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敏行の野望

「なあ、チャンスなんだよ」

「でも、厳しいと言っても、お給料はちゃんともらえているでしょ。それをどうして……」

「それはそうだが、今後も安定しているかは疑問なんだ」

「……」

 真知子は黙り込んだ。

 十二月に入って間もない冬の日。敏行は少し前から、独立を模索していた。

 この一年くらい前から、勤めている会社、野村工業の経営が悪化している。原因は仕事を受注している、取引先の工場によその会社が割り込んできたことだ。要するにライバルができてしまい、仕事の奪い合いになってしまっていた。ライバルは比較的大きな会社で、規模の小さい野村工業が、仕事の減少と共に厳しい状況になっている。

 元は取引先の工場で、かなり大掛かりな設備の新設工事があって、それに割り込んで来られたのが発端だった。小さい会社では、大掛かりな工事のすべてをカバーできず、それができるライバル会社に割って入られる隙を与えてしまった。

 そういった苦しい状況を打破できず、ズルズルと時間だけが過ぎていく。ボーナスは激減、昇給も滞り、社員たちはそんな有様に、ひとりまたひとりと有能な者から去っていく。なかには、野村工業より大手の鉄工所に転職できた者もいる。

 そんな沈んだ重苦しい空気の漂う中、敏行は自然と同僚と呑みにいく機会が増え、みんな顔を真っ赤にして職場の愚痴を言いあっている。不満が多いと、いつもこうなのだ。

 そうやって二週間ほど前に、仲間と一緒に呑みに行った先で、敏行は偶然にも知った人と再会した。前に野村工業の下請け会社に一時的に雇われてやってきて、短期間だが一緒に仕事をしたことがある人だった。今は自分の会社を作って、そこで各現場に作業員を派遣する仕事やっているという。

 その知人は、自分の友人が町工場を廃業するつもりだという相談を受けていた。その友人は、近年腰を痛めた上、もう六十歳を過ぎていることもあって、仕事を続けるのが辛くなっていた。しかも、息子は他県の大企業に就職してしまい、こちらには住んでおらず、もちろん跡は継いでくれない。挙句に「親父もこっちに来たらどうか」と、自分の元に呼び寄せようとしていた。最初は断っていたが、妻が孫に会いたいからと「息子の元に行きたい」と言い始め、腰を悪くしたのをきっかけに、この町工場を手放して、息子の元に行こうと考えているのだそうだ。また、隣接する自宅も同時に手放すつもりだ。

 知人は、友人に——その家と工場を売却するにいい人はいないか、ということだ。

 敏行は、その知人にその話を聞いて、もし自分がその町工場を買って……「藤崎工業」を創業して自分が社長に! 一国一城の主に! などと考えていたのだ。


「涼子は来年幼稚園を卒園なのよ。せめて、卒園まで待てないの?」

 敏行の熱意に負けてしまったのか、真知子は次第に折れつつあるようである。

「あ、ああ。それは大丈夫だと思う。どちらにせよ手続きとか、やることは色々あるし、すぐには無理だ」

 資金をどうやって用意するか、という問題がある。また、新しく創業するためには、やらなくてはならないことが大量にあった。

「引越しするなら、涼子はそこの小学校に入学することになるわ。せっかく仲のいいお友達もいるのに……」

 涼子は、この秋頃、ジローやその取り巻きと仲直りしていた。そのジローも、他の園児たちと仲良くなってきていると聞いていたので、このままみんなと同じ小学校に入学させたいと、真知子は考えていた。

「それはわかっているよ。でも、でもなあ――やりたいんだ! 頼む!」

「あなた……」

 手を合わせて頼み込む夫の様子に、困り果てる真知子。どうしたものかと考えるが、結局押し切られることは目に見えていた。

 ――普段はのんびりしているくせに、こういう時だけはすごい押しが強いんだから。まったく。



 部屋で翔太と遊んでいた涼子のところに、真知子がやって来た。

「ねえ、涼子ちゃん。お父さんがお話があるの」

「うん、なあに?」

 涼子は立ち上がって、父のいる居間に行った。


「ええっ、引越しするの?」

 涼子は意外そうな顔をした。敏行は少し身構えた。涼子が嫌がるのではないかと考えているからだ。

「ああ、そうなんだ。お父さんな、自分の会社を作ろうと思うんだ。それでな、そのためには引越ししなきゃならないんだ」

 娘の機嫌を伺いながら、ゆっくりと話す敏行。

「お引越ししたら、どんなお家なの?」

「ここよりおっきな家だぞ。部屋がたくさんあるんだ」

「たくさん?」

 涼子はパッと表情が明るくなった。嬉しそうな顔を見て敏行も、少し気が楽になった。

「そうだ。ここは本当に小さいが、新しい家は部屋が四つもあるんだぞ。涼子の部屋も作れるだろう」

「ええっ! 私の部屋!」

 涼子は満面の笑みを浮かべ、大喜びした。

「そうか、嬉しいか! きっといいぞ」

 実をいうと、涼子はこのことを知っていた。もちろんだが、前の世界でも同じように、小学校への入学前に引っ越しをしていたからだ。

 場所は、岡山県南東部を流れる吉井川の周辺地域、岡山市西大寺だ。古くからある町ではあるが、岡山市の中心部からは随分離れたところなので、西大寺の中心地域はそれなりに町になってはいるものの、そこを少し外れると、かなりの田舎である。

 ただ、もう記憶にある前の世界とは、違う未来が展開している状態だ。同じように西大寺に引っ越すのかはわからない。しかし多分、西大寺なんじゃないかと感じていた。

「今度の日曜日にな、ちょっと見に行くんだ。涼子も一緒に行こう。きっと楽しいぞ」

「うん!」

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