とても可愛らしい女の子だ。しかし涼子には、今の知世の姿は記憶にはない。前の世界では知世はもうこの世にはいなかったのだ。

 涼子には、この小学一年生の時の夏休みの思い出など、もう忘れてしまっている。しかし、こうして叔父一家と一緒に祖父母の家に集うことは、先もずっとなかったように思う。

 知世が遊んでいた、祖父母の飼い犬が嬉しそうに尻尾を振って、敏行に向かって吠えている。

「元気にしてたか? クロ」

 その問いかけを理解してはいないのだろうが、「もちろんだ!」とでも言っているかのように元気よく吠えた。この犬は黒毛の柴犬で、名前は毛の色にちなんで「クロ」という。十年くらい前に祖父母宅に貰われてきて現在に至る。人間なら中高年くらいであり、普段はかなり落ち着いているが、こうして知った人がやってくると興奮するのか、嬉しそうによく吠える。

「そうか、お前も相変わらずだな」

 敏行はしゃがみこんでクロの体を撫でてやっている。

「あなた、クロと遊ぶのもいいけど、まず義父様と義母様にご挨拶しなきゃ」

「おう、わかった」

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