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巫女

「それでは、掃除を始めましょう」

 一年A組の担任、島田は言った。

 この由高小学校では、四時間目の授業が終わった後に給食、それが終わった後の、午後十二時三十分からの約十五分が「掃除時間」となる。五時間目は一時三十分なので、残り四十五分くらいが昼休みだ。

 それぞれの教室と、その教室の前の廊下を基本に、あと階段や、便所、渡り廊下、図書室や理科室、音楽室などの教室をそれぞれの学級で、手分けして掃除される。ちなみに、先述の図書室などの特別室は毎日ではなく、週二回、水曜日と土曜日に、五、六年生の学級に当番が回ってくる。毎回同じ教室ではなく、ローテーションで変わるようになっている。

 ひとつの教室に約五人ひと組の班があり、約三十人の学級の教室に六班ある。涼子のいる一年A組は、教室とその前の廊下が担当だ。教室と廊下で三班づつに別れて掃除するのだ。

 掃除時間は授業中の静けさはなく賑やかである。皆があれやこれや言い合いながら一生懸命やっていた。

 しかし、ひとりつまらなそうに両手をポケットに入れたまま、掃除をせずにサボっている生徒がいた。金子芳樹である。

 気がついた女子が、芳樹の目の前にホウキを突き出して、

「金子くん、ホウキでそっちをはいて」

 と言った。

「あぁ? めんどくせえ」

 金子芳樹は、億劫そうにひと言だけ呟いて、窓際に向かい、そこにもたれかかった。まったくやる気はなさそうだ。

「ちょっと、金子くん。はいてよ」

 その様子を見た、他の女子二、三人が近づいていき、芳樹に抗議した。しかし芳樹は、そんなことなどまるで意に介していないようだ。

 そんな両者の様子に気づいた持田は、さっそく事態の解決に向けて動いた。

「金子くん、だめじゃないか。ぼくたちはいま、そうじのじかんなんだよ。みんなでやろうよ」

 持田は金子の前に立ちふさがって、みんなの前でリーダーシップを見せようとした。

「あぁ、なんだオメエ。舐めてんのか、こら!」

 芳樹の鋭い目つきが、持田の顔に突き刺さる。持田は慌てて、

「い、いや、なめてなんか――だってさぁ、みんなですることだよ」

 と弱腰ながら反論した。

「はぁ? 知るかボケッ! オメエがやれよ」

 芳樹は、持田の持っていたホウキを奪い取ると、それを持田の顔にぶつけて睨んだ。

「あ、ははは――そ、そうだよね。ぼ、ぼくきょうはそうじがしたくてしょうがなかったんだよ。いやあ、そうそう。そうだった! そういうことで、ぼくがやっておくよ」

 持田は完全に震え上がって、芳樹の代わりに自分がやる、とか言い出した。他のクラスメートたちも、芳樹の怖そうな雰囲気に、恐れおののいているようだ。

「ちょっと! みんなでするのが決まりでしょ。金子くんもしなさいよ!」

 そう言って、芳樹の前に立ちはだかったのは、涼子だった。

「なんだぁ、藤崎。なんか文句でもあんのかよ?」

「あるから言ってるんだ。金子くんも一年A組でしょ。だったら掃除するのが当然じゃないの!」

「うるせえ、クソ女。んな、かったりいことできるかよ」

「勝手なことばかり言わないでよ。一Aの一員なんだから、やることはやりなさい!」

 涼子はまったく怯まない。そばにいた典子が、「り、涼子……だいじょうぶ?」と心配そうに言った。

「大丈夫、こんなの慣れてるから。さあ、しなさいよ!」

 涼子はホウキを突き出して、芳樹に掃除するよう言い放った。


「どうしたの?」

 そこへ、廊下の掃除を見ていた島田先生が、教室の方で騒がしいことに気がついて入ってきた。

「――あ、先生。金子くんが掃除しないんです」

 涼子はすかさず、島田に事情を説明した。どう考えても厄介な芳樹に言うことを聞かせるには、先生の力でないと無理だろうと考えたのだ。

「金子くん、掃除はみんなでするものですよ。みんな掃除をしているのだから、金子くんも掃除しましょう」

 芳樹は、島田からそう言われると、しぶしぶ涼子からホウキを奪いとると、涼子を一瞬睨んだ。そしてその場を離れて、別の箇所でつまらなそうに掃き掃除を始めた。

「やればできるじゃん」

 涼子はそう言って、自分のやっていたところを再開した。すると、奈々子がそばにやってきた。

「ねえ、涼子ってすごいね。金子くん、こわくなかったの?」

「そりゃ、ちょっとはね。でもね、こういうの幼稚園でもあったし」

「え? そうなの? 涼子のようちえんって、こわそうだね」

「いや、まあ、そういうわけじゃ……」

 涼子は苦笑いした。



 放課後、体育館の裏で、三人の生徒が何かを話している。

「宮田さんからの伝言よ。……って何よ。ご機嫌斜めね」

「うるせえ、要件をさっさと言え」

「やれやれ……。それでだけど、『巫女』がとりあえず出来上がったそうよ」

 猫のような大きな目の少女は、目の前にいる芳樹と田中秀夫に向かって言った。

「マジか? でも、使えんのかよ? そのポンコツ」

「ポンコツって……時代が時代だからしょうがないじゃないの。それに考えてるより高性能かもしれないよ」

 昭和五十七年の現在は、iPhoneで有名なアップルが、初代Mac登場前(昭和五十九年発売)であり、日本では、覚えている人も多いであろう、NECの「PCー9800」シリーズが発売された年だ。今あるコンピュータとは、到底比較にならないほど低性能のコンピュータしかなかった。

「今は昭和だぜ? そんなもん、まともに予測できるもんか」

「でもさあ、『巫女』の『神託』があれば、事前に因果がわかるんだろ? やっぱりありがてえもんだ」

 秀夫は嬉しそうに言った。

「オメェはバカか? まだこれからパソコンが普及していこうかっていう、このアナログな時代にまともな予測ができるもんか」

「で、でもなあ……」

 彼ら――特に芳樹たちのボスである宮田という男は、以前から『巫女』と呼ぶ何かを作ろうとしていた。どうやらそれは、コンピュータであるらしかった。だとしたら、『神託』とはコンピュータが導き出した「予測」ということだろう。

「まだ、もっと高性能な『巫女』に改良していくそうよ。『神託』の的中率も上がると思うけど」

「はっ、信用できるかよ。……まあ、お前ら。この先宮田さんが、どんな無茶を言ってくるかわかったもんじゃねえぜ。——覚悟しな」

 芳樹はそう言って、歩き出した。

「よ、芳樹……」


 この三人は、数年前から涼子たちの近くで暗躍しているらしき組織の構成員だった。

 猫目の少女は、板野章子という。去年、ジローと知世が出会うのを妨害する作戦で、知世になりすまして芳樹と一緒に囮役をやっていた少女だ。

 もうひとりの田中秀夫は、同じ作戦で、知世を手配していた自動車まで運んで、できるだけ遠くに引き離す役目をしていた少年だ。

 三人揃って昭和五十年生まれであり、涼子とは同い年だ。秀夫と章子は一年B組の生徒である。

 何か、よからぬことを企てていると思われる組織の人間が、こんなところで何をしているのかはわからない。ただ、何か目的を持ってただの小学生を演じているのは明らかだった。

 先ほどの会話の中に出てきた『巫女』の完成が、今後どう影響してくるのかわからない。だが、この昭和の世界で、何かがうごめいている。

 この世界に不穏な空気が立ち込めてくるのを、涼子は何も知らない。

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